書籍を参考に沼南町へ行ってきた

平成16年(2004)になって、斎藤一に興味が沸き、関係各所を調べたところ、けっこうな部分で当時の書籍と実際が違う。あるいは違和感を持つも、参考文献に所蔵者記載や引用元記載がなく、違和感から疑惑を持つように、筆者は当時感じておりました。

そのなかで、『新選組・斎藤一の謎』は良心的なトコロがあり、斎藤一の姉が嫁いだ相馬俊明の墓所について言及しており、39Pに菩提寺を龍泉院とし、沼南町泉(当時・現柏市)にあるということで行ってきました。

現在の龍泉院

出典筆者撮影

たぶんレンタカーを借りて伺ったと記憶しておりますが、立派な寺院です。中世の豪族、相馬家が開基したと伝えられます。

相馬家墓所

出典筆者撮影

本堂を参拝後、左に抜けると墓所があり、その近くに相馬家の墓所がありました。さっそく線香をあげました。

このうち、右側の墓所が相馬俊明夫婦の墓所となります。お姉さんの久(勝より改名)さんの名前も墓誌にありました。

相馬俊明夫婦の墓、左側面にある墓誌

出典筆者撮影

墓誌がありましたので、『新選組・斎藤一の謎』と照合できます。


んっ?

俊明姓相馬染谷吉右衛門長男

出典筆者撮影

染谷…

新選組・斎藤一の謎19Pより(傍線筆者)

出典筆者蔵

ちなみに『新選組・斎藤一の謎』では深谷となっております。これ、間違いですね。おそらく手紙のやり取りの際、著者の故・赤間倭子さんがを読み間違えたのでしょう。

それでも赤間さんは錯誤の範疇で悪意はないと感じます。相馬家から提供された履歴書をみているので、染谷吉右衛門の名も同書23Pで確認できます。

しかし、赤間さんを含め、相馬家の墓碑を見た人は当時まちがいなくいなかったと思います。何故なら、筆者が知る限り、相馬家の実家を「染谷」と記載した書籍と雑誌は只のひとつもなく、すべて深谷と記載されております。本来なら瑣末な事柄なのでスルーされて不思議がないでしょうが、斎藤一は人気があり、こうした親類まで調査の手が伸びております。特に史跡辞典に記載があったりするので、そういう意味でOUTでしょう。

ちなみにこの泉地区には「深谷」姓はただ一人も存在せず、代わりに染谷姓は吉右衛門を含めて存在します。

史跡辞典を作るなら、フィールドワークはするべき

今度、別記事で書くつもりですが、当時、大河ドラマ「新選組!」の人気にあやかり、新選組隊士独自の単行本がいくつか刊行され、史跡辞典などが付いていますが、史跡として掲載するのであれば、せめて見に来るのが当たり前なのではないかと思います。

今回のケースはその典型例ではないかと筆者は考えてしまいます。

平成28年(2016)8月に催された日野新選組同好会主催のツアーでのヒトコマ

出典筆者撮影

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在野の歴史研究家です。主に幕末維新史を中心に活動しております。昨年は『斎藤一~新選組論考集』の執筆、編集を行い、子孫の縁を経て、斎藤一の写真を公開する等、メディア活動を行っております。

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