なんでカミングアウトするのか?

我が家は70代、40代、10代の女系3代、アスペルガーと言われる家系です(^_-)-☆

なんで発達障害をカミングアウトして暮らしているのか?私たちの場合はとても簡単です。世の中には色んな人がいて、「私たちはあなたのそばにもにもいるよ」と知っていてほしいからです。

私がよく新しく知りあった人に伝える自分自身の情報は「私は中学も高校もいかなかったので・・・」というものです。いきなり「発達障害を知っていますか?」などとはいいません。それはたぶん、自分のアイデンティティーを形成する多感な時期を「登校拒否児(不登校児)」として過ごしたからです。多くの人が中学生、高校生、大学生、浪人生あるいは社会人、フリーターなどと立場を変えて過ごす8年間を、私は一貫して「学校へ行っていない子」として過ごしました。私にとって自分を差異化する一番明確な人との違いは、「私は学校教育を受けなかった」ということなのでした。私は今となっては学歴とはなんの関係もない暮らしをしていますし、最終学歴がと~っても高くて大多数の人より高学歴なので、もう何十年も学歴差別を受けたこともありません。それでも私は言い続けます、「私は学校へ行きませんでした」「学校へ行かなくても生きていけます」。

私が自分は学校へ行っていないと大きな声で言いふらし始めたのは、中一だった13歳の時です。数十人の不登校生が農作業などをしながら共同生活をする施設で、私は初めて自分以外の学校へ行けない子どもたちに出会いました。足掛け二年半の間に数百人の登校拒否児と暮らしましたが、半分くらいは心理的、精神的問題で学校へ行けないというより、非行や不良から学校へ行かなくなった子たちでした。なんにしても、そこでは誰も学校へ行っていないわけですが、グレていない子の多くは「学校へ行っていないから外に出られない」という引籠り状態にありました。学校へ行けない自分自身を責め、恥じ、苦しみ、隠れていたのです。誰しも学校へ行けなくなるには理由があるはずでしたが、まるで「非国民」にでもなったように、自己主張をする権利など自分にはないと思っているかのようでした。「そういうことなら私がしゃべろう」「声のだせない仲間のために、私は矢面に立って主張しよう」みたいな軽い感じでした。当然、「学校へも行ってないくせに発言するな」という人々の反発は激しく、周り中から激しい批判や非難を日常的に浴び続けることとなりました。それでも、理不尽だと怒っている時の私のメンタルは強かったし、家族や仲間に理解され守られてもいました。だいたい、当時の私は社会的な圧力よりも、自分自身の内面にはるかに大きい問題を抱えていて、その負のエネルギーから比べると、世間に投げられる石など大した破壊力はありませんでした。

そして季節は廻り、結婚して子どもを産んでお仕事していたある日、私の娘が「発達障害」だという事がわかりました。何それと驚いて調べてみると、「なんだ、うちの家族や不登校時代の友達だって、みんな検査受けたら引っかかるようなことじゃないか」と安心しました。そういうことならよく知っているので、うまく育てられるという見通しを持ちました。そして周りを見回すと、「発達障害」に苦しむ保護者や当事者がいっぱいいました。私はまた勝手に「仲間」を発見しました。今の発達障害の人々は昔の登校拒否児とは全く立場が違って、社会の中に「マイノリティー」として存在が認められていますし、差別や無理解もありますが、支援や理解もあります。それでもまだまだ啓蒙が進んだ状態とは言えませんし、発達障害も不登校同様たいへん多様で人それぞれ違うので、私はまた口を開くことにしました。

我が家は70代、40代、10代の女系3代、アスペルガーと言われる家系です(^_-)-☆

私たちに配慮は必要だけど、それはまだ権利じゃない

はっきり言って世の中のすべての制度や仕組み、道具や建物は「普通の人」とか「健常者」のためにできています。身体障碍者や視覚障害者、聴覚障碍者などと同じように、発達障害者にもスムーズに生きるための支援や配慮は欲しいところです。どうすれば二次障害と言われる精神障害を併発させずに育てられるのか?発達障害児の子育てには様々な考え方がありますが、「自尊感情や自己肯定間が失われやすいので怒らないで育てる」ことくらいは一般的に合意されていると思います。まあ、怒らない程度にも様々な考え方があり、実際の子育ての中で怒らないのは容易ではありません。アンガ―マネージメントやアドラー心理学などを勉強して、自分自身を変えることからアプローチされているお母さんたちもいらっしゃいます。視覚化して伝えるとか、一度に一つの事だけ指示するとか、クールダウンできる場所を確保するなど、様々なタイプの発達障害児への対応、配慮というのも、しっかり支援機関に繋がっていれば自分の子に合った情報が得られます。私の娘の場合は集団に入れないのがベストと判断したので、小学校へはやらずに家で育てました。
 
保護者は勉強もしますし子どもに寄り添って頑張ります。自分の子どもの取り扱い説明書を、何年もかけて徐々に心の中で完成させていきます。子どもが集団に入るようになると保育園や学校の先生にも、我が子に対する特別な配慮をお願いしたりするわけですが、対応のレベルは先生の知識や能力、理解や情熱によって大きな開きがあり、さっくり言えば子どもの運命は天国から地獄までまさに運しだいです。とはいえ、これは考えようによっては当たり前です。先生というのも一つの職業です。医者や職人、公務員、商売人だって、能力や仕事に対する姿勢は人それぞれでしょう。あなたの職場の上司や部下、同僚全員が完璧な仕事をしていますか?私は生命保険募集人ですが、お客様に対する姿勢は人それそれですし、誠実で一生懸命だけど能力のない人もいます。具体的に配慮を求める、情報を密に共有する、親として出来るのはこのくらいで、学校や先生には病院や医者ほどの選択肢さえもないことを思えば、期待できる配慮に限界があるのは仕方がないと思っています。

本当に配慮が欲しいのは働き始めてからだけど

実社会というのは競争社会です。一目瞭然の身体障害者が社会参加する場合には、どのような配慮が必要かある程度わかっており、社会は受け入れ先に対して社会的責任を求めたり、インセンティブを渡すことが普通になっています。初めから、特別ルールでのゲームへの参加が合意されているといえます。しかし、発達障害というのは見えない障害であり、求められる配慮も多種多様です。何らかの発達障害をもつ人々が人口に占める割合と、配慮にかかる社会コストから考えるに、全員に特別ルールが適用されることはこれからもなさそうに思います。

何度も言いますが実社会というのは競争社会です。事業を運営して利益を上げる、あるいは最低でも存続していくのはとても大変なことです。費用と利益のつじつまが合っていなければ、人を雇用しておくことはできません。世の中の様々な事業が利益追求だけで成り立っているわけではありませんが、効率や生産性を度外視して存続していける事業など、ないとはいいませんがあるところにしかありません。(具体的にいうと差し障りますが、経済的に物凄く余裕のある宗教法人の外郭団体とか・・・ある意味ねらい目です)。

現行の制度の中では障害をオープンにしての求職は、労働者としての自分の売値を下げることになります。ただし、価格競争の中で低価格を武器に職を得るのは一つの戦略であり、それも一つの選択肢だと思います。あるいは、始めから必要な配慮、「同時に複数の作業はできない」「指示連絡はメールまたは紙ベースで」「突然の変更への対応は難しい」「接客などの業務はできない」などなど、具体的な条件を提示したうえで、「この業務については人を凌ぐ成果を約束します」と売り込めれば誠実だとは思います。しかし、現実的には誰にでもできることではありません。事業者は労働者の精神的な健康にも管理義務を課せられており、あえてリスクの高い選択をするにはよほどの理由が必要だと思います。

それでは、発達障害者はどのように職を探し、どのように働けばいいのでしょうか?何より何より大切なことは、自分自身で自らの特性をよく理解し、必要な配慮を具体的に整理して、人に伝えられるように言語化しておくことです。職業選択においては表面的なイメージや短期的な収入にとらわれず、自分のできる事とできない事、得意な事と苦手な事をよく分析し、自分の特性にあった仕事を見つけるべきでしょう。また、職場の上司や同僚に「私はアスペだから・・・」「私はADHDの傾向が強くて・・・」「実はLDだからこれはできない・・・」などと言ってみても、相手に配慮を期待することなどできません。発達障害はまだまだ十分には知られていませんし、一つ一つの障害の特徴を相手が知らないのは当然なのです。まさか、「私と働くならこの本を読んで」などとハウツー本を渡すこともできませんし、発達障害について少しばかり知識があったとしても、一人ひとりの特性はまた別の話になります。私たちが職場でいうべきことは、「私はケアレスミスが多くて努力や集中では間に合わないので、お手数ですがダブルチェックをお願いできませんでしょうか?」「私は物忘れがひどいので、念のため、伝言や指示は私の机の上のポストイットに書いて机の上に貼っておいていただけませんか」「すいませんが私は不器用で、同時並行で作業を進められないので、タスクの優先順位とそれぞれの締め切りを明示してください」などなど、その場その場で具体的にお願いすればいいのです。戦略的な職業選択と、具体的な支援要請により、職場で過剰なストレスを受けるリスクを低減できるはずです。あとは人間関係に恵まれるかどうか・・・それはもう幸運お祈りするしかありません。

発達障害は言い訳ではありません

発達障害は支援や配慮を必要とする障害なので、一般ルールのゲームに参加しなければならないのは、もともと公平な事ではありません。それでも、一般社会で働く以上は、お客様や社外の取引先には一定の商品やサービスを提供する必要があります。実社会において発達障害は言い訳にはなりえません。自分へのフォローは上司や同僚、部下などの身内に、事前に具体的にお願いしておくべきです。それは、当然与えられるべき配慮や支援ではなく、あなたが仲間として認められる何らかの魅力や、存在意義を持っている場合に限り、相手が応じてくれるであろう要望に過ぎないのです。真面目なこと、誠実なこと、ムードメーカーであること、人以上の知識があること・・・何らかの売りが普通の人以上に必要です。そうやって発達障害の人が上手く社会適応している状態が、「めちゃめちゃ変人だけど仕事だけはできる」「どんくさいけどなんか憎めないし癒される」「しっかりしてるようで、ズバッっと抜けてるとこが可愛い」というようなことです。そして、「なんでいつもすごく頑張ってるのに、こんな些細なところで外すかなぁ(苦笑)」と言われたタイミングで、「すみません、アスペなもので空気が読めなくて(笑)」とカミングアウトできれば完璧です。

さてさて、障害年金も作業所も含め、世の中には本当に様々な収入源やお仕事があります。正社員で事務系の仕事だけが生きるための仕事ではありません。収入を得て生きていく方法はいくらでもあるはずです。願わくば、そのお仕事があなたにとって、やりがいのあるものでありますように。もし、やりがいがなかったとしても、あなたの人生における大切なものを支えるための、大切な生活基盤となりますように。

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王さんの奥さん このユーザーの他の記事を見る

中高不登校で大検から大学進学。大学卒業後、中国、英国留学を経て外務省、NPOなどで働き、現在は生命保険代理店として活躍中(?)。中国人の夫は活動系アーティストで家に帰ってくるのは年に2~3度。大事な娘をファザコンにしてしまう格好いいだけの男。彼も間違いなく発達障害だと思う。発達障害で学習障害の娘を小学校へ行かせずに家庭で独自の子育てに邁進。アスペな娘はすくすくと育ち、中学校は1学年数人という超小規模校へ進学。自身も発達障害で学習障害、現在はうつ+ADHDの診断がついてますが、仕事に子育てに少しは介護というかなり多忙な日々を送っています。
今では浅はかでバカっぽい私ではありますが、命を懸けて精神的苦痛と闘っていた頃もあるので、同じようなタイプで今を苦しんでる人たちに、自分の言葉を届けたいと思って。

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