7月10日の参院選を前に、様々なところで選挙活動が行なわれている。

3年前にネット選挙が解禁されて以来、TwitterやFacebookなどのSNSでも頻繁に目にするようになった。

Twitterに比べ、実名で登録している人が比較的多いFacebookでも、連日、自分の応援する候補者、支持する政党、特定の嫌いな政治家や政党を批判する記事をシェアや「いいね!」する人がみられる。

実際に顔を合わせて言いにくいことでも、名前や仕事、家族や住んでいる地域が分かってしまうとしても、Facebookならある程度一方的に自分の意見を拡散することができるのだろう。

震災とSNSの普及

私がFacebookを始めたのは長男が生まれて間もなくの2009年。
年末年始に夫の実家に帰省した際、海外生活の長かった夫の従兄弟に誘われたのがきっかけだ。
それまではmixiをメインに、日々の出来事や、感じたこと、婚約したことから、結婚、出産報告まで、様々なことを綴ってきた。

Facebookを始めた当時は「友達」はその従兄弟ひとり。
当然「いいね!」は一つだけだったが、気にならなかった。

次第にポツリポツリと友達申請が増えたが、急激に増えたのは2011年の東日本大震災以降だったように記憶している。

震災当時、私は群馬県に住んでおり、親族や友達が多い東京よりも震源地が近いためか、かなり揺れた。
ニュースでも、北関東は震度6弱と報じられ、さぞ心配していることだろうと、自分と息子が無事であることを伝えるため、離れた家族に連絡を取ろうと思ったが、メールも電話も全く繋がらなかった。

そんな時に役に立ったのが、TwitterとFacebookだった。
それぞれに無事であることを書き込み投稿。
「いいね!」や、安心した旨のコメントやリプライがあり、仕事場にいた夫ともなんとか連絡が取れ、この時初めてSNSの凄さを実感した。

そんなこんなで、周りも世間もSNSの便利さを実感したのか、日本でもスマートフォンの普及とともに、Facebookがかなり普及していったように思う。

「リア充」アピールの場となったSNS

始めのうちは、兄弟、親戚、リアルな友達が多かったが、さらに普及するにつれ、お世話になった学校の先生や、以前働いていた職場の先輩や同僚、子供を通して仲良くなった、いわゆる「ママ友」まで、私と関わるあらゆる人たちと「友達」になった。

mixiの日記代わりに思ったことを思い立った時に、どんどん投稿していた私は、タイムラインが私の投稿だけにならないよう、投稿頻度を1日に多くても2〜3回程度にしなければ…と、少し気を遣うようになった。

また、スマホの普及で「セルフィー」と呼ばれる、いわゆる「自撮り」の流行で、自分や家族の写真を載せることに抵抗が少なくなった人も多いだろう。
そうした背景もあってか、「リア充」をアピールする投稿がタイムラインのほとんどを占めていた。

SNS疲れとデマの拡散

投稿内容に少々気を遣いながらも、それなりにFacebookを楽しんでいた私のタイムラインに、ある時「原発事故による放射能で数年以内に日本に住めなくなる」、「安保法案が可決されると、旦那さんや子供を徴兵制に取られる」、「安倍政権の独裁によって、特定秘密保護法が施行され、人権や表現の自由が脅かされる」…といった、一見するとギョッとしてしまうような記事や投稿を、シェア、「いいね!」する一部の人が現れた。

初めてそのような記事や投稿を目にいた時は、さすがに驚いて「えっ?本当に?!」と思い、そのリンク先に飛ぶ。
その根拠を探そうと、時間の許す限りネットで検索して調べた。
すると、だいたいが科学的、理論的な根拠がなく、また、数値的なデータに基づいたものでもなく、大げさに不安を煽るだけの、いわゆるデマばかりだったのだ。

「安保法制」に関して言えば、「ママたちに拡散!旦那さんや子供たちが徴兵制に取られる!」とかなり具体的な記事まで目にした。
前述の通り、まず「安保法制って何?どこかのブログかサイトにわかりやすくまとめられてないかな〜」と調べることにした。

まずは1次ソースで調べましょう

色々なサイトを調べ、ようやくたどり着いたのが首相官邸のHPだった。
読んでいくと、ものすごくシンプルでわかりやすく丁寧な説明が書かれていた。
「これを読んで、どこをどう捻じ曲げて解釈すると、徴兵制なんて言葉が出てくるのだろう。反対する理由が見つからない。」
本当に素直にそのような感想を持った。

今まで特別政治について勉強してきたわけではない私でもすんなりと理解できたのに、ではなぜプロである政治家が反対するのだろうか。
また、新聞やテレビでも反対派の意見ばかり報道し、それらしい肩書きのそれらしいコメンテーターがさらに不安を煽る。
安保体制が可決されると、何か困ることがあるのか、あまりにも偏った報道に憤りさえ覚えた。

デマを拡散する人への反撃

自分の調べた内容に根拠があることがあることがわかると、今度はそのデマを信じて、シェアや「いいね!」してる人たちに向けて、
「違いますよ!本当はこうなんですよ!」と投稿する。

普段「子供がこんなことしました」、「休みの日に家族でここに行きました」…そんな投稿をしている私が突然政治や時事問題について投稿すると、当然のことながら「いいね!」が全くつかない。
「この人、どうしちゃったの…」と戸惑い、スルーするかドン引きしている人がほとんどなのだろう。

そんな周りの反応を気にして、しばらく普通の「リア充アピール」でおとなしくしておくことにした。

しかし、去年のちょうど今頃から「安保体制」や「集団的自衛権の行使容認」に反対する記事や投稿が増えてきた。
しかし、そのような投稿が増えてきたのは私のタイムラインであって、夫のタイムラインにはそんな投稿をする人など全くいないという。
きっと、それが大半なのだろう。

私の学んだ環境によるのかもしれないが、友達の多くはアート、音楽、デザイナー、作家など、様々な分野のクリエイターが多い。
その友達の友達もアーティスト系が多いようだ。

中にはきちんと現実的な考えの人もいるが、やはりというか、なぜかといか、反政府的な考えの人が多く、またそういった投稿に「いいね!」をつけるだけで、私のタイムラインに現れる。
もちろん、反政府的な考えを否定したいわけではない。
それがきちんと根拠があって、感情ではなく理論的で的確ならば、どんどん発信し議論すればいいと思う。

しかし大概が感情論で、妄想、妄言、お花畑と言われても仕方のないものばかりなのだ。
私が「それは違う」というような意見を投稿しても、反論しようとしない。
「武力に頼らず外交で対話を」と言っているような人たちが、全く対話しようとしないのである。

facebook上でシェアや「いいね!」は、「私はその意見に賛同します」と言っていることと同じで、それを一方的にしておいて、反対意見があればダンマリを決め込む、そいういった姿勢は卑怯ではないかと思う。

実名や学歴、子供の写真や住んでいる地域を晒して、リスクがあるのを承知で私は自分の意見を発信している。
それは、「間違ったことを言っていない」という自負があるからだ。
たとえ、間違いがあったとしたら是非指摘していただきたい。
また勉強し直し、反省し、考えを改めたいと思う。

タブー視することへの疑問

そもそも、自分たちの生活とは切っても切れない政治。
それを、様々な意見や考えがあるからと、腫れ物を触るかのような感覚でタブー視するのはいかがなものだろうか。

私は去年の安保法制可決からずっと政治に興味を持ち、新聞やテレビでは取り上げないことを調べ、子供が寝てから国会中継をYouTubeで視聴している。
だからこそ、今回の参院選は結果が楽しみな反面、投開票日までドキドキハラハラして、どのように世の中が変わるのか、自分が歴史の1ページにいられるのがとても面白い。

「若者の政治離れ」と言われている中、私たちは子供の頃から「政治と宗教の話をしてはダメ」と教えられる。
では、いつどこで政治について触れれば良いのだろうか。
家庭によっては、宗教や政治に偏った環境もあるだろう。
そこで育てられた子供はいつどこで自分の両親とは違う意見に触れることができるのだろうか。

少なくとも私は、せめて自分の子供には現職の総理大臣の名前と顔くらいは知っておいて欲しいと、小1の息子に「この人が今の日本のリーダーなんだよ」と教えている。

政治と日常が切り離されたものではなくて、政治がもっと身近に感じられる社会に、私たちで変えていきませんか?

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東京都出身。
高校、大学で美術(工芸)を専攻。
現在6歳、3歳、2歳の三兄弟の母。
30代前半の専業主婦。

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