誰もが何かを他者に預け、助けられ生きるのだ

『小さき弱き声明文』
〜誰もが何かを他者に預け、助けられ生きるのだ〜

人がそこにおる

あたしは、目の前にいるのが人じゃないと思えたことがないのです。
自分の時間や手間やらを、少しずつ差し出しあい生きてくのが人なのやなと考えて。
あたし、殴られたり、レイプされたり、いっぱい自分を奪われてきました。
洗脳されちゃい、劣悪な環境へと舞い戻る多くの被害当事者の心理と分析されればそれまでですが、あたしは、あたしを犯した子達の優しかった事なども忘れられないのです。
あたしを殴り続けた父を殺してやりたいと憎む心が長くありました。
今、何故あの子達は犯さねばならなかったのだろう?
何故、父はあたしを殴り続けなければならなかったのだろう?
と背景を考える作業をしていくと、誰もが弱く何かを求め、清算せねばならなかったのだと憐れむような慈しむような気持ちになります。
馬鹿なのかもですが、あたしから奪い傷つけてきたすべての人達の罪が洗い流されるようにと願います。

人がひととして罪を突きつけられ、償いを摸索できるように。
人間ではないと、自らの結果を奪われぬように、と願います。

すべての存在が自ら選択し、選択できるだけの情報を得て、判断できる知識としての本来の教育を受け、その結果までを自らのものとできる社会を望みます。
望むだけではなく、その実現のため、自らの表現と人生を捧げ続けます。
あたしが生まれて30年以上を悲しんで生きてきた理由は、これからの人生の意味であると理解しています。
残りの人生すべてをかけて、闇に光を当てていきます。
行こうぜ、社会のど真ん中へ!

にゃき

何でもない料理。あたしは自分の台所が片付かない訳や、自己をすり減らし憔悴し切らねば労働とみなされないことが何故なのかを考え始めて、社会の仕組みに目を向けた。
眠る前に少し自分を振り返り整理できるような時間が無ければ、本来の「生存権」が保障されているとは言えないのだ。
これは、楽しんで作った休日の昼食。取り戻した自分自身でもある。

にゃき記事tweet『人がそこにおるんや』

非暴力は、徹底した「不服従」である

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人生だだ漏れ!生まれついての詩人の魂。反戦・反骨・叙情と感受性の同時多発的な繊細かつ研ぎ澄まされた詩世界で詩文集の著作あり。(「生存権はどうなった」コールサック社2015刊)
自身の人生において常に搾取管理される弱者としての当事的経験の蓄積がある。よって、社会問題、特に貧困、社会保障、福祉、労働などの諸問題の根本を問い明るみにしていくべき闇を突きつけていく所存。観点と観念を多角な側面から捉えていこう。

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