nhkの番組を見て。

西研という哲学者が話していたヘーゲルの精神現象学の解説が面白かった。
人間の成長過程には三段階あり、
一段階が競争心を持ち勝つことによって自己欲求を満足させること。
二段階が競争心に飽き斜めから眺め自己処理にて自己欲求を満足させること。
三段階が普遍的なものを求めること。

二段階において問題となるのが承認欲求が満たされない点。
三段階においては誰しもが満足するものを創造することによって自己欲求も承認欲求も満たされる。

って感じで理解した。
頭が悪いので文字化しないと頭の中を整理できないために書いてみた。所謂、ノート。
今、考えているのが、宗教は普遍的なものではないのか?故に、私は宗教が好きなのではないのか?

神に愛されていると感じている瞬間、私は承認欲求が満たされる。普遍的な神の事を考えると自己欲求が満たされる。それは一瞬、自己なるものが消滅するからではないだろうか?
では、自己とはなんなのか?
他者との関係性において顕現するものであって、自己だけでは存在しない。故に、人間は孤独を恐怖する。孤独の中にいる内は自己が存在していないのだから当然といえる。だが、孤独を背景にネットの中だけで他者とやりとりをする人々は孤独ではないのか?
私は孤独だと思う。それは情報の問題である。ネットの情報は固定化された情報であり、時間も空間も停止しているからである。生身の人間が与える情報は流動的である。人間の意識は常に流転している。そこに血の温かさのようなものを感じるのかもしれない。
ネットにはそれがない。それに気づかずにネットの中で意識を保ち続ける人間は死に追いやられるのではないだろうか?そこに神も仏もいない。人間の機械化は死を増加させるだけなのだろう。まずは己が孤独の中にいる事を知り他者の中に飛び込むしかない。
結句、ひきこもりの方の精神状態はタナトスに満たされている。
どうすればいいのか?
西研氏が言われていたが、尋ねること、確かめ合うことが大切なのだろう。そこには勇気が必要となる。
人間の勇気とはどこから生まれるのだろうか?私は模倣ではないかと思う。レミゼラブルを見てジャンバルジャンの勇気に胸打たれ、その状態で社会へ出る。私はジャンバルジャンだと思いながら。もしくは、アウシュビッツを思う。ガス室へ送られる訳ではない。社会に出てみようと。
要は感動と知識の応用によって勇気は生まれるのかもしれない。

まだ、頭の中が纏まりきれていない。
交点をもっと探さねば。

現段階のアンサーは
他者を己のように思う連続性が人生においては重要だということ。だとすると、邪魔なバイアスを破壊するにはどうすればいいのか?
非常に難解な命題である。

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36才の男子。
介護の仕事をして生計を立てている。
幼い頃から芸術(音楽、映画、本)を愛している。
宗教と哲学が好きである。
現在嵌り中のモノ。
音楽=AKLO.SALU
映画=レ・ミゼラブルとパコと魔法の絵本
本=軽躁なる日本人 阿川弘之著

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