聞き捨てならない言葉を偶然聞いてしまった時、あなたはどのような反応をするでしょう。ある人は「他人事」と無視し、ある人は気に入らないと喧嘩に発展、そしてある人は勇気を出して「愛」を伝えようとします。

自分が取る行動が相手にどう反応されるかは未知ですが、ある一人の女性の取った行動はFacebookで拡散され、多くの人から称賛の声が上がっています。

ナタリー・ウッズさんは聞いてしまった…

出典 https://www.facebook.com

米テキサス州のとあるレストランで食事をしていたナタリー・ウッズさん。彼女の隣のテーブルには家族らしきグループが座っていました。

レストランやカフェなどで、席が近いと聞くつもりがなくても隣の会話が耳に入って来る時ってありますよね。ナタリーさんもまさにそんな状況でした。偶然耳にした彼らの会話は、ナタリーさんを不快にさせるような内容だったのです。

甥がゲイであることを批判し、侮辱していた

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ナタリーさんは、隣のテーブル席の家族が甥の話をしていることに気付きました。その家族は自分たちの甥がゲイであることを恥ずかしく思う様子で、甥がいない席で彼の批判と侮辱をしていました。

「それって神の教えなの?」

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ゲイである人を差別し、偏見を持つ「クリスチャン」は本当の神の教えに従っていないとナタリーさんは思ったそう。「私はクリスチャンだけど、愛を教わりました。ゲイであってもなくても、人を愛することがまず大切だと。それが私が学んできた神なんです。」

敬虔なクリスチャンの中には「ゲイ」を認めないという人も存在します。これは世代のギャップも大きく絡んでいるといっていいでしょう。現在では敬虔なクリスチャンであっても、ナタリーさんのようにゲイに対し偏見を持たない人もたくさんいます。

何を持って「神の教え」と取るかは結局人によりけりなのだということが、こういうことを通して明らかになってくるのではないでしょうか。

ナタリーさんは、甥の批判を続けているその家族が「(甥が)ゲイであることをやめるように祈らなければならない」という言葉を聞き、彼らに少しでもゲイに対する考えを変えて欲しくて、あることを思いついたのです。

「私は神からこういうことを学びました」

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偶然聞いてしまった批判的な会話に対し、ナタリーさんが選んだのは「愛を持って制する」ことでした。店側にこっそりと隣のテーブル席の勘定を奢ると申し出たのです。そしてレシートにはこのようなメッセージを添えました。

「素敵な休日をお過ごしください。

隣のテーブル席に座っているとっても自由主義でとってもゲイの私が
あなたたちの食事をご馳走します。

私が知っている神は、私にこのような方法を教えてくれましたから。

追伸:家族を受け入れてあげてください」

「彼らがこれで変わるとは思えないけど…」

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英紙『Metro』に「私がした些細なことで、彼らの意思が変わるとは思っていません。でも、クリスチャンでも私のような人もいるのだという『種をまいた』と思っています。だからこのレシートを見た時に、彼らがほんの少しでも何かに気付いてくれたらいいなと思っています」とナタリーさんは語りました。

何も言わなければ解決できないことは往々にしてあります。でも、口を出すと不快感を募らせ争いになってしまうこともしばしば。ナタリーさんが取った行動は、まさに相手を変えようとするものではなく、あなたの周りにはいろんな人がいるんですよ」ということを、レシートに伝えたかったのではないでしょうか。

食事を奢るという好意をされれば、誰もが驚き喜ぶでしょう。そんな嬉しい気持ちの隙間にナタリーさんはスッと「考えさせられるメッセージ」を投げかけたのです。

このナタリーさんの態度はFacebookで多くの人の共感を得てユーザーたちは「インスパイアされた」「あなたがゲイを代表してメッセージを伝えてくれたのね、ありがとう」「彼らは自分を恥じるべきだ」といった声を寄せています。

「Love your neighbors」

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現在のキリスト教の教えは、一昔前の教えとは変わってきているとクリスチャンである人達もコメントを寄せています。戦争や暴力が起こる世の中で、「普通に暮らす」ということを望む人たちにとっては戦争もテロもゲイも同レベルの「社会問題」でしかないのかも知れません。

でも、「Love your neigbor(隣人を愛そう)」というキリスト教の教えはこんな時代だからこそ、まさに私たちに必要とされるのではないでしょうか。憎しみ合うよりも労りと思いやりを。そうナタリーさんは伝えたかったのでしょう。

「些細なこと」だとナタリーさんは話していますが、彼女の行為への反響は大きくとてもインスパイアされるのは事実。偶然聞いてしまった会話から生まれた「神の教え」をナタリーさんはとてもいい形で表現したのではないでしょうか。

誰かが誰かを変えることというのは容易ではありません。でも、ナタリーさんが言うように「種をまく」ことで人の思考回路を増やすことは可能です。ナタリーさんのように、見知らぬ人にもさりげなく「愛」を伝えることができるような人になりたいと思う筆者です。

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公式プラチナライター。イギリス在住22年目。いつも読んで下さる皆さんに感謝。Twitterアカウントは@mayonesque18です。よろしくお願いします。

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