メディチ家の菩提寺サンタ・クローチェ聖堂

イタリア中世最大の画家として、また、ルネサンス以前のゴシック時代の終焉を迎える、その機会を作ったともいえる、中世初期の巨匠ジョット・ディ・ボンドーネについては過日アップしました下記の記事“巨匠ジョットの第一章”からお話をさせて頂いていますが、これは巨匠ジョットの第二章。お楽しみ下さい。

【第一章・偉大なる画家ジョット】

★ヨーロッパの中世の画壇でしゃゴシック様式、そして、次にやってくるルネサンス様式、その後マニエリスムというひとつのブームの流れがあり、バロック時代へと入ってゆくのですが、それらのの時代はいつ頃からいつまでを知っておきませんと、これからの話が見えてきませんので、最初にジョットの時代に関わるゴシック様式からルネサンス様式に移行するまでの期間を解説したいと思います。


ジョット作《聖フランチェスコ伝》の連作の一点

《ゴシック様式からルネサンス様式への移行の理由》

まずはゴシック様式の時代ですが、それは5世紀から15世紀の東ローマ帝国で発達した美術の体系ビザンチン美術の時代と重なり、フランスのイル・ド・フランス地方から始まって各地へ広まった様式であり、12世紀後半から15世紀にかけての建築や美術一般に及ぼした様式のことを指します。

その後、装飾過多気味のゴシック様式が食傷気味になったことで、古典的スタイルを復活させようとその中に高い芸術性を掲げて始まったのがルネサンス運動でした。ルネサンスとはフランス語ですが「再生」「復活」を意味し、文字通り、古典スタイルと復活させようとする賢者たちで始められた運動でしたが、文学や建築、絵画など様々世界に波及した運動で、そこから派生して出来上がった美術様式をルネサンス様式と呼ぶようになります。

それはフィレンツェを舞台にして起こったひとつの文化革命とし、ゴシック時代と100年ほどオーバーラップしながら、14世紀から16世紀に流行したもので、“古典古代の文化を復興しようとする歴史的文化革命あるいは運動を指す”という定義を掲げてのスタートでした。

でも、その頃の画壇は長い間居続けたビザンチン美術と装飾過多とも思える装いのゴシックに対して食傷気味でしたから、シンプルな装飾で情感豊かに表現する手法を編み出したジョットなどの画風に刺激され、13世紀半ば頃には過多な装飾を画布から取り除き、主題をシンプルに描きあげた手法が既に始まっていたと思われます。なぜならジョットに影響を受けた多くの画家たちは、彼の手法を真似、人間の感情に訴える画像構成を完成しつつあったからです。それらを鑑みればルネサンス様式の兆候は、既に13世紀半ばから色濃く出ていたと思えます。

そして、昨日から紹介していますジョットは、ゴシック様時代の末期に活躍した画家ですが、ルネサンス運動を起こす牽引者となった画家でもあるのです。

《ルネサンス運動を牽引したゴシックの画家ジョット》

ジョット・ディ・ボンドーネは、独り立ちして間もなく、1295年頃にアッシジのサン・フランチェスコ聖堂上堂のフランチェスコ伝の連作を完成させ、1300年には教皇ボニファティウス8世直々の要請でローマのサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ聖堂で壁画「聖年祭を布告する教皇」を制作します。

そして、1304~06年には傑作中の傑作として今なお、大きな関心を寄せられるパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂で「キリスト伝の連作」を完成させ、1313年末にローマの旧サン・ピエトロ大聖堂ファサードのモザイク画を制作後、1320年代にフィレンツェに戻り、このサンタ・クローチェ聖堂のバルディ家礼拝堂、ペルッツィ家礼拝堂の壁画制作に取り掛かるのでした。

最期の最期まで制作意欲に燃えて、多忙な日々を過ごしたジョットでしたが、故郷でもあるこのフィレンツェで1337年1月8日、70歳の生涯を終えます。今で言う国葬なのでしょう、共和国政府主催によって大きな葬儀が行なわれ、フィレンツェのトレードマークでもある花の大聖堂内に葬られました。

《聖フランチェスコ伝》の連作の一枚『聖フランシスコの死』

《リアル性を重んじ動きのある画期的な画面構成をして驚かせたジョット》

14世紀初期、ジョットはそれまでの平面的・装飾的な描写法から現実的な“今”を画布に表現するために、観る者があたかも画布が創る世界にいるかのようにリアルな雰囲気を主にした画面構成を成した作品を公開しますが、それはこの写真「ぺルッツィ家の礼拝堂」に見られるように人物を背後の建物や風景などを自然な大きさで表し、そこに現実的な時間を描く、という描写方法を用い世間を驚かせました。

それまでの“静”の画風から“動きのある今という時間”を重視する画風に転じたことで、彼のいずれの作品も話題を呼び、後にルネサンス絵画への先鞭をつけたといわれる所以ともなるのです。

写真の作品「ぺルッツィ家の礼拝堂」は1320年に完成していますが、後にサンタ・クローチェ聖堂のジョットの作品が飾られた2つの礼拝堂を見たヴァザーリは、ジョットを“近代に於いて最初の西洋画家”と高く評価し、内外に彼の巨匠としての存在感を大きく示しました。

絵画の祖とも呼ばれているゴシック絵画最大の巨匠ジョット。昨日の「バルディ家の礼拝堂」の作品同様に、静謐で精神性の深い場面表現は、観る者を圧倒するばかりではなく、優美さと威厳さも加わった人間性に富んだ登場人物の描写で人々を魅了しました。

それはヴァザーリが賞賛したジョットの卓越した表現様式にありました。ジョットという人間性豊かな画家ゆえの結果ですし、ジョットならではの“凛とした美麗な世界”を表現したからだと思います。

それは今に通用するジョットの世界でもあります。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(旅行ジャーナリスト・作家 市川昭子著)

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★旅行ジャーナリストとして長い間、公私共に海外の国々を訪れ取材し滞在。美術館巡りが好きで「ヨーロッパの美術館」など著書も出版。海外ガイドブック30冊以上(フランス、イタリア、イギリス、ベルギー、オランダ、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、ハワイ、アメリカ、香港、韓国、グアム、サイパンなどなど十数カ国のガイドブック)を取材し出版。★小説【あなたが生きた街】を出版。

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