先日報道された「千葉さな改葬」の記事ですが、無縁墳墓にはおよそ1000を超えるご遺体が眠っております。実はこの千葉さなのように、本来は縁者がいたにも関わらず無縁化された時期があり、その遺族が同所に眠る由縁の方を探す手続きが出来ないことをお伝えしようと思います。

東京都八柱霊園(千葉県松戸市)にある谷中霊園分無縁墳墓

出典筆者撮影

この無縁墳墓には昭和24年(1949)から同27年までに谷中霊園の無縁墳墓から約1,000以上の遺骨が埋葬されております。なぜこの時期になったのでしょう。

昭和25年3月28日付の「東京都公報」

出典著作権期限切(東京都公文書館蔵より)

 上記を参考として、「東京都公報」によると、昭和24年11月19日に発行された第547号により、改葬公告が施行され、順次東京都より登録住所に改葬する旨の通知が送られております。

 ところが、届出住所を見本に掲示した「東京都公報」の該当者住所を見ていると、なかには「○大区○小区」の住所が見受けられます。この大区小区制は明治5年(1872)に発足した制度で、千代田区中央区が主に「一大区」、文京区が主に「四大区」というように決められました。この制度は国民に馴染まなかったために同11年に現在のような「郡村制」になりました。つまり登録住所が大区小区制になったまま残った墓所が残存している現状がわかります。こうした墓所もある反面、昭和になって偶然墓所の存在を失念した遺族もいたのは事実です。

 ご存じのように昭和16年(1941)より勃発した大東亜戦争により、疎開したり、敵対した米国より日本国内にあまねく空襲されるに至り、移転を余儀なくされた遺族もいたのは事実です。こうした遺族についても登録された旧住所に改葬公告を送付しているので、そのまま無縁化された方々も往々にあるということです。

 こうして改葬公告に対し返答のなかった墓所については昭和25年(1950)3月3日、台東区長に宛に申請が出され、同6日に許可が降りたことにより、順次、江戸川区にある東京都瑞江葬儀所に運ばれ焼骨され、4月17日(記録には24年とあるが、25年の誤り)に火葬が終了したと「無縁墳墓改葬許可證」に記載されております。

 このように遺骨を米国統治下という状況からか、一緒くたに地下に掘った穴に流し込み、写真のような施設を建築して現在に至ります。

 ちなみに平成11年(1999)までは遺族の問い合わせがあれば、「無縁墳墓改葬許可證」を縦覧して探すことが可能でした。しかし同年3月19日に施行された「東京都情報公開条例」の第7条第2項によって、縦覧が禁止されるに至りました。

 つまり、個人情報という扱いを受けてしまったため、遺族の問い合わせに対し、「個人情報は教えられない」と回答され、確認不能となったのです。

 これを受けて同法に基づき公開請求を行ったところ、下記画像にある文書のコピーを渡されました。

「無縁墳墓改葬許可證」のコピー

出典筆者蔵

 数か月前に舛添前都知事の公費浪費問題について情報公開した議員が憤慨した通り、黒塗りであり、識別はまったく不可能の状態です。これは現在でもこのような対応がなされているのです。

 千葉さなの一件については偶発的なイレギュラーが発生して、この無縁墳墓から救い出した第1号とはなりましたが、依然、東京都は不服審査請求を行っても認めることはありません。このように遺族のなかで行方不明となった人物を探す手がかりはこうして失われております。

 小池都知事は8月12日の定例会見において情報公開について積極的に行うとは明言しておりますが、果たしてこの無縁として眠る方々を救い出す寛容な精神がこの方針と合致してくださるでしょうか?今後の東京都の施政に期待いたします。

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在野の歴史研究家です。主に幕末維新史を中心に活動しております。昨年は『斎藤一~新選組論考集』の執筆、編集を行い、子孫の縁を経て、斎藤一の写真を公開する等、メディア活動を行っております。

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