紙媒体では8月3日夕刊に、ネットニュースでは千葉日報15日付朝刊に掲載された記事について、千葉さなが無縁だったことを知らなかったとツイッター等で話題になりました。

 千葉さなについては新聞でも触れております通り、北辰一刀流千葉周作の姪にあたる人物で、安政年間(1854~1860)に北辰一刀流の道場で修業に励んだ坂本龍馬と許嫁(いいなずけ)とされる人物です。実際に明治26年(1893)8月21日付、山梨日日新聞紙上で千葉さな自身がインタビューに応じ、許嫁だったことを告白しております。

 その千葉さなについて、正確な墓所が不詳とされ、追想墓が山梨県甲府市の清運寺に存在するのみで、遺骨の行方がよくわかっておりませんでした。

 ところが、実は平成13年(2001)に発行された『足立史談』399号に八柱霊園無縁墳墓(千葉県松戸市)に合葬されたことが記載されております。
http://www.city.adachi.tokyo.jp/hakubutsukan/chiikibunka/hakubutsukan/documents/d10100169_4.pdf

 この本文に登場するのが『毎日新聞』(現在の毎日新聞とは別会社)で、明治36年に約3ヶ月かけて連載された『千葉の名灸』です。主に千葉さなの義甥、千葉束(つかね)のインタビューを中心としたノンフィクションです。ここに千葉さな死後に起きた出来事が記されております。

 簡略に説明しますと、千葉さなの死去後、熊木家で葬儀を執り行い谷中霊園(東京都台東区)に埋葬された後、家を乗っ取ろうとしたところ、死後養子に迎えた正(まさし)の養母とら(千葉十太郎の娘)が入り込み、今度は熊木家を追い出してとらと内縁の夫が灸治院を乗っ取ったといいます。そこへ台湾から帰国していた千葉束がとら達を追い出して落ち着いた、という一件です。

 なお、『千葉の名灸』の連載が始まった契機は正が明治35年に死去し、死後養子として熊木庄之助の孫、湯本ゆ起を迎えることに異議を申し出、裁判を起こしたからです。

 この記事の正確性を調べたところ、明治36年(1903)に実際に養子縁組無効裁判が実際に行われていることが判明しました。ただ、『千葉の名灸』にあるような熊木庄之助を悪人にするような内容ではなく、熊木家を含む千葉一族の親族会で決めたことに対し、この会議に呼ばれなかった千葉束が無効を訴えて起こした形ということが解りました。これに熊木家のみ控訴し、結果一審が支持され終結し、千葉さな家は廃家されました。

 毎日新聞は以上で終了しておりますが、お墓についてその後、述べられておりません。ここら辺は特に史料のないことでわかりませんが、裁判沙汰までなったことを考えると、名義人であっても熊木家が谷中霊園の墓所を祭祀することが憚られた可能性は否めません。もちろんそれは千葉家でも同様だったかも知れません。偶然ですが、千葉束、熊木庄之助両人とも大正7年に没しており、おそらく長男の鶴太郎(明治15年生)は台湾にいた可能性があるので良く知らず、熊木家も家督を継いだのは養子の慶雄(明治40年生)です。おそらく庄之助の妻でさなの妹であるはまは、慶雄に千葉さなの墓所について語らなかったため、孫の代に千葉さなの墓所について伝わらなかった可能性が高いと思われます。

 一方で谷中霊園では熊木家が墓所を購入、埋葬した記録はあるも、登録住所が神田区(現在の東京都千代田区)となっており、明治32年(1899)に現在の荒川区に転籍した届は出されておりませんでした。熊木家はその後、昭和になって現在の大田区に転籍いたします。昭和24年に改葬広告が出され、登録住所に通知を出したようですが、神田区は大正12年の震災で大正3年以前の除籍謄本が焼失してしまい、本格的に調べたとしても熊木家に改葬の通知は届かなかった訳です。

 こうしたことと、当時の日本は米国の支配下にあったことから一斉に江戸川区瑞江の火葬場に遺体が運ばれて焼骨され、区別されることなくまとめられた遺骨がダイレクトに八柱霊園の無縁墳墓に埋められたそうです。実際に霊園職員が地中に鉄棒を2mほど刺してみたところ、空洞は発見できなかったと言います。

 ちなみにこの『無縁墳墓改葬許可證』が閲覧できるまでが困難を極めました。平成12年4月1日に施行された東京都情報公開条例に基づき、無縁墳墓に埋葬されている人名の公表を東京都が拒絶したからです(出てきたものはご存じの黒塗り)。この閲覧までに約1年を費やしましたが、今回、同条例が出来てから初めて閲覧が叶うこととなり、平成23年8月に八柱霊園事務所で閲覧を果たしました(画像参照)。これによって千葉さなとその養子勇太郎ほか1名が無縁墳墓として合葬されていることが判明しました。

出典東京都が所蔵する『無縁墳墓改葬許可證』

『無縁墳墓改葬許可證』にある千葉さなの記録

 今回、熊木家が無縁であることを不憫に思い、東京都と交渉した結果、ようやく東京都も認め、無縁墳墓に埋没している土を入れた骨壺を渡すに至りました(現在でも名義人の子孫以外返還を認められておりません)。実は戦後のドサクサで1,000名以上が無縁墳墓となった方々について、遺骨返還が行われた初のケースとなりました。さきほども陳べたとおり、戦後のドサクサで、家も焼かれて移転している家もあるなかで行われた改葬なので、遺族さえも知らずに無縁化している人も多いと考えます。こうしたことを考えると行方不明になった遺族の捜索にも一縷の望みとなるのではないでしょうか?

 今後、千葉さなは練馬区の仁寿院にあります熊木家の墓所に納骨されるそうですので、一度お参りに行かれては如何でしょうか。

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在野の歴史研究家です。主に幕末維新史を中心に活動しております。昨年は『斎藤一~新選組論考集』の執筆、編集を行い、子孫の縁を経て、斎藤一の写真を公開する等、メディア活動を行っております。

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