可愛い子には旅をさせよ

”可愛い子には旅をさせよ”とは昔から言いますね。
  
これは通常に考えたなら、手元に置いて可愛がって育てるよりも、まだ見知らぬ外世間へ送り出し、様々に新しい見聞を広めさせることはとても大切さなことだと言っているように考えますよね。
  
しかし、もっと大事な意味は親へいつまでも頼れると思わず、ただ一人の力だけで生き抜くことの尊さと厳しさを身をもって知ることだと考えればもっとググッと真相に近づけるように思えます。
   
このように物事の大切さには確かな順位が必ず定まっていて、最初に正しいと思い込んでいること以外に別な本当の答えが隠されていて、その正解が解からない限りは最初の思い込みだけを信じていても現実とかけ離れてしまい、ほとんど成長の見込みがつかなくなるということがあります。
  

いつか来た道、しかし初めての道

修業の道とは辛く厳しいものです。
旅へ出るといっても通常の旅行なら見聞が目的ですね。

それが修業即ち、新たな生き方を選んで目指した道なら、目的につながるものを偶然にも探し当てるまでは、考えても考えても予測がつかず、思いもよらずさ迷うということが前提にあるようです。

だからといって、所詮気を張って覚悟を決めても思い通りにはならないものだと決め込み、いい加減な諦め半分な気持ちの方が精々上手くという旅では本来の目的とは異なる見聞ばかりを得る結果になるでしょう。

それでは自分自身のことがおろそかになるばかりではなく、渡る世間は鬼ばかりと条件づけては旅先の相手を鬼とする前提での付き合いばかりを作っていく結果になりかねません。それはいつか来た覚えのある道ばかりで、決して本心から探していた新しい道ではないのです。

可愛い子とは正しい子

正しい子とは自分自身に正直な子のことです。
それは自分自身が何をしたいか、そしてそれを貫けば必ず達成される尊さを信じている子です。
そういう正しい子にとっては旅は必ずその子を計り知れないほど大きく成長させるはずです!

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ぶっけん このユーザーの他の記事を見る

私は、まちづくりをもし専業にできたら素敵だと思っています。
世の中には、国造り、会社づくり、モノづくり、人づくり、お金づくり・・・さまざまな「つくり」がありますね。
その中でも、まちづくりとはわざわざ心掛けて作ろうとしなくとも、放っておけば出来上がるかのような最も漠然と掴みどころのないものに思えます。
しかし今あちこちで、何かとまちづくりが大切であると、なぜ呼びかけが始まりだしているのでしょう?
 
私は、まちづくりの動機の動機と言えば、ただのきっかけだけがカギを握っていると思います。
そして、まちづくりとは案外、国造りよりもっと大きな心がけを必要とするのではないかとも思えています。
それは、誰もが最も身近に感じ得る共通の課題意識であることである共に、一体まちづくりをどうすべきであるかは誰にも直接にはその責任や方法を知り難いことだからだと思います。
いわゆる、自分に直接降り掛からなければどうでも良いことこそが一番複雑で難しい問題であると言えるでしょうね。
ですから、その何か偶然のきっかけが必要なのです。
そのきっかけについて、関心がある人たちで話し合い、実行していけることが本業にすることができれば、私はきっと最高の喜びに違いないと思っています。

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