120年ぶりに菩提寺で法要が営まれる

明治29年(1896)以来、120年ぶりに千葉さなの法要が菩提寺仁寿院で営まれた。筆者は深く関係していたので、ここにレポートしたいと思います。

実際に明治29年に法要が営まれていた

千葉さなの位牌

出典筆者撮影

熊木家により、千葉さなが法要を営まれていたと記載していたのは「毎日新聞」(現在の毎日新聞とは別)ですが、改めて仁寿院に過去帖を確認していただいたところ、間違いなく千葉さなは仁寿院で法要が営まれ、「秋光院清室貞圓大姉」の戒名が付与されていたことが判明しました。

つまり、今回の改葬を機に戒名が付与された訳ではなく、もともと戒名があったそうです。これは千葉十太郎(重太郎とも)等も一緒の話です。明治になって東京に共同墓地が出来たので、菩提寺を離れた方もいましたが、このように菩提寺で供養され、共同墓地に眠る方々も多くいることを知り得た機会でしょう。

熊木家の墓誌に千葉さなの文字が刻まれる

熊木家墓所の墓誌に刻まれた千葉さな

出典筆者撮影

もともと一緒に働いた実妹の嫁ぎ先だった熊木家が、当時継承者のいなかった千葉さなの法要を行っていた経緯から、その同じ経緯を辿ったということで、熊木家墓所に合葬されることとなり、熊木家の墓誌にも千葉さなの名が刻まれました。

千葉さなの妹、はまも同所に眠ります。

千葉さなのお墓は2つ出来た

千葉さなのお墓はかねてより甲府の清運寺にあり、これは千葉さなが小田切家を心配して甲府に訪れた等の経緯があり、その恩を感じた小田切家が建立した追想墓です。あたかも谷中霊園(当時)に誰も供養しなくなってしまったこともあり、いままで甲府の方々の厚い温情によって千葉さなを供養していただきました。

これからは2つの墓所で千葉さなの供養が行われることとなります。甲府の墓所ともども、千葉さなに対して敬慕していただければ幸いです。

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在野の歴史研究家です。主に幕末維新の人物史を中心に研究活動を行っております。

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