1948年、ロンドンオリンピックと同時に、イギリスの”ストーク・マンデビル病院で
行われたストーク・マンデビル競技会。
戦争などで負傷した兵士のリハビリがパラリンピックの最初と言われています。
1960年、ローマで第一回目の開催。
1964年、東京で2回目が開催されました。

日本では、病院のリハビリとして入院患者が参加したようです。
世界22か国から、東京に降り立った選手たちは社会進出をしている人が多かった。
それにくらべて日本は、体が不自由になったら社会に出られない傾向が強かった。

リハビリのための運動の延長戦と、体を駆使して鍛えるという考えが違っていました。
当時のパラリンピックは、自衛隊が選手の手助けをしました。
昨今の競技の光景と違い、勝負をする発想がありません。

競技は、いろいろありました
● 車いす競争
● 卓球
● 水泳
● 遠方投げ⇒投げるものは、やり、砲丸などいろいろ
● バスケットボール
● アーチェリー
● パワーリフティング
● 陸上
などでした

失ったものを数えず、残ったものを数える、残ったものを生かす

1945年、第二次世界大戦が終わりました。
体が不自由になった傷痍軍人の社会復帰のための意味が大きかったようです。
当時は、メダルなどなくトロフィーが渡され福祉として位置していました

1960年代、カラーテレビが登場したりプロレスに猪木がデビューします。
だっこちゃん人形が女子の腕に巻きついていたり。
りかちゃん人形、プラレールなどが発売開始。
洋画では、007シリーズ、オードリー・ヘップバーンなど。
ビートルズが来日。

どんどん新しいことが始まった1960年代。
パラレル、もう一つのという意味とオリンピックを合わせたパラリンピックが東京で行われたわけです。
1988年のソウルから「パラリンピック」が正式名称になりました。
それまでは、”ストーク・マンデビル大会”とも呼ばれていました。

いまや、障害者アスリートと呼ばれるほど厚生労働省管轄ではなく、文部科学省へ。
人間の体への挑戦が続いています。

2020年、東京オリンピック開催が決まって、パラリンピックも以前よりずっと注目されはじめました。

不自由になった体のリハビリのその先。
すごい記録がどんどん更新されてていますね。

スポーツ用の装具(義足など)は、保険対象にならないため競技をあきらめる人もいます。
まだまだ経済的な要因が、機具などで差が出るようです。

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1964年の東京オリンピックは、父親の肩車でマラソン幹線。 2020年は、テレビで見ます、たぶん。バブル終焉頃に芸能、音楽産業で働いていました。
山谷を乗り越えて、ここ何年か親の介護ホーム費用のために、節約おばちゃんと化しています。
ミドリガメが、でっかく育ち、チワワも折り返し年齢をこえました。
介護のことは、ちょっと詳しいかも。

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