新選組山南敬助の「山南」姓がない

前々から不思議に思っていたのですが、「山南」姓自体がほとんどいないですよね。ほかの調査で仙台藩士の記録を縦覧したついでに調べて見ました。

明治期の仙台藩士はほぼ網羅できる

宮城県公文書館

出典筆者撮影

仙台藩伊達家は62万石もあるので、調査が大変ですが、実は宮城県公文書館に卒の身分にいたるまでの人物を探すことができます。あくまでも根気よく縦覧する必要がありますけどね。HPにエクセルですが、検索しやすくなっているので士族名簿等を閲覧して「山南」姓を探します。

やまなみ、さんなん、ともになし

士族名簿、卒名簿を縦覧しましたが、ただのひとりもいませんでした…本当に希少姓なのですね。

ちなみに仙台藩領は内分家の一関もありますので、一関については岩手県庁に同様の士族名簿が存在し、やはり山南姓はありませんでした(新選組仲間の吉村貫一郎の実名、嘉村家の記録はありました)。

飛び領地も簡単に調べてみた

こちらは史料が少ないので、ざっと調べた程度ですが、現在の茨城県と滋賀県に山南姓があるかを調べました。

結果的に茨城に山南姓はあるも、別の場所から移転してきたようです。ちなみにに茨城県の陣屋は龍ヶ崎市にあり、滋賀県は東近江市にありました。

ちなみに滋賀県の『近江蒲生郡志』巻8によると、「現代姓氏録」には、山北、山西、山東姓はありましたが、山南姓はありません。なにか姓として用いないタブーでもあるのかと疑ってしまいます。
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山南敬助は結局謎の人物

このように、地元の領地を探しても「山南」姓自体が存在しないので、なんとも難しいところです。現時点で考えられるのは、在府(江戸)か在京(京都)で雇用された可能性ですね。新見錦のように変名した人物ではありませんので(試衛館の門人にいるため)、若いころより山南姓は間違いないでしょうが、「山並」姓は丸森にあるんです。ただ、調べてみると、もとは岸浪姓だったのが、分家した際、山並姓にしたと、子孫の話でした。

最近は新進気鋭の新選組研究家も出てきているようなので、山南敬助の出自を発見する人物が現れるかも知れませんね♪

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在野の歴史研究家です。主に幕末維新の人物史を中心に研究活動を行っております。

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