先日、日本テレビが毎年恒例の24時間テレビを放送した。

そして24時間テレビでは障害者を取り上げた企画がなされたりする。

それに対してなのかは分からないけど、裏番組でNHKのEテレが「バリバラ」という番組を放送し、そこでメディアが障害者を取り上げて視聴者の感動を誘う事を『感動ポルノ』と揶揄した事が話題になった。

私は正直その『感動ポルノ』という言葉に不快感を覚える。

確かにメディアに取り上げられる際に、その物語が一面的なものにはなってしまう事はあるだろう。

そして、その様な一面がクローズアップされる事により、別の問題であったり、別のケースが埋もれてしまう事はあるのかもしれない。

しかし、だからと言って、その一例すら否定的に封じ込めようとする動きには疑問を感じる。

そもそも表現は一面的であってもいいはずだし、多面的である必要は無いと思うんだよね。

それよりも、様々にある、それぞれの一面を知る事の方が大切なのではないか。

24時間テレビでやっている企画は、その一例にしか過ぎないと思う。

また番組制作側は障害者を利用している様なところはあるのかもしれない。

でも、それって面白い映画を見たり、面白い書籍を読んだ時、他の方に言いたくなる様なもんだと思うんだよね。

こんなに面白い物語があったんだよ、って。

そんな事まで非難されなきゃならないの!?

そして番組に協力をした障害者本人も番組を利用してる面はあるのかもしれない。

番組の企画にそれだけの価値を感じたから、協力をしたのだろうし、そこにやり甲斐の様なものを感じたりする事もあるだろう。

更に視聴者の方もそれを見て、実際に感動する方もいるだろうし、勇気付けられる方だっていると思う。

確かに、それは作られた感動にしか過ぎないのかもしれない。

でも、実際にそれは事実である訳だから、それはそれでいいじゃんね。

企画は作られたものであっても、それを実行したのは事実だよね。

ドキュメンタリである事を謳っておきながら、ドキュメンタリである事を逸脱する様な演出がなされていれば問題だとは思うけど、そうでないのであれば、一つの表現にしか過ぎない。

見たい者は見ればいいし、見たくない者は見なければいいだけ。

わざわざ番組制作に関わった方々や、それを見て心を揺さぶられた方々を馬鹿にする様な事を言う必要はないよね。

勿論、前述した様に一面的な表現をされる事で不利益を被る方もいるとは思う。

それはまた、別に表現をすればいいだけなんじゃないかな。

決して『感動ポルノ』なんて揶揄をする必要は無いと思うんだよね。

出る杭を打つのではなく、あっちが出るなら、こっちも出る。

そうやって、色々な一面が出てくれば、もっといいんじゃないかと思うのです。

一人一人が埋もれない様に自分で出て行く。

その為の工夫はもっと必要なのかもしれないけどね。

だから一つの表現に対して『感動ポルノ』なんて揶揄をするよりも、他にも色々なケースがある、という事を如何に表現するか。

そっちを議論した方がいいと思う。

そして一つの表現は完璧である必要は無い。

それは障害者に限らず、人間は皆、そうだよね。

欠点や弱点の無い人間なんていない。

そして足りない部分は周囲に補って貰えばいい。

表現もまた同じ。

一面的である事が問題ならば、別の面を別の者が提示すればいい。

一人で多面的になる必要は無く、皆で多面的になれればいいんじゃないかな。

『感動ポルノ』という言葉は、それを否定してしまうと思う。

ある意味メディアに利用される形であっても、それは一つのマイノリティの声であると思うんだよね。

そして、その声を『感動ポルノ』と揶揄する事はマイノリティを萎縮させてしまいかねない。

それは社会から、どんどんと多様な意見を排除してしまうだろう。

同時にそれはマイノリティをも排除してしまう。

そして社会はどんどん縮小をしていくだろう。

社会を維持・繁栄させていく為には、それを防がなければならない。

それなのに『感動ポルノ』なんて言葉が使われてしまう。

それで本当にいいのか。

私はそうは思えない。

そして何故、そんな事になってしまうのか。

それは結局、社会が未熟で幼稚だからじゃないかな。

未熟で幼稚だから一面的な表現が許容出来なくなって『感動ポルノ』なんて言葉を使わなければならなくなる。

恥ずかしい話だと私は思う。

でも、それが一つの現実ではあるのだろう。

今の日本の社会は、それだけ幼稚であるのかもしれない。

それは決して誇れる事じゃないよね。

そして例え、今は未熟であっても、前を向いて進んで行かなければならないと思うんだ。

だから私は『感動ポルノ』なんて言葉は使って欲しくない。

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例え意見が違えども、皆、何かを良くしたいという思いは同じだと思うのです。
そういう意味で、意見や立場が反対であったとしても、
それは敵ではなく、むしろ同志であると私は考えます。
そのような想いを込めて、何かを発信する事が出来るのであれば、と。
そんな風に思っております。

To My Furthest Neighbors In The World...

尚、個人的に力不足を感じた為、
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