プロとアマチュアの壁を超え熱戦が繰り広げられる天皇杯サッカー全日本選手権大会。決勝は大阪・吹田サッカースタジアムにて2017年1月1日14時キックオフだ。

今回の天皇杯は数えて第96回。第1回大会開催は1921年・大正10年なので、歴史はけっこう古く(戦争などで中止の年が度々有)、野球の東京六大学リーグより早い。そんな伝統と威厳ある大会の歴代優勝チームを見て驚いた。
なんと東京大学が過去に3度も日本一に輝いているのだ!初優勝は第11回(1931年)大会。更に第26回(1940年)、第27回(1946年)と2連覇を果たしている。かつて東大サッカー部は強豪チームだった。

もちろん戦前戦後の混乱の時代で、全国的にチーム数は少ない時代だった。参加チーム数が全国大会で10に満たないときもあった。しかし当時から実業団チームもあれば、早稲田、慶應といった大学チームも存在したのだから、間違いなく日本のトップチームだったのである。その力を証明するに、現在の関東大学リーグにおいて1926年から前人未到の6連覇を果たしている。

なぜ東大サッカーは強かった?

東京大学(前身・東京帝国大学)といえば、とてつもなく頭が良い人しか入れない名門大学。それは創設当時から今も変わらない。そんな頭脳集団の中で、1918年に大学日本初のチームとして結成されたのが「東京大学ア式蹴球部」である。ア式とは「Association(Football)」の事で、この省略形がSoccerになる。

創ったのは、矢津謙(やずゆずる)という人物だった。矢津は1899年(明治32年)広島生まれ。父は開業医だった。中学期にサッカーを始め、上京し医師を目指すためにも東大へ。そこで「東京大学ア式蹴球部」を創設する。
彼の転機となったのは、1921年(大正10年)、上海で行われた極東選手競技大会にサッカー日本代表として参加したこと。試合は全敗、また東大からの選手は矢津一人だけだった。矢津は一念発起し、東大のサッカーを強くすること、そして日本でマイナースポーツのサッカーを発展させることを目指すと誓う。
まず大学サッカーのレベル向上を図るため、早稲田、現・筑波大学、現・一橋大学と共に、日本で最初のサッカーリーグ「専門学校蹴球リーグ」を創った。開催当初から東大は圧倒的な強さを誇り、それに呼応するように各大学がレベルを上げていった。これが後の関東大学リーグへ繋がるのである。

矢津は、現・日本サッカー協会(JFA)の設立にも携わり、卒業後も志を共にした各大学のOBらと、地方へも出向いてサッカーを教え、少しずつ裾野を広げて行った。
このように、日本サッカーの黎明期の中心的存在だったのが、矢津謙と東大ア式蹴球部だったのである。のちに矢津謙は第4代日本サッカー協会会長に。また同部OBには竹越重丸(日本代表監督)、岡野俊一郎(第9代日本サッカー会長)がいる。
東大サッカーは現代サッカーの礎となったのは間違いない。

サムライブルーと東大ア式蹴球部

サッカー日本代表のユニフォームは「サムライブルー」と呼ばれる青が特徴。しかし「なぜブルーなのか?」と思ったことはないだろうか。例えばバレーボールは伝統的に日の丸の赤白が基調だが、サッカーのブルーのルーツは何だろう?

なんと東大だ。ちょっと意外だ。

東京大学のスクールカラーは青。それを基調に蹴球部ユニフォームはライトブルーである。これは創設当時から今も変わらない。これがサムライブルーへ繋がるとされているのだが、それにはこんな理由があった。1930 年に東京で極東選手権が開催される。
それまでの代表チームは、現在のように色々なクラブチームから選手が招集される混合の編成ではなく、例えば早稲田なら早稲田の大学チームと現役OBが組んで日本代表を結成し、それ以外からは1、2人選ばれるかどうか、というのが普通だった。その場合、ユニフォームは必然的に早稲田ベースになった。

ところが、この時初めて、文字通り選抜で代表選手が集められた。早稲田、関西学院大学から3人ずつ、慶應、現・京都大学から1人ずつ、そして東大からは最多12人が選ばれた。(※この年、東大は天皇杯優勝)ユニフォームのデザインをどうするか? と話し合った結果、最も多くの選手を輩出した東大のライトブルーに決まった。
当時最強だった東大メンバーを中心とした日本代表は勝ち進み、日本は国際大会で初となる優勝に輝いた。この時の功績、敬意を評し、また伝統を受け継ぐ形でサッカー日本代表のユニフォームは「ブルー」に定着したとされている。

誇り高き東大サッカー

1956年に関東2部に降格し、1977年に初めて東京都大学リーグに降格して以降、東京都大学サッカー連盟下での活動が続いている。
「東大だろ?」「弱いんだろ?」
“東大のスポーツ=弱い”の公式は世間に根付いているかもしれない。しかし、過去に天皇杯を3度制覇した事実を知る者はどれだけいるだろうか?かつて東大サッカーは日本のサッカーを牽引し、世界への扉を開けた誇り高きサムライだった。
その偉大さを、日本代表の勇姿を見たとき少し感じてほしい。あのサムライブルーのルーツは東京大学ア式蹴球部をリスペクトした最強のユニフォームだったのだと。

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