いつから斎藤一は人気が出たのか

今回、講演にあたって、思ったのは人気が出たのはいつから?ということでした。考えてみれば、今は名前を知られている斎藤一ですが、起源まであまり考えたことはなかったですよね。

新選組血風録の影響、そして薄野心中

朝日新聞の「聞蔵Ⅱ」と「ヨミダス」で先日「斎藤一」と検索しました。このなかで新選組の斎藤一に関する記事は

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でした。

その代わり、作家・司馬遼太郎さんが朝日新聞の出身ということもあり、朝日新聞からは昭和30年代から多くの新選組関連の記事を拾うことができました。ただ、主人公ということもあって、出てくるのは土方歳三が多く、次に近藤勇、沖田総司と続きます。けど、そこから先は絶無となります。

ただ、新選組ファンだけは別格だったようです。以前、『新選組映画を観る会』?だったと思うのですが、ソコで初めて「新選組血風録」を拝見しました。特に当時の人気俳優が出ている訳でもなく、殆どが大部屋俳優と呼ばれる方たちで作られたドラマは、平成に観るドラマとはちょっと異様にも思います。しかし、なんか安心するのは「時代劇の常識」というものをしっかり押さえていたからではないでしょうか?主催者の方からはゲストでお呼びしていた当時の俳優の方々に熱い想いを吐露していたことを思い出します。

そこに、昭和43年度(1968)「石狩平野」で小説新潮賞を受賞した船山馨さんが発表したのが「薄野心中」でした。斎藤一が主役として描かれた同作は、特に新選組ファンでもなく読んだ当時の筆者にも強く印象が残る小編でした。そういう意味で、新選組ファンに存在だけは有名だったのでしょう。

偽子孫とか珍エピソードやら

筆者の生まれた昭和40年代中間編では、まだ斎藤一と途中参加して函館まで参加した斎藤一諾斎が混同されており、「新選組血風録」でも斎藤が函館に行ったことになっておりました。

その新選組ファンが愛する斎藤一の子孫探しが始まるのですが、なかには明治37年(1904)に八王子で死んだ松野新作という人物が斎藤一と喧伝されたそうです。そうこうするうちに偽子孫も現れて、新選組愛好者はこぞって取材したと、新選組同人として昭和47年(1972)に初代三十一人会会長となった故・林榮太郎さんは語っておられます。

そのころ、林さんの知人が「あれはニセモノで、私の得意先にいる方が本物の子孫ですよ」と伝えたそうです。まだ偽子孫が活況を呈していたころだけに、驚きは隠せなかったそうですが、当時結成前から一緒に活動していた故・赤間倭子さんと話したところ、興味を持ち、取材されたことが『新選組研究』創刊号(三十一人会発行)に掲載されております。

『新選組研究』創刊号より

出典小島資料館提供

『新選組研究』は、林さんと赤間さん、そして集まった同人29人が集まり、計31人集まったことにちなんで三十一人会を結成し、その三十一人会ではじめて作った冊子です(60P)。まだ新選組研究会がほとんどなかった時代に発足したことで、この『新選組研究』を発行後に入会者も集まり、筆者が平成14年(2002)に入会したときでも200名を超す会員が在籍しておりました。

この『新選組研究』ではじめて故・藤田實さんへのインタビュー記事や履歴書の内容が記載され、その後、赤間さんが会を辞すまで何号も斎藤一関連の記事が掲載されました。

今回、三十一人会では『新選組研究』創刊号の復刻を検討しております。昭和47年の息吹を感じられる作品が数編掲載され、なかにはもう古くなった内容があっても、当時の取材風景などが読める内容となっております。

はからずも、この『新選組研究』に斎藤一研究のスタートが刻まれていたことを知り、斎藤一の認知度があがっていったのであろうと筆者は推測するところです。

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在野の歴史研究家です。主に幕末維新史を中心に活動しております。昨年は『斎藤一~新選組論考集』の執筆、編集を行い、子孫の縁を経て、斎藤一の写真を公開する等、メディア活動を行っております。

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