「NHKスペシャル」2016年8月15日(月)午後8時00分~8時49分、「ふたりの贖罪 ~日本とアメリカ・憎しみを越えて~」という番組が放送されます。

そこに登場する真珠湾攻撃の元飛行隊長、淵田美津雄が連合国軍総司令部(GHQ)に呼ばれ、たまたま渋谷で降りた際に受け取った「私は日本の捕虜でありました」というタイトルのパンフレットがこのお話の一つのカギとなっています。

パンフレット現物のコピーを東京の牧師夫人にいただいたので、その内容をご紹介します。

出典photo;牧師の妻

淵田が渋谷駅で偶然受け取ったパンフレット現物のコピー(The Bible Meditation League)


*以下、本文ですが、文語や旧漢字は直してある部分があります。英語からの和訳なので、日本語の正しくない部分もありますが、そのまま文章を打ち直し掲載しています。聖書の引用は新改訳聖書から引用しています。

「私は日本の捕虜でありました」ジャコブ・デイ・シェザーの手記

私は日本の捕虜でありました。私は40か月もの長い間、日本の捕虜となっていたことがあります。そして34か月の間は独房で過ごしました。

1942年4月18日、日本への初爆撃の際、ジミィ、ドウリットル将軍麾下の一員として、私が飛行しました時、私の心はその国民(日本人)に対する強い憎しみに満たされておりました。

我々の飛行機のガソリンが切れましたとき、我々の飛行機の乗組員は支那の日本軍占領地に落下傘で降下しなければなりませんでした。そして敵に捕らえられましたのです。その時の、私の捕縛者に対します私の心の怨みは誠に堪えがたいものでした。

我々は、我々とは別の飛行機の生存者とともに東京に連れて行かれまして、投獄され、殴られたり、半ば飢餓の状態に置かれました。独房に閉じ込められましたため、他の人々との交際の楽しみをすらも拒けられました。これらの拷問は東京でも、上海でも、南京でも起こりました。

ディーン・ハルマークとビル・ファロウとハロルド・スパッツと申します私の3人の戦友は我々が捕らわれの身になりましてから6か月経て襲撃部隊により死刑を執行されました。

そして14か月後には彼らの中の一人のボブ・ミーダーは栄養失調のため、餓死してしまいました。その時、私は気狂になるほど日本人が憎くてなりませんでした。

ミーダーの死後、間もなく、私は人類間のかかる憎しみの原因について思いを巡らすようになりました。

何が日本人をアメリカ嫌いにさせたのか、また何が私を日本人嫌いにさせたのか、その原因について考えてみました。

考えています中に、人類間の憎悪を真の兄弟愛に変えしめるキリスト教に関して、かつて聞いていたことに、心が向きました。

その秘訣を探り得ますかどうかキリスト教の聖書を調べてみようという不思議な思いに、私はとらわれました。私の捕縛者に一冊、聖書を取り寄せてくれますように頼みました。

ついに1944年5月に警備兵が、その本を持ってくれましたが、たった3週間だけ許すとのことでした。

私は熱心に、そのページを読み始めました。確証は私の心を捕らえました。しばらくして、預言書にやってきました。そしてそこに書いてあることのすべての焦鮎が人間の子供の形でお生まれになりましたが、天国から遣わされました神聖なる贖罪者の上に注がれておりました。

それらの著作があまりにも私を魅了しましたので、私は何回も何回も読みまして遂に6回も勉強しました。そこで新約聖書を読みました。

そこではイザヤ、エレミヤ、ミカと他の旧約記者の予言を正に現実に満たすお方即ちイエス・キリストのお誕生について読みました。

使徒の働き10章43節(新改訳聖書)「イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」なる言葉を固く信じておりますことを発見しましたとき、私の胸は喜びに踊りました。

注意深く使徒の働きを読み終わります前に私は、パウロがローマのキリスト教徒に書き送った書簡の研究へと進んでおりました。

1944年7月8日「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」なるローマ人への手紙10章9節のみことばが私の目の前に判然と特に目立つのでした。

正に、その瞬間に、神に対し私を告白する恩恵をお与えくださいました。そして神は私の全部の私をお赦しくださいました。

後ほどになりまして神の言葉が、実に明らかにヨハネの手紙第一1章9節で「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方 ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」とお約束になっておられることを発見したのですが、神は私のすべての私をお赦し下さり、またイエスのゆえに私をお救いくださいました。

私の体は鞭で打たれましたり、食物の不足などで極度に苦しんでおりましたが、私の胸は精神生活の新鮮さにどんなに喜びを感じたことでしょう。

そうして突然に私は神が私に新しい精神的な眼を既に与えてくださっておられますことを発見しました。

しかも残酷にも、私と私の仲間を飢えさせ且つ蹴りつけた日本人将校と警備兵を見ましたとき、彼らに対する憎しみがすでに慈愛へと変わっておりますことを私は発見しました。

これらの日本人は私の信じる救世主において、何も知らないことを知りました。しかももし、キリストが心の中になければ、残酷であるのは自然のことであることを知りました。

イエスに十字架の苦難を与えた人々が、イエスが十字架に釘づけられます前に、彼を打ち、かつ、彼に唾しましたとき、イエスは拷問の瞬間にも穏やかに「お父様、お許しくださいませ。彼らは知らずに、こういうことをするのですから。」とお祈りになったということを聖書で私は読んだのです。

そして今や、心底から私もまた神様に、私に対し拷問をする人々をお許しくださるようお祈りしました。

キリストの心が、私の中にお働きになりましたので、彼らが他のキリスト信徒のようになりますように、救いの福音を日本人に知らせてあげますよう私の最善を尽くす決心をいたしました。

彼の愛が私の心を支配しておられましたので、コリント人への手紙第一13章は活き活きとした意味を増しました。

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、 不正を喜ばずに真理を喜びます。 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。・・・」
コリント人への手紙第一13章4~8節

1年は過ぎ、その間私が聖書とともに過ごすことを許されました数週間の記憶は日に日にいっそう喜び深きものとなりました。

その折ある日、北京の独房に座っておりますと私は気分が悪くなりました。ミーダーが餓死の前に心臓が病んだと言っておりました丁度同じように、私の心臓が私に苦痛を与えました。膝の間に頭を入れまして私は祈り始めました。

遂に彼らは私を一人残して出て行きました。神は、その折いかに苦難に耐えるべきかを私にお表しになったのです。

遂に自由は参りました。1945年8月20日、アメリカの落下傘部隊は監獄の構内に降下し、我々の獄舎から我々を救いだしてくれました。

我々は合衆国へ飛行機で送り返され病院に入りまして、そこで徐々に我々の体力を回復しました。

今、私は宣教畑での仕事に備えつつ、キリスト教の大学でおしえを受けております。神は私に明らかに「行け、そしてイエス・キリストの血の贖いによる救いの道を日本人に教えよ。」と私に明らかにお命じになりました。

私は神様のご命令に従っております。私の訓練が完了の暁には、キリストを知らしめるという一つの単純な目的だけで、日本へ、宣教師として参るつもりです。

私は、この証を、各地の人々にお送りしているのですが、特に日本と支那の人々にお送りしております。私は、大勢の日本の方と支那の方が、イエス・キリストを彼らの個人の救い主として告白されますことを熱烈に祈っております。

ジャコブ・デイ・シェイザー記す。

出典photo;牧師の妻

冊子が生んだドラマ「毎日新聞」より

ドーリットル隊のジェイコブ・ディシェザーのパンフレットが思いもしないドラマを生んだ。終戦から4年、1949(昭和24)年冬のことだった。

奈良から上京した男が渋谷駅前で偶然パンフを受け取る。「私は日本の捕虜でありました」というタイトルに引き付けられて一気に読むと、書いたのが真珠湾攻撃に怒り、志願して名古屋を爆撃した元米下士官だと知る。 

 男は、その日47歳になった真珠湾攻撃の元飛行隊長、淵田美津雄。連合国軍総司令部(GHQ)に呼ばれ、たまたま渋谷で降りた。それがきっかけの一つになり、淵田はキリスト教に回心。戦争の考え方は180度変わる。 

 「戦場ではたくさん殺した方が勲章にありつける。真珠湾では3000人も殺した。しかし私は、その遺族たちを思いやって胸のうずくのを覚えていた。戦争も正義の名において平和へ至る道だと心得ていた。(だが)正義は人間が勝手に決めるものではない」。

淵田は、自叙伝「真珠湾攻撃総隊長の回想」(講談社文庫)に、そう書き残した。 

  日本を憎んでいたディシェザーは、戦後日本での布教活動を決意する。48年末に来日し、兵庫県西宮市を拠点に全国を行脚。淵田との対面も果たす。

50年6月ごろ、大阪市の集会に1人で参加した高校生の高見敏雄(83)は、ディシェザーの話に感銘し、後に牧師となる。高見は「あのころ私の家は家庭崩壊の危機でした。人を許す大切さを知ったのは大きな衝撃でした」と打ち明ける。 

  ディシェザーは、58年に日本の信徒たちの求めで、爆弾を落とした名古屋に拠点を移す。長女キャロル・アイコは、著書「リターン・オブ・ザ・レイダー」で、ディシェザーが「神の与えた試練」と戸惑ったことを明かす。

77年の引退まで日本で活動し米国に帰国するが、阪神大震災(95年)の後、82歳の時に西宮を訪れ、被災者を見舞う。淵田も米国で布教するなど、ともに生涯を通じて日米で平和を訴えた。 

  2人が戦争で学んだのは、憎しみの連鎖を断ち切ることである。ディシェザーを知る西宮の牧師、島田巌(80)は「憎しみを克服するのは、お互いを知り許すこと」と説く。
 
話を太平洋戦争に戻そう。日米両国は2人が関わった真珠湾攻撃とドーリットル隊空襲で、憎み合い、最悪の道を歩む。

出典毎日新聞

おわりに

終戦記念日のある8月には、戦争を題材としたドラマやテレビ番組が放送されます。その多くは、戦争の悲惨さを伝えるもので、今なお生存している人の声などは、戦争を知らない世代の私たちが耳を傾けるべきだと思います。

「NHKスぺシャル」ふたりの贖罪 ~日本とアメリカ憎しみを越えて~は、戦争による「憎しみ」や「憎悪」の連鎖から、どのように解放されていったのかを知ることができます。

過去の歴史を学ぶとともに、今後、日本が戦争に向かって行く場合、私たちもまた「憎しみ」や「憎悪」の連鎖に巻き込まれていく可能性があります。

「ふたりの物語は、「憎しみと報復の連鎖」に覆われた今の世界に、確かなメッセージとなるはずである。」(NHKスペシャルサイトより)

報復に終わりはなく、憎しみは人生を台無しにしてしまうこと、また許しがたい思いや憎悪の念を変える「愛と赦し」とはどういうものなのかを知る手掛かりとなる番組であるようにと願います。

ameblo;牧師の妻こころのブログ




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