松前藩長倉家の元菩提寺、宝蔵院へ行ってきた

平成17年(2005)のころだったと思いますが、東京都台東区の宝蔵院が松前藩長倉家の菩提寺と知り、お伺いしたことがあります。

「お伺い」と書いたのは、『新選組・永倉新八のすべて』の「永倉新八史跡事典」に同寺院にあった長倉家と杉村家の墓碑を長倉家が岡山へ改葬したというのです。

確かに平成18年(2006)に岡山の長倉さん宅へ訪問した際、墓参が叶い、お参りいたしましたが、杉村家の墓碑はありません。

一般常識な話ですが、長倉家も子孫がいれば、杉村家にも子孫がいます。なので、長倉家が杉村家の墓碑を持っていくこと自体があり得ないのです。

宝蔵院墓地から改葬された長倉家墓地と長倉達郎さん

出典筆者撮影

杉村家の墓石は宝蔵院にありました!

では、杉村家の墓碑はどこにあるか?おわかりと思いますが、そのまま宝蔵院にありました。

撤去後に新しい墓石が建てられた長倉家墓碑の隣にある杉村家の墓碑

出典筆者撮影

ご覧のとおり、宝蔵院に墓碑はありました。どう考えてもおかしな話ですよね。墓碑は永倉新八の義母、みさをさんで、東京で亡くなったため、東京にお墓が建立されたのではと思います。当時は東京にいた杉村家のご子孫が檀家でした。

杉村義衛(永倉新八)の義母、操さんの名前

出典筆者撮影

実際に墓碑が宝蔵院にあるのですから、『新選組・永倉新八のすべて』が間違っていることがわかります。

単なる誤記ならともかくも、杉村家の墓を長倉家が改葬するという発想自体がナンセンスであり、平成18年(2006)当時もこのお墓は檀家さんがおりました。これはフィールドワークをしなかったことによる長倉家に対する迷惑行為に他なりません。

実際に後年刊行された『新選組永倉新八のひ孫がつくった本』に長倉さんが言及しております。本当に長倉さんは当時お怒りだったことは今も思い出します。

のちに長倉さんとお逢いした際、長倉さんはこの件について、新人物往来社に在籍する方に訂正を求めたところ、「再版の際に直しますよ」と返されただけで終わりました。もちろん口頭でしょうから、確約ではありません。

はたして今後はどうなることやら…

『新選組・永倉新八のすべて』は新人物往来社が中経出版に合併して消滅しましたが、もし、そのことを知らないスタッフが文庫本等で復活する可能性は残されております。

どうか、同様書籍を刊行するのであれば、少なくともフィールドワークだけはしっかりしていただきたいものですね。

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在野の歴史研究家です。主に幕末維新史を中心に活動しております。昨年は『斎藤一~新選組論考集』の執筆、編集を行い、子孫の縁を経て、斎藤一の写真を公開する等、メディア活動を行っております。

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