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71回目の終戦記念日を迎えた日本。「二度と戦争という過ちは繰り返しません」との言葉とは裏腹に、第二次世界大戦を記憶する世代は70代後半以上、戦後の語り部は少なくなり、歴史に学ぶ機会がどんどん少なくなっています。

節目、節目に振り返ることは大切だと思いますが、節目が過ぎれば何事もなく過ぎてしまう日常。しかし、忘れてはいけないことがあるのではないでしょうか。多くの若者が戦地に駆り出され、帰る宛のない戦闘機に乗り込み、若く尊い命を投げ出し短い生涯を終えたことを。今回は、享年23歳、愛する人を残し大空に散った穴沢利夫少尉の遺書を皆さんにご紹介させていただきます。

彼の唇に唯一触れたもの…

その女性は、手のひらに乗るほどの小さな箱を箪笥から取り出すと、「大切なものが入っているの」そう言って微笑み、私の前へ静かに置いた。

見事な寄木細工の小箱だった。一体、何が入れられているのだろう。
そっとふたを外してみると、タバコの吸殻がふたつ、綿に包まれて入っていた。
銘柄も判別できないほどに変色し、指で触れれば崩れてしまいそうな――。

「彼の唇に触れた唯一のものだから」

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こう語るのは伊達智恵子さん。60年以上も前の吸殻は、婚約者・穴沢利夫少尉(享年二十三)の遺品。

「女物のマフラーを巻いたまま、敵艦に突っ込んでいった特攻隊員がいる。しかも、その隊員の婚約者だった女性は、未だに健在でいるらしい」

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この写真は、伊達智恵子さんが穴沢利夫少尉の遺影に毎日欠かさず水をお供えしているシーン。価値観の一変した戦後を生き抜き、揺れ動く社会を見つめながら穴沢利夫少尉の果たせなかった思いを胸に人生という物語を紡いできた智恵子さんは戦後71年過ぎ今、何を思うのでしょうか。

享年23歳、命を国捧げた穴沢利夫少尉が智恵子さんに宛てた遺書をご紹介させていただきます。

二人で力を合わせて努めて来たが終に実を結ばずに終わった。

希望も持ちながらも心の一隅であんなにも恐れていた“時期を失する”ということが実現して了ったのである。

去月十日、楽しみの日を胸に描きながら池袋の駅で別れたが、帰隊直後、我が隊を直接取り巻く情況は急転した。発信は当分禁止された。転々と処を変えつつ多忙の毎日を送った。そして今、晴れの出撃の日を迎えたのである。

便りを書きたい、書くことはうんとある。

然しそのどれもが今迄のあなたの厚情に御礼を言う言葉以外の何物でもないことを知る。あなたの御両親様、兄様、姉様、妹様、弟様、みんないい人でした。

至らぬ自分にかけて下さった御親切、全く月並の御礼の言葉では済み切れぬけれど「ありがとうございました」と最後の純一なる心底から言っておきます。

今は徒に過去に於ける長い交際のあとをたどりたくない。問題は今後にあるのだから。常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれることと信ずる。然しそれとは別個に、婚約をしてあった男性として、散ってゆく男子として、女性であるあなたに少し言って往きたい。

「あなたの幸を希う以外に何物もない」
「徒に過去の小義に拘るなかれ。あなたは過去に生きるのではない」
「勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと」

あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。
穴沢は現実の世界にはもう存在しない。

極めて抽象的に流れたかも知れぬが、将来生起する具体的な場面々々に活かしてくれる様、自分勝手な一方的な言葉ではないつもりである。純客観的な立場に立って言うのである。当地は既に桜も散り果てた。大好きな嫩葉の候が此処へは直に訪れることだろう。

今更何を言うかと自分でも考えるが、ちょっぴり欲を言って見たい。

1、読みたい本 「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」

2、観たい画 ラファエル「聖母子像」、芳崖「悲母観音」

3、智恵子。会いたい、話したい、無性に。

今後は明るく朗らかに。
自分も負けずに朗らかに笑って往く。

昭和20・4・12智恵子様
利夫

出典 http://www.chiran-tokkou.jp

長い歴史をもつ日本の中で「たった71年前の出来事」太平洋戦争末期、日本の敗色が濃くなると日本軍は特攻作戦という残酷ともいえる戦法を編み出しました。帰りの燃料を積んでない戦闘機に爆弾を取り付け、穴沢利夫少尉は昭和20年4月12日 鹿児島は知覧から出撃、沖縄周辺洋上にて米国の母艦に体当たりし戦死しました。

「自分も負けずに朗らかに笑って往く。」その真意は今もう知ることはできないのですが、愛する人を残し散っていった穴沢利夫少尉。「智恵子。会いたい、話したい、無性に。」この言葉にすべてが集約されているように思います。

遺書以外にも穴沢利夫少尉が智恵子さんに宛てた手紙があります。そこに綴られている文章は、「死」と向き合わせでいるにも関わらず智恵子さんを想い、日本人である自分が今何を成せるのかが綴られいたそうです。そして、智恵子さんを心から愛していた穴沢利夫さん。戦死された後の悲嘆にくれる智恵さんを支えたのは、穴沢利夫さんの日記だと言います。

智恵子よ、幸福であれ。

真に他人を愛し得た人間ほど、幸福なものはない。

自分の将来は、自分にとって最も尊い気持ちであるところの、あなたの多幸を祈る気持のみによって満たされるだらう。

出典 http://nezu621.blog7.fc2.com

入隊二週間前に書かれた穴沢利夫さんの日記の一節。これが智恵子さんの生きる支えになったそうです。

智恵子さんは、「あなたたちは、命は尊いものだと教えられているでしょうけれど、あの時代は、命は国のために捨てるべきものだったの。
今とは、あまりに価値観が違うから、わからないと思うことも当たり前かもしれないわねね」と言います。

確か戦争を知らない私達は、その悲惨さも「お国のために」という価値観も何もかもが違うのでしょう。しかし、今あるこの生活は、日本を愛し、日本の将来を憂い、愛する人を守りたい一心で大空に散った若き236万人もの尊い命が捧げられているのです。

1945年8月15日、終戦記念日のその日ですら戦闘機に乗り込み帰らぬ人となった方々がいます。特攻隊員だけではありません。戦地では、私達が想像すらできない壮絶な戦いを繰り広げ命を落した方々がいます。

ペリリュー島では、「迎えがこなく暗い洞窟の中で何百人もの日本兵が折り重なるように亡くなっていた」「激しい戦いで1万人に兵士が散った」という話も聞きます。そのほとんどの日本兵の平均年齢は23歳、未来に希望を抱く青年達でした。

戦争は若者の命を落します。残された者の希望を打ち砕きます。過去を美化するのではなく真実を、愛する人を、そして、日本のために命を捧げてくれた方々がいたこと。多くの人が歴史を学び、大空、戦地で昇華された尊い命の上に「今」を生きているということを改めて考え直してみたいと思います。

それでは、最後に国のため死を受け入れた穴沢利夫さんが智恵子さんに宛てた手紙をご紹介します。

智恵子様へ

僕が唯一最愛の女性として選んだ人があなたでなかったら、こんなにも安らかな気持ちでゆくことはできないでせう。
どんなことがあっても、あなたならきつと立派に強く生きてゆけるに違ひないと信じます。

昭和18年9月6日夜

出典 http://nezu621.blog7.fc2.com

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