家を建てる際、ご近所や知り合いが協力をしてあげたいけど、どのようにしたらよいのか?さっぱり難しい・・かつてあった建前協力などのきまりのようなものはあるのでしょうか?

「建前」といえば、私は建築の仕事をしていた関係上、今は残念ながらかなり薄れてきている風習儀式としての建築物の上棟式のことが思い浮かびます。
しかし、通常は「本音」の反対の意味で用いられているのが「建前」というものでしょうから、その場凌ぎの飾りであったりその時だけを装う方便のように考えられますね。
ですから、一般的な意味からは特に商売人などがお客様とのおだてや褒め言葉に多用するように本音はお金稼ぎなのだがそのためには日頃のコミュニケーション持続がなにより大切なために、建前を日常のお付き合いの基本第一のアイテムであると考えられるでしょうね。
   
そこで、わかりにくいのは建築工事のほうの建前のことなのですが、その儀式の言われはどういう理由によるものなのでしょう?誰にも少し関心があると思いますので、正式にとまでは言えませんが、そろそろ少し考え始めてみたいと思うのです。

先ず未解明な謎としては、昔からあったと思える建築の建前とは必ず行わなければならないような原則的なきまりに則って行われていた儀式なのかどうかということと、そして、もしそれが単なる風習的な約束事に過ぎなかったとしても、人の誰もが持つべき個人資産のうちの最も基本と考えられる住宅づくりにおけるかつてから存在した伝統儀式をほとんど誰もが知っていながらにも、その考えすら国全体規模で廃れて行ってしまったのか?
  
ちょっと考えられることは、国の法律の奥底や神主さんなどの宗教的祭司の世界においてかつてはきまりがあったものの、それをある時一律に廃止して、希望者だけがするように変わったのではないかということです。
私はかつて30年近く建築に関わり設計事務所も登録して経営しておりましたが、建築基準法や不動産に関する民法などの国の法律のほとんどを調べてみても建築工事の上棟式に関する決まり事は一切法律化されてはいないのです。
また、特にローカルの集落などにおける民家住宅などを造る際、その地域の隣り近所やその家の身内親族など近い間柄の人たちが手伝ってあげて上棟するなどの風習は今でも残っていると思います。それらの手伝い協力の人たちは今の時代、厳しく考えればいくら知り合いでも個人の直接なプライバシーに触れてしまう訳ですし、それなりの認可された工事業者でもないわけで、大事な資産にうっかりにも違法な手抜き工事が行われた場合など万が一のことを心配しますと、それなり簡単なりにも法律のどこかに規制や条件などが定められているはずではないかと誰もが考えるのではないでしょうか?
 

 
そのようにあらためてじっくりと考えてみますと、建築とはそもそも神社仏閣とは縁が深く宗教色がとても濃い業種なのですが、たとえば建築業者の中でも宮大工といって通常の住宅専門の大工さんとは異なる区分があって、神社仏閣の建設は通常の建築技術とは異なる手法でできているのです。しかし、そうであっても建築基準法による工事監理範囲には国中すべての建築物に該当するようになっていて、どんなローカルで都市計画策定もないような地区の様々な工法の伝統的建物であっても一応はすべてに適応されるのが建築基準法なのです。
ところで、その建築基準法によって伝統的な神社仏閣も建設されているわけで、神社仏閣の建物を造営することとそれを依頼する一番の責任者である神社神主さんやお寺住職さんが工事依頼の最高責任立場として建築工事業者よりも建築基準法の内容をよく知っているかといえば決してそうではないのが現実なのです。そもそも神主さんや住職さんが国の法律に関して特に詳しいというわけではなく、一般国民と同様と考えるのが適切といえましょう。

しかし、建築をする際の儀式の重要性は国民の生活教育にとって極めて大切であり、また住む地域への関連付けなどにおいてのきまりは必ず国の法律に定められていると信じ込んでいたケースが実はかつての神主さんや住職さんには多く居られたと考えてみてはいかがでしょう?
それが実際なら、皆さんもだいたいはご存じのように昭和56年以前の改正前の旧建築基準法によって建てられた建物には耐震診断が必要ですという具合に、昭和56年以降に建築基準法の大改正が行われていたのです。
実はそれにより改めて神社仏閣建設の規準も新しくなり、それにちなんで国内の神社神職、寺院住職も建築を特に興味を持って独自に勉強されて、その時代の頃、初めて上棟式などの建築儀式なるものが実は古く昔から国としての立法化はされてはいなかった事実と、その後においても立法化はする計画がないことがやっと明らかになったのではないかと思えるのです。
つまり、それを明確に各々の法律勉強から知ることにより、それまで法律で定めたやり方で運営されていたと過信していた建前儀式などは宗教的意味合いでのみ判断すれば良いということをしっかり把握できたためと考えるのが有力推理ではないかと思えるのです。

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私は、まちづくりをもし専業にできたら素敵だと思っています。
世の中には、国造り、会社づくり、モノづくり、人づくり、お金づくり・・・さまざまな「つくり」がありますね。
その中でも、まちづくりとはわざわざ心掛けて作ろうとしなくとも、放っておけば出来上がるかのような最も漠然と掴みどころのないものに思えます。
しかし今あちこちで、何かとまちづくりが大切であると、なぜ呼びかけが始まりだしているのでしょう?
 
私は、まちづくりの動機の動機と言えば、ただのきっかけだけがカギを握っていると思います。
そして、まちづくりとは案外、国造りよりもっと大きな心がけを必要とするのではないかとも思えています。
それは、誰もが最も身近に感じ得る共通の課題意識であることである共に、一体まちづくりをどうすべきであるかは誰にも直接にはその責任や方法を知り難いことだからだと思います。
いわゆる、自分に直接降り掛からなければどうでも良いことこそが一番複雑で難しい問題であると言えるでしょうね。
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