・東日本大震災から学ぶべきこと

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2011年3月11日に発生した東日本大震災。多くの方が犠牲となりその傷は5年たった今でも癒えていません。

東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい、ひがしにっぽんだいしんさい)は、2011年(平成23年)3月11日午後2時46分に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波、およびその後の余震により引き起こされた大規模地震災害である。

この地震により、場所によっては波高10m以上、最大遡上高40.1mにも上る巨大な津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害が発生した。2016年(平成28年)3月10日時点で、震災による死者・行方不明者は18,455人、建築物の全壊・半壊は合わせて400,326戸が公式に確認されている。

出典 https://ja.wikipedia.org

多くの人が悲しみに暮れた東日本大震災。直接的な地震の揺れのみではなく津波による被害拡大が起こりました。

・地震の恐怖におびえる日本

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日本は地震大国です。今年起こった熊本地震を始め、南海トラフ地震、首都直下型地震も近い未来に起こると言われています。大きな地震がまたやってくるのかと思うと胸が締め付けられる思いです。地震から命を守るために、過去に起こった出来事から私たちが学べることはないのでしょうか。

・宮城県名取市で起こった「閖上の奇跡」

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宮城県名取市の閖上保育所で起きた「閖上の奇跡」をご存知でしょうか。名取市は津波により住宅地が流出し多くの犠牲者を出した地域でもあります。そんな中、閖上保育所の子供たち54人全員を無事に避難させ、のちに「閖上の奇跡」と呼ばれるようになった出来事がありました。

この「閖上の奇跡」。なぜ保育所の子供たちが助かったのか、その理由が興味深いものでした。

・宮城県は震源地に最も近かった

宮城県は、震源地に最も近く、福島県や茨城県と共に激震であった。津波の被害としては、浸水面積327km2と浸水域の人口約33万人はともに3県最大だったため、宮城県のみで阪神・淡路大震災を上回る犠牲者を出した。

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宮城県は犠牲者が多かった地域の一つです。

・名取市は壊滅的な被害を受けることに

では市域の27%が浸水した。中心市街地は内陸部にあったが、沿岸部にあった閖上(ゆりあげ)地区が壊滅的被害を受けるなど、1,000人弱が犠牲となった。

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津波により被害が大きく広がってしまった名取市で、なぜ保育所の子供たちは助かることができたのでしょうか。

・子供たちをどうやって避難させたのか

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閖上保育所は海岸からは800m、漁港までは260mしかなく海がすぐそこに迫っています。そして、海抜0mであり、黙っていては津波に飲み込まれてしまう場所でした。ここに通う子供は0~6歳まで54人います。地震が起きた当日、どのようにして子供たち全員が助かったのでしょうか。

1.判断力とスピーディーな対応

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大きな理由の一つはこの保育所の所長である佐竹悦子さんの判断力とスピーディな対応にあります。地震が起きた直後彼女は保育所ではなく近くの公民館にいましたが、急いで保育所に向かったと言います。保育所は公民館より海側にありました。地震が起きたときに海側に向かっていくのは自殺行為。しかし彼女は子供たちの命を第一に優先し行動したのです。

2.車で逃げた

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地震が発生したのは午後2時46分、そのわずか9分後の午後2時55分に佐竹さんは車での避難を決断し、職員たちに指示しました。避難先は2キロ先の閖上小学校でした。

しかし、地震発生時に車で逃げる行為は大変危険です。それは、渋滞に巻き込まれる可能性が高いからです。

・実際に多くの方が渋滞に巻き込まれ、命を落とした

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閖上大橋で、地震の揺れによる大型トラックの荷崩れが発生し、対向車線の乗用車運転手が死亡する事故が発生した事により通行止めとなり、地区内で渋滞が発生し、犠牲者を増やす要因ともなった。

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地震発生時は車が横転するなどの事故が起こりやすいのに加え、同じように車で移動しようとする人たちで道路があふれかえります。そのため一刻を争う時に渋滞に巻き込まれてしまうという事が起こり得るのです。

3.渋滞を避けるルートをあらかじめ決めていた

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しかし、この保育所では予め佐竹さんの指示の元、何度も非難訓練を行っていました。渋滞を想定して、渋滞が起きにくいルートを予想し避難ルートを決め、何度もその道を職員たちとチェックする訓練を行っていたのです。

地震当日はその避難ルートにしたがって移動したため渋滞に巻き込まれることはありませんでした。子供たち54人はそれぞれの職員の車に乗せられ運ばれて、全員小学校にたどり着くことができたのです。

そのおよそ30分後には、津波は小学校にまで押し寄せました。津波は小学校の2階まで押し寄せましたが、佐竹さんら子供たちを連れて3階に避難し助かったと言います。

・避難先を小学校に決めていた理由

また、実は避難先を小学校に決めたのにも理由があったようです。近くの公民館に逃げるという選択もあったようですが、過去の津波の被害からもう少し高台まで逃げた方が安全なのではという判断と、発達障害を持つ子供たちは狭い場所が苦手で馴染みのある場所へ避難した方がいいのではないのかという配慮から、小学校を避難場所として決めていました。

・奇跡は奇跡ではない

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54人の子供たちを全員救った所長の佐竹さんと職員の皆さん、「閖上の奇跡」と呼ばれることとなりましたが、奇跡は偶然には起こりえないものです。

・マニュアルは作って終わりではない

1.小さな園児たちを抱えて逃げることは困難なため、車での避難が一番だと判断
2.障害を持つ園児たちもいることから、避難場所はあまり狭くない場所がいい。小学校がいいのではないかという判断
3.避難ルートは信号が少なく渋滞の起こりにくい道を予想

これらのことを全て前もって職員たちと相談しマニュアルを作り、何度もシュミレーションを行っていたおかげで、地震当日には何の迷いもなく職員たちは避難を実行することができたのです。当日使用した避難ルートについても、あと2分対応が遅ければ渋滞に巻き込まれていた可能性があるという事。このスピーディーな対応もマニュアルがたまに叩き込まれていたからこそ成せた技です。

・閖上保育所跡地

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現在、閖上保育所は津波で流されてしまい跡地として整備され看板が建てられています。

当時の津波の被害がいかにすさまじいものだったかを物語る光景です。子供たちが助かったことを「奇跡」と呼びたくなる理由がわかります。

・「閖上の奇跡」から考えさせられること

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この閖上保育所の話を聞いてこれから私たちが地震に備えてどうしていくべきか、考えさせられます。

・災害マニュアルは机上の空論ではなく、綿密な計画と可能な限り実践とセットで作成されるもの

マニュアルは計画と実践が揃ってこそ、当日本来の力を発揮できるのだということがわかります。マニュアルは他人任せで作らせるものではなく知恵を振り絞って作成しなければならないこと。そして、マニュアルは作ったらそれで安心というわけではなく、何度も読み聞かせ理解しておかなければならないということがわかります。そこまでしていたから「奇跡」が起こったのかもしれません。

・平常心を保つこと

恐怖心に負けず、冷静に対応すること。簡単に言うようですが命にかかわる事態となると難しいものです。やはり平常心を保つという意味でも日ごろから訓練を行っておくことが大事です。何をすればいいのかあらかじめ整理しておくことでパニックになることを避けられる可能性が高くなります。

・多くの方の心を動かした「閖上保育所」の実話

この話は決して過去の出来事で終わらせてはいけない、そう思われた方も多いのではないでしょうか。これから来る災害から子供たちをどうやったら守れるのか、閖上保育所から学ぶべきことがあるのだと痛感しました。次に起こる災害に備えて何をすべきか今一度見直すべきだと考えさせられるお話でした。

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