建立までの経緯

かねてより周囲より「新宿区に沖田の終焉の地の碑があったらいいよね♪」みたいなことが囁かれていた新宿区に平成26年4月、「伝・沖田総司逝去の地」の案内板が設置されました。当時はネットで無関係の第三者が建立しただの、場所が違うだのと、批判や風評が飛びましたが、当事者として説明するべきかな、と思い、お伝えいたします。

運動は平成21年に始まった

当時、様々な方から声がかかるも、誰ひとりとして動かなかった運動ですが、これは新宿区が自身で動いて建立された訳ではありません。署名活動の陳情が契機となっております。

運動前の確認作業が大事

今回、碑を設置するにあたって必要だったのは、
①、碑をどこへ建てるか
②、碑を建てる場所へ許諾関係はどうか
③、地域住民の理解は得られるか

この3点が必要でした。まず最初に碑を建てる場所があるかを法務局で調査いたしました。すると民間の所有地は当時、分譲マンションしかなく、敷地の一部を借りるにはマンションの住民の許諾が必要となります。個人情報がうるさい昨今として、任意の協力を得るには様々な困難がありました。

そこで、候補に選んだのが旧玉川上水余水川(吐)です。しかし、本来なら東京の水道を引くために江戸時代に作られた川なので、所有関係がわかりません。とりあえず橋を管理する新宿区役所土木課に確認すると、平成16年に区へ移管されてます、との回答を得ました。区の所有なら所有権問題が発生しませんので安心です。

候補地確定する

新宿区に現存する旧池尻橋

出典筆者撮影

赤丸は当時の候補地

候補地が決まったら、碑の設置位置を考察します。当時、沖田総司が亡くなったのは植木屋平五郎の離れとなっております。植木屋なので、商売を行っている時期、平五郎家の敷地は広大な地所を所有しておりました。昭和7年(1932)に開通した外苑通りに分断された左右双方が平五郎家の所有地でした。通常考えれば御苑側に当時は道がありましたので、当時の道幅が残る旧池尻橋の交番寄りであれば、同じ番地になりますので、その場所を候補地として選定しました。

町会に理解を得て署名活動を開始

候補地も決まったので、新宿区、および区議会議員に電話で相談を。そして四谷地区協議会へ訪れ、趣旨説明の後、町会長に挨拶をいたしました。署名活動の件をお伝えして、活動についての了解を得ました。


そして夏より署名は行われました。宛先は新宿区議会として、当初はネットで募集したのですが、区議会は直筆でないと有効にならないとされ、仕方なく、郵送や手渡しで、お願いを開始いたしました。

254名の署名が集まる

この署名活動には各新選組ゆかりの地団体の協力をいただきました。主には新選組!茨城玉造隊、北総新選組、今戸新撰組、日野新選組同好会、岡山の長倉達郎さんといった広範囲のものとなりました。


8月が陳情の〆切となりましたので、約3ヶ月の間になんと254名の署名が集まりました。これはあたかも沖田総司ファンが多かったことを物語っているのでしょう。本当に感謝感謝でした。

今戸神社からも了解を

今戸神社の境内と今戸新撰組

出典筆者撮影

陳情もいよいよ佳境となったころに、最後のお願いに訪れたのが今戸神社です。ある新選組作家の提唱により、今戸神社には「沖田総司終焉の地」碑が存在します。終焉の地が2つあっては問題が起こるので、当初より千駄ヶ谷に建立するときには沖田総司逝去の地としております。幸い、今戸新撰組と懇意な関係で、了承をいただけました。これで打てる手はすべて打ちました。

そして8月28日、総勢254名の署名を携え、新宿区議会に提出いたしました。


(つづく)

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在野の歴史研究家です。主に幕末維新の人物史を中心に研究活動を行っております。

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