幾多の苦難に耐えたヘルムズリー・ビル。今凛として…

『ヘルムズリー・ビルと旧パンナム・ビルのコラボレーション』Helmsley Building 

ニューヨーク市ミッドタウン・マンハッタン東45丁目と46丁目の間のパーク・アベニューに位置するこのヘルムズリー・ビルHelmsley Building(画像の手前、ライトアップされている尖塔を抱くビル)は、1929年に完成したボザール様式の35階建てで、建設時はニューヨーク・セントラル・ビル(New York Central Building)という名称でスタートします。

後方に建つパンナム・ビル(現在のメットライフ・ビル)が建設される以前は、ニューヨークの巨大複合施設ターミナル・シティのランドマークとしてその威容な姿を誇っていました。

でも、ビルは一般人も含めた出資者により完成したこともあり、その維持が困難になったことで、ニューヨーク・セントラル鉄道会社はビルをゼネラル・タイヤ&ラバー・カンパニーに売却します。売却後、ビルの名称はニューヨーク・ゼネラルビルNew York General Buildingに変更。でもそれでも落ち着くことはなく間もなくしてビルは、今度はヘルムズリー·スピアへ売却されたのです。その折、現在の名前ヘルムズリーとビル名が変わり、現在に至ります。

ヘルムズリー・ビルと旧パンナム・ビルのコラボレーション

《ドバイの王室が取得してもビル名はヘルムズリー・ビルのまま。それはなぜか?》

ビルの売却はその後も止まることがなく、1998年にはマックス・キャピタル、2006年にはアラブ王族が所有する投資会社イスティスマール、2006年にはドバイの王室が所有する投資会社ゴールドマン·サックスが取得するのです。

ただ、ヘルムズリービル以降ビル名が変更されていません。それはヘルムズリー·スピアに売却したその後、そこの主であったホテリアーであり不動産投資家のレオナ・ヘルムズリーが、自分の名前を歴史に残したかったのでしょう、1998年8月まで名前を変更できないことを規定していたからです。

でも、実は変更されないのではなく、変更できにくくなったからでした。なぜなら1987年、ニューヨーク市が市のランドマークにヘルムズリー・ビルを登録したからでした。ランドマークの名前を変えたらニューヨーク市民の怒り買いますものね。

《ビルの名前の由来となったレオナ・ヘルムズリーは悪行高き女性実業家でした》

《註》このビルの名前の由来となったレオナ・ヘルムズリーは、20世紀のニューヨークでもっとも有名な実業家ハリーB.ヘルムズリー(1909年3月4日~1997年1月4日)の妻であり、夫と共に不動産業を営んだ女性でした。彼らが経営するヘルムズリー·スピアは当時、エンパイア·ステート·ビルディング、ヘルムズリー宮殿、 パークレーンホテル、ヘルムスレーホテル、ニューヨークヘルムズリーホテル、ヘルムズリーウィンザーホテル、サンモリッツ(現ザ・リッツ·カールトン)などとこのヘルムズリービルなどを所有し、ハリーB.とレオナはニューヨーク一番の実業家として名を馳せました。

でも、品行方正に事業を営んだわけではなく悪行もいくつか。なかでも彼の妻レオナは短気で非情、強欲なところから、Queen of Mean(意地悪女王)と呼ばれたほど、欲得で生きる女性で有名でした。富を得るためにハリーBとは三度目の結婚でもあったのです。でも、最後には神に見放されたのでしょう、1989年に脱税で有罪判決を受け、18か月の収監と社会奉仕に就きました。

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《1930年代、禁酒法下ヘルムズリー・ビルにオフィスを構えた大物マフィアの悲しき足跡》

ヘルムズリー・ビルはニューヨーク・セントラル・ビルからニューヨーク・ゼネラル・ビルと名前が変更され、建立以来、何人もの手に渡りました。僅か約100年という時間の中で、建立以来、何人もの手に渡りました。完成して間もなく、ビル9階の広間では大物マフィアが殺されてもいます。

《1930年代、禁酒法下ニューヨークは酒の密輸ビジネスが横行していた頃、6か国語に精通したインテリマフィアでシチリア島の犯罪組織コーサ・ノストラのボス“サルヴァトーレ・マランツァーノ”がニューヨークに出てきて、ギャングと密売ビールの販売を巡り争います。その時、オフィスを構えたのがこのパーク・アヴェニューのヘルムズリー・ビル9階でした。

マランツァーノは怖さ知らずだったのでしょう、当時ブロンクスとハーレムを牛耳っていたダッチ・シュルツやアル・カポネと同盟を結んでいたシチリア出身の有力ボス、ジョー・マッセリアなどと堂々と張り合い対峙。抗争を繰り返しました。そして、一番の強敵だったマッセリアを彼の部下ラッキー・ルチアーノと密かに通じ、1931年4月15日、コニーアイランドのレストランでマッセリアを暗殺します。

ところがその数カ月後、1931年9月10日、連邦捜査官に扮した4人組がこのビルのマランツァーノの事務所を訪れ、連邦捜査官だと名乗ってオフィスに入りこみます。

その中の1人が、中にいたマランツァーノの部下8人を壁際に並ばせるその間に残り3人が奥のマランツァーノの部屋に入って行き、マランツァーノをピストルで射殺…。

誰の仕業か…。未だにことの真相は解明されず、真犯人が誰かも特定されてはいませんが、マッセリアを彼の部下ラッキー・ルチアーノと組んで暗殺しましたが、そのルチアーノが今度はマランツァーノを裏切り、彼がユダヤ系の殺し屋を雇って暗殺を企てたのではという噂も後を絶たなかったようです。ただ確かな事は、このビルでマフィアの大物ボスが暗殺されるという悲しい歴史が刻まれたことです》

でも、ニューヨーカーにとっては何があっても自慢のビルに変わりはなく、数々の名画の舞台になった名門のビルなのです。

そして、ビルの命名の由来となったレオナ・ヘルムズリーは、2006年にはフォーブス誌で世界で最も裕福な女性の一人と紹介されていますが、2007年に生涯を終える日までその悪名は高く、多くの話題を残してゆきました。でも、彼女がいたからこそ、優雅な外装のままこのニューヨークのランドマークとして今なお建っているのです。

彼女の夢がビルを改装させ、このような幽玄の世界を創ったのです。レオナ・ヘルムズリーが夢の思いを託したパンナムのロゴとのコンビネーションの世界が今、こうしてここにありますが、でも、パンナムのロゴは消えました。また、レオナも天国へと旅立ってゆきました

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(旅行ジャーナリスト・作家 市川昭子著)

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★旅行ジャーナリストとして長い間、公私共に海外の国々を訪れ取材し滞在。美術館巡りが好きで「ヨーロッパの美術館」など著書も出版。海外ガイドブック30冊以上(フランス、イタリア、イギリス、ベルギー、オランダ、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、ハワイ、アメリカ、香港、韓国、グアム、サイパンなどなど十数カ国のガイドブック)を取材し出版。★小説【あなたが生きた街】を出版。

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