他の子よりもゆっくりだから気づきにくい『成長』

先日せっかち娘の運動会がありました。毎年ドキドキする団体行動が試される一日。
本人はみんなが見に来てくれて嬉しいのかはしゃいで過ごしておりますが、実は家族は緊張の一日でもあったりします。

同学年の子と行動するので、残念ながら同じ結果を求めてしまっては『成長』に気づくことはできません。最初の頃は比較対象が同学年だったこともあり「なぜこの子は同じことができないのか」とかなり家族間で話しました。
その度に手段を変え、対応を変えて試していましたが効果はありませんでした。
今思えば、病気を知らないままでいたら「落ちこぼれ」なのか?と今以上にせっかち娘を追い込んだかもしれません。

3年生となった今年は少し家族も学習しました。比較対象を「昨年の娘」にするようになりました。周りの子供たちとは大幅に違っていても、昨年の娘と今年の娘がどう違うのかを見ることで正しい成長が判断できると考えました。

見えていなかった成長は学校行事の機会に見えることも多い

のんびり母のように毎日子供に振り回されて生活していると、普段の生活で成長を感じれる機会は非常に少なくなります。親側に心の余裕がなく日々反発され続けていては、到底成長したなどと心広く受け止める余裕はないことでしょう。
そんな毎日を過ごしているお母さんには学校行事というのは、我が子の成長を見ることのできる数少ないチャンスです!

学校行事では我が子を先生が見てくれています。つまりこちらは観覧側。
振り回されずじっくりと子供観察ができる絶好の機会なのです。こんな機会は普段の生活ではあまりありませんよね?

我が子は1年でどのような成長をしただろうか

今年の運動会で我が娘がどのくらい成長したのか。
先程言いましたが「昨年の我が娘」と比較することがポイントです。周りの子供たちとは成長スピードが違いますから。

昨年のせっかち娘はダンスの披露の際にもこちらを見つけると手を振ったり、先生が近くにいないときちんと演技をすることができませんでした。
そして学校のお友達たちは話しかけられるのを嫌がっているように見えました。
今年のせっかち娘はダンスの時は見つけることができませんでした…。だから判断できなかったのだろうと思いますか?いえいえ違います!見つけられない」ということは「目立っていない」のです。
これがどういうことか分かりますか?先生が側にいなくても『他の子と同じ行動ができたということなんです。家族にはとても嬉しい成長でした。
毎年見つけられなかったことなんてありませんでした。演技中も先生に話しかけて動きが止まったり、みんなとは違う動きをしていたり、他に興味があるのか全く違うところを見ていたりと見つけようとしなくても目立っていて見えてしまうのです。
そのような状況でしたから先生が側にいたので、先生を探せばすぐに見つかってました。

それが今年は違う!先生もいないし、全く目立っていない!!
これは素晴らしい成長です。他の子と比べていた頃には気づきませんでしたが、実は毎年小さな一歩でも成長していたことを私たちは見逃していたのかもしれません。
そしてクラスの子たちが昨年までと違って普通に声をかけていくこと。昨年よりは受け入れてもらえるようになったいる。その事実を知れたことが本当に嬉しく思えました。

なぜか家では発揮されない成長

運動会で素晴らしい成長を見せたせっかち娘ですが、家に戻れば全く成長を見れない毎日に戻ります。のんびり母がイライラする程に自由人のまま。
この違いはなんなのでしょう?いまだに解明できずに毎日の苦労は続いています。

大人と同じように外の顔と内の顔でもあるのでしょうか?母親は絶対に見捨てないという自信が我儘を爆発させ、外での我慢というストレスの発散場所になっているのでしょうか?
この辺りが何とも急いで大人になったかのような錯覚を受け、家族一同「外面のよい娘」になってしまわぬように気をつけねばならないと思う日々。

成長を喜ぶ半面、まだまだどのように向き合えばよいのか悩む毎日が続きます。
果たしてこの娘はどのような大人になっていくのか。良き道が選択できるようにこちらもまだまだ頑張らなければならないようです。

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