私事ですが、結婚したのは2007年4月。24歳と2日目。誕生花が桜なので桜季節に結婚したい。
そしてすぐにでも『赤ちゃんを授かりたい』!当時の私は夢みる専業主婦でした。

現実は甘くない…

結婚式も終え、約半年後に妊娠が発覚。

実は私は生まれてすぐに母と死別しています。私の中での『母』という存在は暖かく偉大で愛の象徴。

『母』になることに憧れ、今まさに赤ちゃんが自分の中にいる。この喜びは9年過ぎても忘れられません。
しかし私たち夫婦の赤ちゃんは…たった8週で空へと還っていきました。

重なる病気

ストレスから20時間近く排尿が起こらず救急搬送。そこで発見されたのは左卵巣嚢腫。男性の拳大まで腫れ上がり、卵管や卵巣に膿が大量に付着。
ちなみに私の腫瘍は良性で、拳大の肉の中身は髪、歯、肉など…男性の持つY遺伝子を使わず、私のX遺伝子のみで赤ちゃんを作ろうとしてしまっていたようです。


帝王切開並みの幅の開腹手術をしました。
その手術を約半年近く待つ間に痛みから衰弱し車椅子生活を経験しました。


お医者さんたちのおかげで卵巣も子宮も全て残してもらえました。


そしてここで新たな病名【多嚢胞性卵巣症候群(たのうほうせいらんそうしょうこうぐん)】。


卵子の元の細胞が通常よりたくさん作られ、ネックレスのようにつながり卵巣嚢腫の原因や月経困難症、不妊症の原因を引き起こすらしいです。


さらに血液検査の結果。
私にはホルモン異常があり、女性ホルモンが他の女性より少なく、男性ホルモンも他の女性よりほんの少し少ない。ホルモン値がどちらも少ないホルモン異常が見つかりました。

私も妊娠出産して【母】という唯一無二の存在にりたい。

『今月も自然妊娠はしませんね』との医師の言葉に心が折れそう…いや折れていたその月。
奇跡は起きました!

なんと自然妊娠できたのです!

ただ悲しかったのは妊娠が分かってすぐ、父が心臓発作でこの世を旅立ったこと。まだ『お祖父ちゃん』になったよ!と報告する前です。
今でも悔やんです。

入院・赤ちゃんに会うために!

もともと私は1歳から重い小児喘息があり、大人になった今も喘息は治らず。

出産で発作が出ないようになるべく2800g辺りの赤ちゃんを自然分娩するつもりでした。
しかし予定2日前に3000g越え!

血小板の数値も下がっていて血が止まり難いのも心配でした。

予定計画出産をする流れに決定!




下記からリアルな当時のブログから抜粋した【私の出産レポート】です。

2011年9月21日
予定日当日


2011年9月20日の検診で
先生の「じゃ生んじゃう?」という軽い感じで計画入院が決定しました。



2011年9月21日
朝9時
産院で受け付けを済ませ内診。
バルーンを入れました。バルーンを入れた際、少し出血。下腹部に違和感を感じましたが痛みはさほど感じませんでした。


バルーンって何?


正式名はメトロイリンテル(略して「メトロ」)と言います。その形状からバルーンと呼ばれています。

出典 https://mamanoko.jp

メトロイリンテル(バルーン)は水風船のようなもので、しぼんだ状態の風船を子宮口に挿入し、滅菌した水を注射器でメトロイリンテル(バルーン)内に注入していきます。

メトロイリンテル(バルーン)がふくらむと内側からの圧力で、子宮口が押し広げられていきます。サイズにはいくつか種類があり、子宮口の開き具合によって医師が使い分けます。

子宮口が3~4センチ開きますと、メトロイリンテル(バルーン)は自然に出てくることが多いです。

出典www.ninshin-happy.com

病室がいっぱいだったため、陣痛室を急きょ入院部屋として使用。
NSTをつけて赤ちゃんの心拍数と張りのチェック開始。

10時10分
促進剤(錠剤)を1錠飲む。

その後すぐに不規則な陣痛の波が来ました。


前日に出産して入院していた妊婦友達が顔を出してくれて、少しだけお喋りをしました。




11時10分
促進剤2錠目
病室が空いたので移動。




12時10分
促進剤3錠目


この時から陣痛は10分間隔。
まだまだ余裕があり、「来た来た。これで仕切り直しで退院させられることはない!」と内心安心していました。
※陣痛が促進されないと一旦帰宅し自宅待機と言われていました。



病室に昼食が運ばれ完食。
体力をつけてお産に励む気まんまんです!
それに豪華で美味しいご飯。


松茸にハモ料理。
本当にこの産院にして良かったと再確認した瞬間でした。

夫がお昼ごはんから帰ってくるのを待ちながら、3時10分促進剤6錠目。


促進剤の限界量の6錠に達したので、あとは自分の力で陣痛を起こすのみ



3時40分
先生の内診
子宮口は5~6センチ
「良い陣痛の波と出血してる!点滴の促進剤足さなくても大丈夫だね。自分の力で陣痛起こしてるよ」と励まされ、先生退室。


心の中ですごくホッとしました!
こんなに痛いのに仕切り直しで帰されたらどうしよう!?とずっと不安だったんです。




でも!ホッとしたのも束の間…



先生の内診から37分後
4時17分
いきみたい!!!!!
早くも「いきみ」が来たんです。




今まで「いきみたい」とはどんな感じ?
初めてだし分からない。と思っていました。
本番になって「いきみ」に気付くかな?と不安でしたが、すぐに分かりました!



肛門の奥から押される感覚。
まさに排便欲に近い感覚でした。



私の主観で言うと、下剤をいつも飲む量より多めに飲んで次の日に「飲み過ぎた!」と後悔しながらトイレに駆け込む瞬間。そんな感じです。




そして夫に持参していたテニスボールを肛門に当てて押してもらい「いきみ逃し」開始。

これは出産の雑誌に特集されていたいきみ逃しの方法です。

5時
助産師さんに内診をしてもらうと子宮口5~6センチ


7時
助産師さんに内診してもらうと子宮口5~6センチ


3時40分の内診と子宮口変わらず。
7時の時点で陣痛の間隔は2分間隔



ベッドの手すりにしがみついて、ひたすら「ふ~」「ふぁ~」と息を吐き出し、夫にテニスボールをお尻に全力で押してもらい堪えました。


陣痛の波が来るたびにパニックになりながら、必死に夫の「ふ~」という呼吸に合わせ呼吸を落ち着かせる努力をしました。


NSTの陣痛の数字が上がっていく度に「いきみたい欲」のピークに達する恐怖を感じ、だんだんと意識がもうろうとしてくるのを感じていました。




「いきみたい」と思うのはいよいよ生む直前から始まるものだと思っていました。
自分のイメトレが甘すぎたようです。



痛みといきみたい感で悲鳴をあげて、夫に「助けて!」や「もう出る!出す!」、「怖い!」など弱音を吐きまくり、人格が壊れる一歩手前だったように思います。





その間
何回もナースコールを押しまくり、自分が今何センチ子宮口が開いてるのか気になって助産師さんを部屋に呼んで何回も内診してもらいました。



今思い返しても厄介な妊婦でした。…恥ずかしいです。

いきみたい欲と戦うこと約5時間


9時
やっと病室から陣痛室に移動することに!


あと少し!ゴールが見えた!と幸せを感じつつ、夫と助産師さんに抱えられてベッドを下りた瞬間陣痛の波。

廊下に出て陣痛の波。


「あ~」と声を出しつつ、なんとか陣痛室のベッドに転がりました。



大汗をかきながら、陣痛室を出ようとする助産師さんを捕まえて「私は何時に生めますか!?」って聞いてみたところ…


「深夜12時までに生めたらいいかなぁ~」



えっ!?
12時!?!?


まだ3時間もこのいきみと戦うの!?
助産師さんがキライになった瞬間でした。



私の勝手な逆恨みです。人間って究極に切羽詰まったら怖いですね…出産を助けてもらう人に対して失礼な感情を持ってしまいました。




それから10分から15分間隔で助産師さんを呼びつけて、内診をねだったり分娩室へ入れて欲しいと懇願。



10分おきでもその間にいきみたい感は5~6回はあり、まるで拷問みたいでした。



ベッドに爪を立てて息を吐き続け、悲鳴もあげました。



夫が必死に「声出しちゃダメ!いきんじゃダメ!息吐いて!」と励まし続けていました。



本当に感謝しています。
私一人だったら乗り越えられなかったです。



途中で私の左手の爪がバリっと音を立てました。
夫が「爪が折れたんじゃない!?」って手を見ようとしましたが「知らない!関係ない!」と勢いよく手をはね退けて八つ当たり。



夫が「ごめん」と辛そうな顔をしたのを見て、ハッ我に返り「ごめんなさい!ごめんなさい!」と連呼しつつ陣痛の波と戦いました。




11時30分
助産師さんに内診をしてもらう。
子宮口9センチ



子宮口自体は柔らかいのに、あと一歩赤ちゃんが下りて来ない。


助産師さんに指で子宮口を広げてもらいました。
悲鳴は病棟の方まで響いていたらしいです。




指で広げても赤ちゃんが下りてきていないので全開にならず。
12時になったらまた内診します。と告げて助産師さん退室。



今までシムスの体位(ヨガの体位の1つ)でいたのを、ここで初めてあぐらに変えました。
ここでテニスボールを肛門に当て、ボールの上に乗りました。



陣痛の間隔は1分あるようなないような。
でも波が引いた瞬間に気を失うように寝る…



地獄のような時間を過ごし、12時…子宮口9センチで変わらず。



どうやら赤ちゃんを包む卵膜が厚いみたいで破水しないため赤ちゃんが下りて来ないようなのです。




助産師さんが悩んだ結果、ベッドにペットのトイレシートのようなのを広げて人工的に破水をさせることに。

指で卵膜を破ろうとしても上手くいかず、結局ピンセットで卵膜を裂き破水させました。



破水した瞬間
生ぬるいお湯が内太ももに!
次の瞬間
今まで感じたよりも強い「いきみたい欲」




助産師さんにいきみたくなったら自然に任せていきんでも良いと言われましたが、「全開じゃないのにいきんだら、赤ちゃんが苦しいんじゃないですか?」と息絶えだえに聞いてみました。


「分かってるじゃん!」と助産師さん。



…赤ちゃん苦しいんじゃいきめない!
またもや悲鳴をあげつつ絶え続けました。




12時30分
内診
子宮口全開!



「分娩室行きますか?」
その言葉にベッドから急いで下りて、分娩室へ!




分娩台に上がる瞬間、陣痛の波がきて立ったまま思い切っていきんでみました!



「何か出そう!」と私。

「それ、赤ちゃんだから!」と助産師さん。



叫びながら分娩台に上り、12時35分分娩スタート!




夫がいつの間にかエプロンをつけて横で手を握っててくれました。



今まで雑誌やネット、皆さんの出産レポを読んで「いきみ方」はイメトレ済みです!



助産師さんの説明の前から波に合わせていきんだら、助産師さんに「初産なのにいきみ方が上手ね。もう頭見えますよ!」と言われて俄然やる気!



夫も赤ちゃんが出て来る側にまわり、「頭見えてる!!!髪の毛長いよ」と状況を教えてくれました。



いきむこと7回
先生が登場。
「おぉ~!早いね、頭でてるわ。会陰切るけどあと一回いきんだら出るよ~」


バチン!
会陰に激痛。
私は「痛い!」と文句を言ってから「フン!!!」と勢いよくいきみました!
まさに巨大な排便をする感じ!




赤ちゃんが回転し骨盤(産道)を通りに始めたのを感じました。
さらに頭がメリメリ出てるのを感じ、「ハァ――――!!!」今までの人生で出したことのない声と共にドュルン!と赤ちゃんが生まれました。


もういきまないで!の声を無視していきみ続けたので赤ちゃん、胎盤、血の塊、羊水がドュルンドュルンと勢いよく次々と出ました。

先生も助産師さんも夫も返り血だらけ!
血小板の数値が下がっていて血が止まりにくく大量出血してしまいました。


赤ちゃんが泣かない

赤ちゃんが出たのに一瞬泣かない!


先生が取り上げた赤ちゃんをチラリと見た瞬間、我が子がピクリとも動かない!


一瞬でパニックになり、気が付くと予め決めていた赤ちゃんの名前を思いっきり叫んでいました。



赤ちゃんの首にへその緒が2重に巻いていたのを先生が即座に外して、赤ちゃんの頭を下に向け口の中に吸引チューブを差し込んだそうです。
真横で処置をしていた夫が赤ちゃんの様子を見守っていました。





チューと吸引され
しばらくして「へにゃ~へにゃ~」と声が聞こえ、見る見る赤くなる赤ちゃん!



生まれた!!
生まれた!!!
泣いた!

夫が叫びました!
「ありがとう!ありがとう!ありがとう!」


何回も何回も「ありがとう」を言ってくれて夫は私の名前を呼びながら泣いてました。

へその緒を切られて、血だらけの赤ちゃんをポンと胸の上に乗せられカンガルーケア!



温かくて重たくて
黒目がちの小さな目で私を見つめる赤ちゃん!



私は赤ちゃんの名前を呼び続け、その間に先生は私のお腹をしごくように押さえつけました。



痛みと共に残りの羊水やら血などを出していました。痛いを感じましたが関係ない。
愛しい我が子が胸の上にいる!





計りに乗せられ体重測定をする我が子の写真を撮る夫。



ここで夫は一時退室。


赤ちゃんは体を拭かれたり、身長を計り、私は会陰の縫合。



痛くないってよく聞くけど…赤ちゃんが胸の上からいなくなると麻酔しても痛いものは痛かったです。
生む痛みとは違うけど痛みに違いはない!






そんなこんなで私は人生で初めてお産を経験しました。




2011年9月22日
午前1時00分
49.5センチ
3254グラム
第一子 男の子

我が子は至って健康!
目を開けると二重まぶたでした。



成長するにつれてどんどんと私に似ていると言われます。






ちなみ
お産で大量に出血してしまいました。
通常のお産では500~700ccの出血量に対して私は1600cc超え。
その後も出血がなかなか止まらず。




2011年9月22日1時に出産を終えてからなかなか病室から一人で出させてもらえません。



かろうじて丸2日たった24日に一人で部屋のトイレに行くことを許されました。
増血剤点滴と貧血の注射で治療をしました。
輸血をせずに増血剤点滴での治療だったので通常より入院も長くなりました。



夫が言うには会陰を切開した時、噴水のように血が飛んで凄かったらしいです。
だから先生たち返り血いっぱいだったんですね。



あと胎盤も大きくて、子宮の中に血の塊がたくさんあったらしいです。



お腹が大きかった理由も分かりました。
腹囲1メートル超え、体重も21キロ増加での出産。



本当に赤ちゃんが無事で何よりなのです!




余談ですが、いきみ逃しに使用したテニスボールは真っ二つに割れてしまいました。
産後の痛みは内出血の痛みも混じっていたのかな?

入院中もパワフルな我が子

首にへその緒が2重に巻きつき、なかなか産声をあげなかった我が子ですが入院中は母乳を飲む量がトップの成績。

私も増加した体重のおかげなのか大量の母乳が出て約1年間完全母乳で育てました。
完全母乳育児のおかげで体重も元に戻りました。

そんな息子も今では幼稚園の年中さんになり、すくすくと成長を遂げています。


あの出産の日から今日で5年。 
そうなんです。今日は息子の5歳の誕生日。



出産後、再びホルモン異常や多嚢包性卵巣などで不妊症に戻り…息子の出産が最初で最後になりました。

出来る可能性がかなり低い中、私のお腹に来てくれた我が子。奇跡と思い、素敵なプレゼントに感謝する日々です。

この記事を書いたユーザー

moco このユーザーの他の記事を見る

幼稚園児の子供の母、ときどきモデル。外見も中身も綺麗でいたい!一つ一つの出来事を大切に受け止め記事を書いています。

得意ジャンル
  • 美容、健康
  • ファッション

権利侵害申告はこちら