また起こった悲惨な事件

川崎の上村遼太君殺人事件を思い出させるような凄惨な事件がまた起こった。
埼玉で井上翼君が16歳という若さで、集団暴行を受け無残に殺害された。
一人に対して集団で暴行を加えるという卑劣で卑怯な事件。しかも暴行した少年たちと翼君は知り合って間もないと言う。

上村遼太君の事件の時も、遼太君が「いい先輩だと思ったのに」と言っていたという報道を聞いて、とても胸が痛んだ。
翼君も、たまたま何かのきっかけでこの少年たちと知り合ったのだろう。けれど、すぐに付き合いたくない相手だと悟ったのだろう。だからメールも電話も無視した。
私でもそうする。

けれど、犯人の少年はそれが気に食わなかったと言う。だから暴行したのだと。
暴行は死ぬまで続いた。誰もやめなかったし止めなかったのか・・・
事件として表面化していなくても、こうして集団でいじめを受けている子は、翼君だけではないだろう。全国にどれくらいいるのか想像もつかない。

いじめを苦にした悲しい自殺も続いた

また、夏休み中にいじめを苦にした中学生の自殺が続いた。
中学1年生の男の子は自宅で首をつり、中学2年生の女の子は電車に飛び込んだ。
どちらもいじめを受けていたというメモを残している。
「いじめがなければ生きていたのにね、ざんねん」と書き残した少年。
「もう生きていけません。二度といじめたりしないでください」と書き残した少女。
この少女は、LINEで悪口を書かれたのだと言う。

2人とも学校や親にも相談していたと言う。大人を信頼して助けを求めていたのだ。
追い詰められていても、親の前では明るく振る舞っていたのかもしれない。優しい子ほど、親には心配をかけたくないと思ってしまうから。

悪口の拡散 昔と大きく違ういじめの質の変化

昔から悪口を言う子はいた。
一つ言えることは、悪口やいじめの質が、昔とは大きく違うということ。
昔はどちらかというと、目立つ子がやっかみから悪口を言われることが多かった。ハーフの子がいじめられるのもそうだ。
それが今は、弱い者いじめ、しかも1対多数になっている。

昔なら、一人が悪口を言っても、せいぜいいつも一緒にいる2,3人で言い合っているくらいだった。本人の耳に入っても気にしなければすんだ。
ところが今は、LINEなどですぐに拡散してしまう。自分の悪口をスピーカーで言いふらされているようなものだ。

悪口は、たいていは本人が傷つくようなことや、人に知られたくないようなことだ。そんなことを、自分の周りの大勢の人間に知られてしまうのだ。
言われた子どもが、どれほど恥ずかしい思いをし、孤独感を感じるか、容易に想像できる。

人を傷つけているのになぜお咎めがない?

そうしていじめられた子は、心に深い傷を負うのに、ほとんどの場合、いじめた方にはなんらお咎めがない。口頭での注意くらいのものだ。
上村遼太君や井上翼君のように殺人事件にでもならないと、いじめた人間が刑罰を受けることもない。
自殺の場合は、たとえいじめた子の名前を書き残していても、その子が法的に罰せられることはない。
人を刃物で傷つけたら罰せられるのに、なぜ心を傷つけてもお咎めがないのか?
ここに、いじめがなくならない大きな原因があるように思う。

人を誹謗中傷しても、言われた方が傷つくだけ。 言った方はむしろそれでストレス解消をしているのかもしれない。
間違ったことをしているのに、ほとんどの場合、親も気づかず、先生から注意されることもないのだろう。
たとえ、注意されることがあっても、いじめた方はその時だけ神妙にして謝れば済む。腹の中で舌を出していてもだ。

実際、青森で自殺した二人も学校に相談し、いじめた子達は注意を受けていた。それでいじめが無くなっていたなら、二人は自殺などしていないだろう。
学校から口頭で注意されることにより、いじめはさらに巧妙に隠され、より陰湿にエスカレートしていく。

いじめを防ぐにはいじめっ子をなくすしかない

殺人や自殺に発展するような大きないじめを防ぐには、小さないじめの段階で、「いじめは割に合わない」と思い知らせるべきだ。
いじめたら自分も損をするというシステムを作るのだ。
いじめられる子に「強くなれ」と言っても、いじめる子がいる限り、いじめはなくならない。

自分がいじめられていると思ったら、いつ誰にどんなことをされた(言われた)のかを書き留めておくこと。 子どもがうまく書けないなら親が話を聞いて書き留めておく。
このときの注意事項などは、別に記事を書いているので参考にしていただきたい。
明らかにいじめと思われる状況が続き、子どもが傷ついているなら、学校に相談する。
学校は、それらを判断材料や証拠として、相手の子からも聞き取り調査をする。
その上で、いじめと判断した場合は、いじめた子にそれなりの罰を与える。


学校での罰則

例えば1週間の校門前掃除。いじめの程度により期間や範囲を広げるとかすればいい。校門前で掃除をさせられたら、みんなの目に触れることになる。きっと恥ずかしい思いをするだろう。
でも、いじめられた子は、もっと恥ずかしく辛い思いをしている。相手の気持ちが理解できるだろう。
犯罪まがいの悪質ないじめの場合は、停学や退学という手段も考えるべきだと思う。

いじめられた子は、学校へ行けないほど苦しんでいるのに、いじめた子は何喰わぬ顔で登校し、次のいじめのターゲットを探すだろう。これでは不公平ではないか。
みんなにわかるような形で罰を受ければ、いじめっ子というレッテルを貼られるだろう。その後の行動はみんなから注視されるはずだ。いじめっ子というレッテルを剥がすには、自分の行動を改めるしかない。

学校ができること

それでも改まらない子ももちろんいるだろう。そういう子は、いずれ犯罪者となり、ロクな人生を歩まない。これについても記事を書いている。(下記参照)
それも自分が選んだ人生だから仕方ない。
学校は、いじめが犯罪にまでエスカレートしないように、子ども達を軌道修正していく。

人をいじめてしまう子は、これまでにいじめは良くないと教えられなかっただけだ。知らないのだと気づいた時点で、教えてあげればいい。
人をいじめることで自分も損をする。割に合わないと思い知らせることが大切。自分をコントロールする術を覚えさせなければならない。
大人の社会でもいじめは許されない。大人になればハラスメントとして罪に問われることもあるのだから。

いじめの判定は確かにむずかしい。
それでなくも忙しい担任教師に、いじめ問題の対応まで要求するのは酷かもしれないとも思う。
それなら、学校にも顧問弁護士を置いて、いじめかどうかの判断や対応などを、相談するというのはどうだろう? 今は弁護士も過剰気味だと聞く。

いじめは、いじめっ子がいる限りなくならない。
ならばいじめっ子を減らす方法を考えるしかないのでは?


この記事を書いたユーザー

平川裕貴(ひらかわゆうき) このユーザーの他の記事を見る

元日本航空CA。外資系英語スクールマネージャーを経て、1988年子ども英語スクールを神戸と大阪に開校。外国人講師による子ども英語教育の先駆的存在。

1995年、阪神淡路大震災に遭遇、教室・自宅とも多大な被害を受ける。
震災から得た教訓も活かし、2006年、インターナショナルプリスクール(英語の幼稚園型スクール)を設立、英語教育と人間教育に取り組む。現在3歳から6歳までの子どもを、幅広い視野と思いやりを持ったバイリンガルに育てている。

長年欧米文化に触れてきた経験から、日本と欧米の優れた点を取り入れたしつけを提唱。スクール経営の傍ら、これまでに得た教訓や知恵や知識を伝えるべく執筆活動を開始。
幼児教育研究家。文筆家。コラムライター。英語講師。マナー講師。

ウレぴあ総研『ハピママ』や『IT Mama』に、子育てや英語関連の記事執筆。
フジテレビ『ほんまでっかTV』 に子ども教育評論家として出演。

著書『グローバル社会に生きる子どものための-6歳までに身に付けさせたい-しつけと習慣』(アマゾン)
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