誰もがやりたがらない中、学校、子ども会、町内会、各種役員を歴任している女性がいる。

毎日、暑い日が続いていますが、夏といえば夏祭りのシーズン。自宅が寺院のため、この7月、8月は夏祭りや盆行と一年で最も多忙な時期になります。檀家の皆様のご尽力のお陰で、今年の夏祭りも無事に終えることができました。その参りにこられた方の中に見覚えのある人がいました。ご近所の方も多いですから、当たり前なのですが、その方は同じ町内の方でした。我が家の高一の息子より一年上の息子さんがいます。町内会、学校の役員、子ども会の役員と、役員を歴任している姿をよく見かけてきました。最近は他の方もブログで書かれているように、役員というものをやりたがる人はあまりいませんね。

役員選出されても、その責任を果たす気さえない保護者が多い現実。

ただ、イヤでも選出されたなら任期の間だけはせめて精一杯役員の責任を果たすべきだと私は考えています。しかし、最近はこれさえもしない、できない人が多いのが現実です。選ばれても、ろくに役員会に顔を出さない人が増えています。一人がそれをやってしまえば、必然的に右に倣えで「あの人がやってるなら、私」という感じで、皆がボイコットするようになります。

去年の中学校の役員会では、実際にそういうことがありました。結局、そうなると役員会の活動そのものが立ちゆくかなくなります。そして、夏祭りで見かけたTさんは、そんな中で何度も役員を引き受けてされている方でした。

ろくな話し合いもせずに会長を決めた役員選出会。

今も忘れられない出来事があります。

以前、子ども会(町内)の会長選出のとき、こんな会話をしていた人たちがいました。「Tさんからの伝言。もし誰も引き受ける人がいなかったら、私がしても良いだって」。「じゃあ、もう話し合いなんて必要ないでしょ。Tさんにやって貰おうよ」。それで会長はTさんに決まり、皆はげらげらとイヤな感じで笑っていました。ろくに話し合いもせずに、決まったのです。しかも、そのときに集まった保護者の中には一度も子ども会役員をしたことのない人も混じっていました。

しかし、Tさんは、そういう人です。誰もやりたがらない役員を引き受けてやるような人です。少し役員から話が逸れるのですが、Tさんという人の人間性を物語るような出来事があります。

息子の吐いた吐瀉物を手のひらで受け止めてくれたTさん。

忘れもしない、我が家の長男が小学校三年の時、その年は私が子ども会の会長でした。地区の町内別運動会では、会長は一日中会場にいて色々なお世話役をしなければなりません。かなり忙しく、自分の子どもを構う時間はありません。そんな中、出されたお弁当を食べていた息子が突然、嘔吐しました。会長の仕事で何かしていた私は慌てて息子の側にいきました。その時、隣にいたのがTさんでした。

怒るどころか、微笑んで「上手に吐けたね」と息子を褒めてくれた女性。

誰もが驚きに固まっている中、彼女は咄嗟に手のひらで息子の吐いた汚物を受けて下さいました。「ごめんなさい」。私が言うと、彼女はにこりとして「こんなことはたいしたことではありませんよ、それよりも周囲に零さなくて良かった。上手にできた」。と、息子を悪く言うどころか、上手に吐けたと褒めました。

正直、我が子の吐瀉物であったとしても咄嗟に手のひらで受け取るのは難しい、なのに、Tさんは他人の子の吐いたものをごく自然に手で受け止めたのでした。よく、その人のふるまいを見れば、その人のすべてが判るといいますが、私はTさんのその行動一つで、彼女がどんな女性なのか理解できるような気がしました。責任感があり、誠実で、しかも優しい偏見のない人なのだと思います。

 

あれから長い年月を経た今も、私はそのときの衝撃と感銘が心に残っています。

出席者一名だった最後のPTA役員会。

先ほどTさんのエピソードをご紹介する前、我が子の通う中学校で役員会の出席者が一人であったと申し上げましたが、何を隠そう、私自身が役員を経験したときの出来事です。私は広報部という部署に所属していて、その部会の出席者が回数を重ねるごとに減ってゆき、二学期の終わりには私と他の保護者と二人、更に三学期の最後の部会では私一人になってしまいました。

役員が無責任だと困るのは先生であり、我が子だということに気づかない保護者が多い。

広報という名前からもお判りのように、そこでは学校新聞を発行するのが主な仕事になります。当然という言い方が適当かどうかは判りかねますが、当然ながら、新聞の原稿を作るときに集まったのも役員は私と他のお母さんの二名で、後は中学の先生だけ。先生は四人ほど担当の方がいましたから、本来なら父兄の方が多いはずなのに、そのときは先生の方が多いという奇妙なことになりました。

その時、担当の先生方は「困ったな」を連発していました。本当に、頭を抱えておられました。先生いわく「僕たちが原稿を作ったとしても、できないことはないのですが、それではPTAの新聞にはならないですからねえ」。

できればやりたくないと思っていた私の心を変えた先生のひとこと。

PTAの略は「Pairents」と「Teacher」(正しくはParent-Teacher Association)ですから、子どもの親である父兄と学校の先生方の相互協力があってこそ、初めてPTA活動が成り立ってゆくのだ―、と説明された先生のそのときの話がとても印象的でした。

実はそのときまで、私自身、役員の仕事にさほど熱心であるとは言えませんでした。ただ、真面目だけが取り柄の私はずる休みということができないだけだったのです。ですが、その先生の一言が私の心を決定的に変えました。

車輪の片方が欠けては、車は動かない。PTA役員である保護者が無責任に役員の仕事を放棄すれば、PTA活動はたちゆかなくなり、結局、困るのは可愛い我が子たちでないか。ならば、せめて役員に選出されたからには、きちんと親としての務めを果たさなければならない。

部会出席者が少数で、本当に困惑しておられた先生方の様子、そのときの言葉で私は悟れたように思います。我が子が学校でお世話になっているからこそ、在学生の親は1度は役員の務めを果たさなければならないように義務づけられています。役員の仕事は「強制的にやらされる苦役」でなく、「大切な我が子が通う学校をよりよくするための親としての活動」と捉えるべきできではないでしょうか。

恐らく一年を通して、すべての部会を欠席した役員も、部会に人が集まらなくなって困っている先生方を見れば自然に考え方が変わってくるのではと思うほど、そのときの先生たちの表情は切羽詰まっていました。

以前から是非、お伝えしたかった想い。

私は四人の子の母ですので、役員も何度かやらせて戴きました。その経験の中では、実に色々なタイプの人がいました。「私は夜の仕事があるので、1度しか部会は出ない」と堂々と宣言したお母さんが実は「当てられて無理にやらされるのはイヤだから」と自ら立候補した役員だったこともありました。その人は驚くべきことに、上の子、下の子と二人のお子さんのときに同じセリフを言って役員に立候補していました。ろくに部会に顔を出さないのに、1度出ただけで「役員の仕事は果たした」と言い切る人に正直、呆れたものです。また、部長に選出されて、結局、1度も部会に顔を出さずに何もせずに押し切った人さえいました。

そんな人たちを見て、疑問は募るばかりでした。どうして、せめて任期の間だけでも責任を果たそうという気にならないのか。そう考えると、とても残念でした。しかし、そういう無責任な人たちが増えてくれば、先生が危惧されていたように、しまいにはPTA活動そのものが動いてゆかなくなってしまいます。結局のところ、役員に選ばれた人が嫌々やっている限り、同じことの繰り返しでしかありません。

繰り返しになりますが、PTAの活動は親に課せられた苦役ではありません。大切な自分の子どもがお世話になっている学校をよりよい状態にするための活動だと理解すること、選出されたからには任期の間はきちんと役員の務めを果たすことは親としてというよりは、むしろ常識ある大人としてのマナーではないかと考えます。

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フリーライター。ウェブ小説を書いています。2013年、「歴史浪漫文学賞」において最終選考通過。入賞候補作品「雪中花~とりかえばや異聞」書籍化。洋の東西を問わず、歴史が大好き。自称【歴女】です。韓流時代劇に夢中。そのほかにも美容・天然石アクセサリー作りなどに興味があります。
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