私の魂よ、主をたたえよ。
主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。詩編103:2
      (8/28の週の聖句)

 あなたは私の盾、避けどころ、私の救い主、
不法から私を救ってくださる方。サムエル記下22:3

 私たちは、四方から苦しめられても行き詰らず、
途方にくれても失望せず、
虐(しいた)げられても見捨てられず、
打ち倒されても滅ぼされない。Ⅱコリント4:8~9

 ルカ17:11~19
 詩編146
      (ローズンゲン日々の聖句8/28;Ⅳ日)


 天の神、主、「わたしはあるという者だ」と名乗られる方は、より頼む者の盾、避けどころとなってくださり、不法から、暴虐から救ってくださる方なのだそうです。 それで、この方により頼んでいけば、四方から苦しめられるのですが、行き詰ることはなく、途方にくれてしまうのですが、望みを失うことはなく、虐げられ、迫害されるのですが、見捨てられることはなく、打ち倒されるのですが、倒れきって滅びることはないのだそうです。 君主たち、人間の中で力のある人たちは頼りになるように思えます。しかし、どんなに力があるように見える人でも、霊が出ていくと、その人は土に帰り、その日のうちに彼のもろもろの計画は滅び失せます。 だから、人に頼らず、天の神、主を自分の助け手とし、この方に望みを置く者は幸いな人なのだと言われるのですね。 この方、天の神、主、「わたしはあるという者」と言われる方は、天と地と海とその中のいっさいを造った方。とこしえまでも真実を守り、しいたげられる者のために正しいさばきを行い、飢えた者にパンを与える方。捕らわれ人を解放し、盲人の目をあけ、かがんでいる者を起こされる方。正しい者を愛し、在留異国人を守り、みなしごとやもめをささえられる方(詩篇146新改訳)。この方の恵みとあわれみを受けた者は言うのですね。「私の魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない」(詩編103:2)と。 ライと思われる病に冒された人が、「どうぞあわれんでください」とイエスにお願いし、イエスから「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい」と言われ、ユダヤでは、ライ病が治った者は、からだを祭司に見せて治ったことを証明してもらうことになっていたのですが、イエスからそう言われたので、まだ治っていないのに祭司のところに見せに行っていると、その行っている途中で治ってしまい、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏し、感謝したように。この新しい一週間、私たちも。
[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]



"哲学・思想 ブログランキングへ"



[269RANKのランキングサイト]

この記事を書いたユーザー

佐知男 このユーザーの他の記事を見る

愛媛県久万高原町の産。仏教大学(社会福祉)、JTJ宣教神学校卒。キリスト教プロテスタントの教会員。

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス