去る8月29日、古き良きハリウッド映画において、あの黄金時代のミューズの一人であるイングリッド・バーグマンの命日であった。

イングリッド・バーグマンは1915年8月29日にスェーデンのストックフォルムで生まれ、1982年の8月29日に生涯を閉じた。自身の誕生日に召されるという、巡り合わせと共に彼女がより個を生き、個として生涯を終えた証のように感じる。

イングリッドは3才で母を亡くし、13才で父を亡くす。その後、育てられた叔母も急逝するという不遇の中で演劇に興味を持っていた彼女は自らオーディションを受けそこで国立学校の奨学金を得て演劇を学ぶ。彼女の人生においてその知的で清楚な美しさからは想像もつかない、激しい熱情が彼女の人生を揺り動かすのだろう。

スェーデン出身の伝説の女優、グレタ・ガルボが存在していたことからハリウッドも
ヨーロッパの美しい女優に目を向けるようになった。イングリッドが演劇や映画にて
頭角を表すと、その美しさにハリウッドの敏腕プロデューサー・セルゼニックは目をつけた。このセルゼニックには言わずと知れた風と共に去リぬのプロデューサーであり、この
ハリウッド黄金時代に君臨した稀有な人物であった。
当時のハリウッドにも当然、流行りの路線があり、1930年代、40年代とハリウッド・バビロンなどの著書にある、セクシーだが危なっかしい私生活の人気女優やヨーロッパ出身の高貴さのあるディートリッヒ、ガルボとは違った清楚な美を持つイングリッドにヒチコックなどの大物監督がその美貌に陶酔した。

イングリッドを一躍スターにしたのはカサブランカであろう。
この映画はハリウッドの煌びやかな作品の代名詞になっているが事実、内容的には心もとなかった。イングリッド自身も元・恋人と夫の間で揺れるイルザという女性が
掴めない、と後に語っていた。しかしシーンには美しきイングリッドの軌跡がいくつも残されている。イングリッドにとって美しいと賞賛されるよりも女優として演技が素晴らしいとされることの方がより価値があった。カサブランカ以後、いかにも人気女優路線を歩むのではなく演技力を評価されることに徹した。名優・シャルル・ボワイエと共演し夫に狂気として追い込まれる妻を演じたガス燈は観ているだけでこちらも狂気の恐怖に揺れ
イングリッドは演技は素晴らしく念願のオスカーを手にした。

演技をしたい、演技で評価されたい。
イングリッドの熱情は次々と夢を叶える。
しかし、夢を叶えたのち、スェーデンの夫や娘とは別離することとなり、
娘においては母親という役割になりきれず、2度目の結婚での3人の子供も含め母親
としてのイングリッドは愛情深くとも演者としての熱情には及ばないようであった。
晩年、イングリッドは同じスェーデンの巨匠、イングマル・ベイルマン監督作で
ピアニストとして世界を飛び回るあまりに子供をないがしろにしてしまう母親を演じ、
娘から恨みと悲しみを告げられるシーンは胸が痛む思いであった。イングリッドの
人生とあまりにも重なり過ぎていた。



広く知られているのはイングリッドが不倫に走った、というエピソードであろう。
聖母のように美しいハリウッド女優がイタリアのネオリアリズム旗手である
ロッセリーニの映画に感動し、その感動を伝える手紙に

私が知っているイタリア語はティアモ、
だけ、と記した。

淀川長治氏はイングリッドをこう評した。
映画と結婚した、かわいそうな女性。

幼い頃の両親との別離からか、演技に自身を見出したイングリッドは
その熱情を注いだ。余すことなく注いだイングリッドの熱情は強く激しく
ただ個を生きることだけだったのだろうか。戦禍の最中、ロバート・キャパと恋を
したという。キャパは死に至るとき、イングリッドを愛していると語っていたという話もあるが果たしてイングリッドはキャパを、また最初の夫を、ロッセリーニを愛していたのだろうか。相手が求めると同じくらいに。
イングリッドは自己中心であった、と評伝によって分析された。
しかし、生まれ、生き、その情熱を傾ける何かに出会い求めることは個を
生きることとして幸せなことであろう。充分に。

死に至る彼女の言葉。

豊かな人生を生きた。


イングリッドの美の系譜は続く。
その作品も、彼女の娘・イザベラも、また孫娘のエレットラと。


美の系譜は続く。

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ゆえに美しく言葉を育みたい。
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