ようやく公開された福島県立博物館での寄託

9月12日(月)県政記者クラブ宛に福島県庁より、斎藤一(藤田五郎)の写真7点が同月14日(水)より30日(金)まで展示されると発表されました。これらの写真は藤田家子孫の寄託によるものです。こうして写真を寄託していただいたことにより、一般の眼に触れる機会が出来ました。

きっかけは子孫から筆者への連絡でした

ある方の紹介で、写真所蔵者(藤田家子孫)から筆者あてに電話があったのは6月下旬のことでした。翌週、筆者の地元まで足を運んでいただいたご子孫2名と会い、写真を拝見いたしました。


写真を見たときは、なんか納得した、という感じで、感動というよりは安堵した、という気持ちになりました。4人で写っている写真は鶏卵紙なのですが、経年劣化で台紙からはずれており、慎重に確認しました。台紙の裏には明治30年(1897)に長男の勉さんが陸軍士官学校を卒業した記念に撮影し、次男の剛さんの所持が確認できる裏書がありました。

勉さんの履歴書を見ると、確かに明治30年に卒業していたことが確認できます。

藤田勉の履歴書

出典『大正12年武官恩給・第62巻198』(国立公文書館蔵)より~筆者撮影

寄託までのやり取り

お話によると、当初はある公的機関と交渉していたそうです。しかし、相手方はあまり興味も示さず、「くれるなら貰ってもよい」というような対応に感じてしまい、交渉が決裂したそうです。

それでも子孫の意向として、藤田五郎が恩恵を受けた会津に預けたい、とのことでしたので、会津若松市の施設に預けたい、となりました。

ポイントとしては、寄贈ではなく寄託という方法を教示して、後日、一番ふさわしい場所を紹介したいとして、また、写真ですので劣化することもあり、保存が確実に出来るところ、ということも含め、お話を預かりました。

それと、藤田家が懸念することとして、過去に藤田剛の結婚写真について、子孫の意向とは関係ない虚説を流布されたことです。藤田家としては無視したのですが、それが逆にネット上では虚説が広まってしまいました。そうしたことも含めて公正公平な取扱いをしてくださる施設でなければいけない、ということもありました。

そして、最大の懸案として、藤田家が認めていない、まったく根拠もなく藤田五郎とされている西南戦争の凱旋写真を駆逐し、藤田實(まこと)氏をモデルとした想像画(藤田勉さんはモデルではない)ではない、確かな写真の認知していただきたいことも大きな要因としてありました。この経緯から、寄託中にあって写真を公開した訳です。

速攻で県博からOKが出る

6月28日(火)、寄託をお願いするにあたって、写真について、鑑定していただく必要を感じました。そこで、日本カメラ博物館で鑑定していただきました。

まず4人の写真は間違いなく明治30年撮影のもので間違いなく、ところが単身写真は大正初年以降の写真と判明しました。おそらく撮影自体は東京女子高等師範学校(現在の御茶ノ水女子大学)を退職した明治43年(1910)以前と考えられ、原本から焼き増したのではないかと思われました。おそらくオリジナルは本家にあり、戦災で焼失したのでしょう。筆者は「おそらく遺影ではないか」と子孫には伝えました。

このようにして、寄託先を探しました。やはりツテを頼るのが一番と、まず懇意にしている足立区立郷土博物館に連絡しました。長年のお付き合いのある方の部下だった方が福島県立博物館に転職していたのを知っていたからで、もちろん本人とも顔見知りだったこともあることから、まずは仁義を通してから、福島県立博物館に連絡しました。そしてその方を通じて歴史担当者を紹介されました。

その方に趣旨を説明したところ、寄託であってもよいと、そして企画展も考慮してくださるという、好意的なお返事をいただいたので、他候補もあるなか、こちらにお願いすることになりました。

写真発見記事の後に起きたアレコレ

こうして県博への寄託は進み、ご子孫もわざわざ会津若松まで出向いて写真を預け、手続きに入りました。これと併行して写真発見の記事を先行させました。先述の理由のほか、社会的反響がどうなのか、という実験もありました。記事が出たときはご存じの通り、各メディアがこぞって伝え、筆者もいくつかインタビューを受けました。

特にハフィントン・ポストの記事は遥かウクライナ版まで作られるという、まさに斎藤一が世界を飛び回った、大騒ぎでした。

こうしたなかで、浮かれてばかりはいられずに、虚説を報じる勢力の反発もあり、ご子孫のひとりが迷惑を蒙るという事態が発生いたしました。そのため、当初は広く公開する予定が、約1名の行為により、公開範囲に制限が発生してしまいました。このままでは結婚式の写真の二の舞になるからです。

それと、個人情報を伏せている関係で、県博が受け入れ手続き中は筆者が対応しなければいけない状況となりました。この間、出版社やマスコミから掲載許可申請や、所蔵者の詳細を教えろ等、連絡が来ましたが、そう遠くないうちに県博の受け入れが叶うと信じ、ご子孫の意向と重ね、取り急ぎマスコミ対応のみすることにいたしました。

ようやく念願が叶う

このように、寄託、および発表されるまでは、その情報は限られた方々のみ知る内容とし、問い合わせがあってもお答えしませんでした。そして先週ようやく準備が整ったということで、連絡がありました。

今回は四人の写真以外はほぼ原本で展示する予定で、長男勉と次男剛の写真、藤田勉の結婚式のペアの写真、孫の素子等、初出しの展示がされることになっております。入場者の如何によって次の企画も決まるでしょうから、是非とも福島県立博物館に足を運んでいただけたらと思います。

これをもって筆者の役目も終了しましたので、イチ研究者として、利用する際は掲載許可を得て使用することとなります。出版社各位におかれましても、県立博物館での手続きで、利用されますよう、お願い申し上げます。

*一部指摘を受け、展示予定の写真に誤りがあったので修正いたしました。

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在野の歴史研究家です。主に幕末維新史を中心に活動しております。昨年は『斎藤一~新選組論考集』の執筆、編集を行い、子孫の縁を経て、斎藤一の写真を公開する等、メディア活動を行っております。

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