ベルニーニの作品が並ぶローマのナヴォーナ広場

『永遠の都ローマ』“サンタンジェロ橋に関わった彫刻家ベルニーニ”

様々な分野で活躍し、中世にあってはフィレンツェのメディチ家と共になくてはならない存在だったバルベリーニ家は、本名をマッフェオ・ヴィンチェンツォ・バルベリーニとする教皇ウルバヌス8世を世の中に輩出し、天才芸術家と称されたジャン・ロレンツォ・ベルニーニを誕生させました。

バルベリーニ家一族もトスカーナ出身のメディチ家同様に11世紀初期からトスカーナの一角、バルベリーノヴァルデルに定住していた一族で、フィレンツェ(イタリア・トスカーナ州)の実力者となり、カトリック教会に最も寄付を多く施し、富裕な商人として多くの事業を発展させてきました。裕福ということに胡坐をかかず、周囲の住民たちに施しをしたりしながらも、共に働くことを勧め、働く喜びを分け与えたと伝えられます。

そして、15世紀末には、カルロ·バルベリーニ(1488-1566)と彼の弟アントニオ·バルベリーニ(1494-1559)の主導でトスカーナ大地を開墾して穀物を育て、草原では羊を飼育して住民たちとの二人三脚で羊毛や織物で一大産業を起します。事業は成功しその勢いのまま、1552年には兄カルロの息子フランチェスコがローマに出向き、事業の拡大を図ります。その事業も大成功を治めます。

野望を達し得たフランチェスコは多くの財産を蓄積し、その力で16世紀にはローマ随一の裕福な貴族として君臨するのです。でも、そこが最終地点ではなく、そこをバルベリーニ家として世間にその名を知らしめるスタート地点とし、メディチ家同様に大きく育ち、社会に貢献してゆきます。

《ローマ法王の王座に選出されたバルベリーニ家のマッフェオ》

その第一歩が1623年にローマ法王の王座に選出されたマッフェオ・ヴィンチェンツォ・バルベリーニの政治の世界への挑戦でした。

彼はフランチェスコの弟アントニオ・バルベリーニを父とし、その巨万の富と影響力を内外に示して、法皇の座を得たとも伝えられますが、ウルバヌス8世として新しく出発した彼は、昨日も申しましたが、聖職者というよりは政治家・統治者として活躍をしました。また、学問と芸術の世界に精通し、文化・芸術の庇護者としてもその名を馳せ、既存の法皇とは異なったヒーロー的な存在にまで登り詰めた法皇でした。

そして、その力を無駄にすることなく17世紀初期、親族の名工ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini,1598年12月7日~1680年11月28日)を起用し、ローマを華麗に変身させるための改革を進めます。

作品はジャン・ロレンツォ・ベルニーニが1647年から1652年にかけて制作した「聖テレサの法悦」S.Teresa traffita dell'Amoreです。

《法皇の推挙で彫刻家、建築家として活躍し、ローマを華麗なる都に変身させたベルニーニ》

法皇に擁護されたベルニーニは、法皇の期待を裏切ることなく、バロック時代を代表する彫刻家、建築家、画家として大きく育ち、17世紀の芸術作品の中で最も重要な傑作のひとつをローマのサンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会内に《聖テレジアの法悦》完成させ、その名を世間に知らしめます。

また、1644年にはローマのナヴォーナ広場の≪四つの川の噴水≫はじめサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会に「修道女マリア・ラッジの記念碑」として≪真実≫(ボルゲーゼ美術館蔵)を、≪インノケンティウス10世の胸像≫(ドーリア・パンフィリ美術館蔵)などを制作し、彫刻としての力をいかんなく発揮するのでした。

そして、「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」と賞賛されたベルニーニの手により、ローマの街はウルバヌス8世の夢の世界“絢爛豪華な装飾にあふれる美の都”に変貌してゆきます。でも、1644年、ウルバヌス8世が76歳の生涯を終え、教皇がパンフィリ家出身のインノケンティウス10世に交代すると、華麗な政治力を見せていたウルバヌス8世を妬んでいたインノケンティウス10世は、ウルバヌス8世教皇の一族甥であるフランチェスコ・バルベリーニとアントニオ・バルベリーニの兄弟を教皇庁財産の横領容疑で訴え、ローマにあったバルベリーニ家の財産を没収します。

そして、インノケンティウス10世教皇はパトロンとして建築家ボッロミーニと共にベルニーニを援助はするものの、多くの注文はベルニーニではなく、ボッロミーニやカルロ・ライナルディなどに流れてゆくようになり、天才芸術家ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの出番を少なくしてゆきました。因みにこれらの非情なる弾劾はインノケンティウス10世自身のウルバヌス8世へのやっかみだけではなく、欲深い義姉オリンピア・マイダルキーニの有象無象の噂や中傷が生み出したと伝えられます。

★当時人々が「芸術の奇跡」と絶賛したベルニーニの作品は今なおローマの各所に点在し、ウルバヌス8世の夢の世界“絢爛豪華な装飾にあふれる美の都”を華麗に演出しています。

テヴェレ川に架かるサンタンジェロ橋を華麗に彩ったベルニーニ作の“天使像”

★画像はローマのテヴェレ川に架かるサンタンジェロ橋に飾られたベルニーニ作の“天使像”(現在はレプリカです)です。

当時の法皇インノケンティウス10世は、嫌いながらもバロックの建築家としてその名をほしいままにしていたベルニーニに、橋の設計と工事を自ら依頼したと言われるほどベルニーニの腕を買い、橋の改修に力を入れていました。そして、完成した橋を見た法皇は驚き、思わず感嘆の声をあげたと言います。

それは想定外の素晴らしい出来栄えだったからでした。ですから、橋ごと保存したいと言ったとか言わなかったとか。結局、法王は彫刻が風雨にさらされて傷むのは忍びないと、コピーを作らせるように命じたということです。このように中世のローマにはウルバヌス8世が、そして、彼に擁護されて素晴らしい芸術家に育ったジャン・ロレンツォ・ベルニーニの二人が不可欠でした。この二人がいなかったら“華麗なるローマ”は存在しなかったのです。

(旅行ジャーナリスト・作家 市川昭子著)

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★旅行ジャーナリストとして長い間、公私共に海外の国々を訪れ取材し滞在。美術館巡りが好きで「ヨーロッパの美術館」など著書も出版。海外ガイドブック30冊以上(フランス、イタリア、イギリス、ベルギー、オランダ、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、ハワイ、アメリカ、香港、韓国、グアム、サイパンなどなど十数カ国のガイドブック)を取材し出版。★小説【あなたが生きた街】を出版。

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