花のお江戸の男女関係、江戸っ子が信じた今では考えられない常識に驚いた…。

はじめに…、花のお江戸は収入格差社会だった

例えば、長屋と呼ばれる庶民が暮らす家ですが、表通りと裏通りでは家賃に雲泥の差がありました。

今の価格にすると、
表通りの米屋や酒屋などの表店(おもてだな)といわれるところの家賃は、約10万~20万。
(これは間口や奥行き、家の広さによって変わったのでしょうね。)

そして路地裏の裏長屋も二つ(割長屋と棟割長屋)に分かれ、
比較的日当たりの良い割長屋(わりながや)の家賃は約2万円。
日当たりも悪く、風通しも良くない棟割長屋(むねわりながや)の家賃は約1万5千円。

棟割長屋の家賃1.3倍が日当たりの比較的良い割長屋で、その割長屋の5~10倍が表通りにある表店となり、これだけの家賃の差は収入の格差ということになりますから、表店の人たちと、裏長屋に住む人たちとのお付き合いはないに等しかったのではないかと想像出来ます。

そして、この裏長屋に住む住人は雨が降ると仕事にならない人たちが多く、米屋も酒屋も醤油屋も味噌屋も、掛け売りでは品物を売ってはくれません。
すべてその場にての現金払いです。

では、この雨が降ったら仕事にならない裏長屋の住人の収入とはいったい?幾らくらいだったのでしょうか?


例えば、魚や野菜を天秤棒で売る棒手振り(ぼてふり)という職業の一日の利益は、今の価値にして約2万3千円前後。

そこから生きるために必要な米、味噌、醤油代約1万2千円を引くと、残りは1万1千円前後となります。

(冷蔵庫などという便利なものなど無かった江戸時代。米、味噌、醤油が結構いいお値段のするものであったと思われます。不作などの年には値上がりすることはあっても、今のようにお手軽価格のものは無きに等しかったでしょうから、収入の殆どが食べることと家賃に消えて行く生活であったと思います。)

そこから、子どもの小遣い、自分の酒代、家賃の積立を差し引くと残りはほんの数千円ほどしか残らなかったそうですから、雨が降って仕事にでることが出来なければ、その日の収入は「0」になります。

そして、その状態が何日も続くようなら、収入は完全に途絶えてしまうということです。

つまりは、花のお江戸に住みながらも、裏長屋に住む人たちにとっての生活は、毎日が綱渡り状態だったということでしょう。



「つゆ稼ぎ」の「ジゴク」って?

さて、毎日の生活が綱渡りだった裏長屋の人たちが、仕事が出来なくなる梅雨や秋の長雨の時期にはどうやって食いつないでいたのでしょうか。

それは、裏長屋の奥さんたちが町に出て、男性の袖(売春)を引いて稼いでいたのだそうです。この「つゆ稼ぎ」で、子どもの食事代くらいは稼ぎ出していたのだそうです。

が、
裏長屋以外の住人で雨も降らないのに「つゆ稼ぎ」をしている奥さんたちがいました。
それは、地位的には高いけれども、収入的には微禄の御家人の奥さまたちでした。
理由としては、生活苦から「つゆ稼ぎ」をしていたようです。
…これも微禄という、武家の収入格差からでしょうね…

この、御家人の奥様たちは当たり前のことですが家筋が良い。そして、このつゆ稼ぎをする家筋がよい女性たちのことを「ジゴク」と呼んだのだそうです。

…私、はじめ「ジゴク」って、地獄のこと?と思いました。微禄とはいえ、御家人は江戸幕府の立派な侍です。ですから、その妻ともなれば家筋が良いのは当然でしょうし、いくら生活苦とはいえ、武家の娘として教育された女性が家族の為に身を売るということは、それは確かに「生きジゴク(地獄)」だわねと思ったのですが、どやら意味が少し違うようです。…


「ジゴク」とは、「地女(じおんな)の極上(ごくじょう)」という言葉の略で、つまり「地獄」ではなくて、「(じ)(ごく)」ということですね。

因みに地女とは、遊女に対して素人の娘という意味なのだそうです。


よく時代劇や時代小説では、現在に比べて女性の貞操観念がスゴく厳しそうに描かれていたりしますが(勿論、そういう環境の中で一生を過ごした女性の方々の方が多くいたとは思いますが)、この「ジゴク」の話しを聞いて、意外に人は生きる為にしたたかになれるのかもしれない…と思いつつ、

次の話を聞いて、江戸時代の男女関係は大変おおらかで、かつ信じられない常識に支えられていたのかとも思ったのです。

…勿論、お家大事の家柄は違ったとは思いますが、でも、逆を返せば、このおおらかさとしたたかさがあるから、血筋を守る家柄は、厳しく、人目につかない奥へと女性を隔離したのではないか…、(自分たちの血筋とは何の関係もない他人の血が入ることを極端に恐れていたのではないか、)と思ってしまいました。…




 ☆御家人とは…、将軍直属の家臣(武士)のうち、将軍に謁見する資格のないもの。

お江戸式DNA鑑定

さて、裏長屋の住人は毎日が綱渡りのその日暮らしでしたから、自然、生きて行くために必要なものである米、味噌、醤油(掛け売りはしてもらえないので)が切れれば隣近所が頼り(命綱)です。
落語の熊さん八さんの世界が、そこにあったのだと思います。

そしてここで情報をもう一つ、江戸時代人口における男女比は男性3人に対して女性1人の「女不足」だったのだそうです。

で、です。
裏長屋の住人は、生きて行くために毎日必要な米や味噌、醤油が掛け売りで買えませんから、足りなくなったりしたときは隣近所で「ちょっと貸して」「いいよ」となります。

別段、借りたものに利息がつくわけではありませんから、ここまでは、まさに熊さん八さんの落語の世界、裏長屋の人情の世界ですが…。

この人情、違っていたのは貸し借りするのが「もの以外」にも発生していたということです。



この「もの以外」のもの、それはなにか?それは、女房だということです。
…貸し借りするのが、言い換えれば貸し借りの利息が女房ですか?に驚き…

いつの時代も、どんな地位でも、貸す方と借りる方とでは貸す方が強い立場になるのは世の常です。

今では到底考えられないことですが、貸した相手が「減るもんでもないから」と女房を貸せといえば…、「そうだな、減るもんでもないしな、いいよ」といってなんと貸してしまっていたのです。

…ちょっと今の私達の世界では「ありえへん!」となるようなことですが、そういう現実が江戸時代の裏長屋には存在したのだそうです。ただ、長雨で「つゆ稼ぎ」をする裏長屋の奥さんたちですから、その延長線上にあるものとして、「女房の貸し借り」これもそれほどの抵抗はなかったのかもしれませんが、…


そして、ここで問題になるのが、減るもんじゃなくても、そういう行為をすれば増えます。(妊娠します。)

そうなると…。
さて?この子は誰の子?あなたの子?この子の父親は誰ですか?という現実が待っているということですが、ではどうやって父親を特定したのでしょうか?




江戸っ子が本気で信じていた父親判定の方法。

それは…、

『胞衣(えな:胎児を包む膜や胎盤の総称)』に父親の家紋が入っていると本気で信じていたことです

信じていたから、出産時の胞衣に入っているであろう家紋を必死になって探すけれども、血まみれの胞衣のどこをどうとって見ても家紋など見えるはずがない。
…というか、そんなものがあるはずがない。…

で、必死に探すも…、
見えたような、見えなかったような家紋は鑑定不可能。

…そりゃそうでしょう。信じて疑わない当時の人には悪いけれど、家紋なるものが胞衣にあるはずがない、ないから鑑定不可能は当たり前。…

と…、


そうなると生まれた子どもは「紋散らし(もんちらし)」と呼ばれて、身に覚えのある男性たちが父親の扶養義務として、少ない稼ぎの中からお金を出し合い養育することになるのだそうです。


つまり、複数の父親のような存在によって育つ、これが江戸式DNA鑑定の結果。

熊さん八さんが住む裏長屋の「人情は厚い」の厚いのなかには、今では考えられない驚きの事実が隠されていたのですね。



はじめこの話しを聞いた時は信じられなかったけれども、今では考えられない迷信や、真っ暗な闇の中に恐ろしげな妖怪のたぐいが住むとまことしやかに信じられていた時代です。

それに、江戸っ子だって人の子、良心はあったでしょうから、いくらその時代の常識とはいえ、やはり心の何処かで人の奥さんをもののように貸し借りした罪悪感と、生まれた子どもに対する責任感と愛情の揺れる心の狭間で生まれる良心の呵責が、

胞衣に家紋が見えるはずという今では考えられない常識を作り出すことは「ありえるかもしれません」と、当時の「紋散らし」と呼ばれた子どもたちがいた現実に驚きながらも納得してしまったのでした。

この記事を書いたユーザー

しーちゃん このユーザーの他の記事を見る

知らないことが知りたくて、メンタル、カルマ、礼法に漢方スクール…etc.とお勉強。で、ですね、人を動かしているのは無意識、でも、この無意識を味方につけるとスゴいんだ~と気づいたら…、なぜか、「えっ?!そうくるかぁ~」と、色んな場面に遭遇しれしまう…という面白いことが起こりだすのでした。

得意ジャンル
  • 社会問題
  • 国内旅行
  • グルメ
  • 暮らし
  • コラム
  • 感動
  • おもしろ

権利侵害申告はこちら