グルコサミンでもおなじみの舞の海さん。ところが現役時代は小兵ながら巧みな技術でお茶の間を沸かしていました。猫だましやくるくる舞の海など、その高い技術は「技のデパート」と称され、体格差のある小錦との対戦成績はなんと7勝5敗と勝ち越しています。

今ではスポーツキャスターでおなじみの舞の海さん

舞の海秀平 (まいのうみしゅうへい)

1968年2月17日 青森県生まれ

元力士・キャスター

出典 http://www.kakugo.tv

「猫だまし」、「八艘飛び」などファンを驚かせる数々の技をくりだし、「技のデパート」の異名をとる。現在はNHK大相撲解説者などをつとめるほか、テレビ・スポーツキャスターとして幅広く活躍中。最高位:小結・三賞:技能賞5回受賞・生涯通産成績:385勝418敗27休 幕内通産成績:241勝287敗12休・得意技:左四つ・下手投げ

出典 http://www.kakugo.tv

技のデパート、舞の海。小兵ながら多彩な技で土俵を沸かせた人気力士。
当時最重量の小錦との体重差はなんと約200Kg!!
それでも勝利する事があり、その魅力にファンは酔いしれた。

出典技のデパート、舞の海。小兵ながら多彩な技で土俵を沸かせた人気力士。

体重と身長が足りない、力士として課題は大きかった

◆体重はもともと70kg台

体重を増やすことの必要性と、監督の「90kgになったら試合に出す」という言葉を聞き、舞の海さんは猛烈に食べ始めます。

食事の一例はこんな感じです。


朝 どんぶり飯5杯
昼 学食で二人前の食事
立ち食いそば屋でうどんを間食
授業の合間にシュークリーム
生クリームをたっぷり入れたウインナーコーヒー
夜 再びどんぶり飯5杯
寝る前に牛丼や弁当

出典 http://www.valuableinfo4u.com

大相撲元小結で現在は相撲解説者の舞の海秀平さんは、力士としては小柄な体格のため、学生時代から体重をいかに増やすかで苦労したそうです。


舞の海さんが日本大学相撲部に入部した際、体重は70kgにも届いていませんでした。

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◆そして、あの有名な頭にシリコンを入れた話

新弟子検査を受けるか、と、検査に行ったのだが、一回目は身長不足で失格。規定では173センチだったのだが、わずかに足りなかった。この時には髪の中に鬢付け油を固めて身長を水増ししたそうだが、折からの気温上昇で、油が流出。検査場で大破綻したそうだ。

そして、満を持して二度目の検査に行くために考えついてのが、頭にシリコンを注入して臨時的に背丈を延ばすこと。

出典 http://blog.livedoor.jp

これは頭皮の下に袋を入れ、その袋にシリコンを少しずつ、1ヵ月かけて注入していく手術です。
(現在このやり方で新弟子検査を受けるのは禁止されています)


当然痛みは激しく、また顔の皮膚が上に引っ張られるため瞼を閉じることができなくなることもあり、睡眠も十分とれなかったのだとか。

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◆ちなみに、頭にシリコンを最初に入れたのは大受 久晃

大受の時代の技術では一旦入れたシリコーンは除去不能であったため、全体的に頭の形状自体が変形し頭頂部が突き出ていた。引退後は審判委員を長く務めており、特に隠しもしなかったため、頭頂部が尖った楯山の姿は平成10年代までは毎場所幕内取組時に土俵下で見ることができた。その後頭痛に悩まされるようになったため、2009年春に除去手術を受けた。杉山邦博によると、頭の中でシリコーンがグチャグチャになっていたらしく全てを綺麗に取り除くことはできなかったようだという(同年5月に出演したTBSラジオの番組にて発言)。

出典大受の時代の技術では一旦入れたシリコーンは除去不能であったため、全体的に頭の形状自体が変形し頭頂部が突き出ていた[3]。引退後は審判委員を長く務めており、特に隠しもしなかったため、頭頂部が尖った楯山の姿は平成10年代までは毎場所幕内取組時に土俵下で見ることができた。その後頭痛に悩まされるようになったため、2009年春に除去手術を受けた。杉山邦博によると、頭の中でシリコーンがグチャグチャになっていたらしく全てを綺麗に取り除くことはできなかったようだという(同年5月に出演したTBSラジオの番組にて発言)。

小兵ながらも技術で大躍進!くるくる舞の海生まれる

技のデパートとは何か!

出典 YouTube

くるくる舞の海は8:00頃

多彩な技で大型力士を倒すその取り口から「技のデパート」、「平成の牛若丸」という異名を得て人気力士となる。「猫騙し」の活用に始まり、「後退する立合い」、「くるくる舞の海」と言われた目回し作戦、1991年11月場所の曙戦でみせた「三所攻め」、1992年1月場所の貴闘力戦でみせた「居反り・襷反り」(技は成功せず)、当時の二子山理事長に「八艘跳び」と呼ばれた1992年1月場所・北勝鬨戦での立合いジャンプ作戦など、四十八手を駆使した取り口を見せ、1994年9月場所には小結に昇進。また通算では5度の技能賞を獲得している。

出典 http://ja.wikipedia.org

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