今年のノーベル文学賞にボブ・ディランが選ばれたことに、世界中で衝撃が走りました。
もちろん、大賛成・大歓迎の声も多数あったでしょう。
でも、私はとても違和感を持った一人です。

私は、思春期にまさにボブ・ディランを聞いて育ったような世代です。
当時フォークソングブームで、私もギターを弾きながら歌ったりしていました。
ですから、ボブ・ディランの歌はとても身近な存在でした。

彼の詩は、世界中の若者にアッという間に受け入れられました。
時代の流れを的確にとらえ、若者の悶々とした思いを表現してくれたのでした。
でも、ノーベル文学賞に値するのかというと、大いに疑問を感じます。

彼の詩が文学だと思うかというと、私の答えはNOだからです。
彼の詩は、文学ではなく強いメッセージなのです。
しかも、メロディに乗せることを意識して選ばれたメッセージです。
だからと言って、彼の詩の良さを否定するつもりはまったくありません。

もちろん、文学にも強いメッセージを感じさせるものもあります。
でも、文学は、起承転結という骨組みをもとに様々な肉付けをして、矛盾のないストーリーを完成させていく膨大な作業ではないでしょうか?
だからこそ、ノーベル文学賞のような権威ある賞が与えられることに、人々は納得できるのだと思います。

なお、誤解のないように付け加えると、詩が文学ではないと言っているわけではありません。
詩人による詩は、れっきとした文学だと思います。
それは、メロディという制約がまったくない膨大な言葉の中から、思いを表現するたった一つの言葉を選び出し、凝縮されたそれらの言葉をつなげていく膨大な作業だからです。
メロディに載せ、そのメロディラインとともに伝える詩とは、根本的に違うと私は思っています。

ボブ・ディランに限らず、優れたミュージシャンの詩には、素晴らしいものがたくさんあります。
大ヒットするような曲は、思いを的確に表現しメッセージを込め、素晴らしいメロディーに乗せて発信してくれることで、人々の心の琴線に触れるのだと思います。
それは、本という形になる文学というより、むしろ高々と掲げられるプラカードに書かれたメッセージだと受け止めています。
それが、ノーベル文学賞への私の違和感なのです。

ボブ・ディランはノーベル賞に関して今だ沈黙を貫いているそうですが、何よりも違和感を持っているのが本人かもしれません。
彼は授賞式に出席するでしょうか?

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平川裕貴(ひらかわゆうき) このユーザーの他の記事を見る

元日本航空CA。外資系英語スクールマネージャーを経て、1988年子ども英語スクールを神戸と大阪に開校。外国人講師による子ども英語教育の先駆的存在。

1995年、阪神淡路大震災に遭遇、教室・自宅とも多大な被害を受ける。
震災から得た教訓も活かし、2006年、インターナショナルプリスクール(英語の幼稚園型スクール)を設立、英語教育と人間教育に取り組む。現在3歳から6歳までの子どもを、幅広い視野と思いやりを持ったバイリンガルに育てている。

長年欧米文化に触れてきた経験から、日本と欧米の優れた点を取り入れたしつけを提唱。スクール経営の傍ら、これまでに得た教訓や知恵や知識を伝えるべく執筆活動を開始。
幼児教育研究家。文筆家。コラムライター。英語講師。マナー講師。

ウレぴあ総研『ハピママ』や『IT Mama』に、子育てや英語関連の記事執筆。
フジテレビ『ほんまでっかTV』 に子ども教育評論家として出演。

著書『グローバル社会に生きる子どものための-6歳までに身に付けさせたい-しつけと習慣』(アマゾン)
『5歳からでも間に合う お金をかけずにわが子をバイリンガルにする方法』(彩図社)

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