もみじのような小さな手の我が子。私は、たくさん抱きしめてきたけど、叩いたり、こづいたりもしてきました。


トントンと、優しく寝かしつけもしたけど、早く寝て!と、子供達に背中を見せたこともありました。


いい子、いい子とたくさん頭をなでてきたけど、テーブルを、ドン!と叩いて、威嚇したこともありました。


ごめんねと、寝ている我が子の頭をなでながら、泣きながら謝った日もありました。

出典Satomi Nakano

そんな日を繰り返して、私の手は、この子にとって、優しい手でありたいと願いました。模範のように良い親にはなれないけど、感情的に怒ることもゼロではないけど、優しい手を持つ、親になりたいと願いました。


叩いたり、こづいたり、感情的に怒ったりした日々。優しくありたい、抱きしめてあげたいと、強く、強く思いました。この子の将来にためには?この子の気持ちをわかってあげるには、どうしたらよいのか。いつも、考えてきました。

優しい手でありたいと決めたら、優しい手が返ってくるように。

たくさん書いて、たくさん走って、たくさん考えて、たくさんおしゃべりして、たくさん泣いたり、たくさん怒ったりして、帰ってくる。私達の待つ家に、帰ってくる子供達。


今の私の手は、毎日作る料理、毎日の家事。優しく抱きしめてあげること、頭をなでてあげること。夫や子供達の、足や手をさすってあげることが、すごく多くなりました。
小学生になり、子供の頭ではなく、足をよくさすってあげる。子供達が、私の肩をもむこともあります。大人がさすってもらって気持ちが良いように、小学生の子供達も、足をさすってもらうと、気持ちよさそうにリラックスして、学校で頑張ってくることを話してくれます。


私が笑えば、「いつも」笑ってくれて、私が褒めれば、「いつも」ママ、ありがとうと言ってくれて、私が何かすれば、「いつも」手伝ってくれます。「いつも」あたりまえに過ぎていくことって、かけがえのない、家族の時間だったり、家族の思いやりだったり、優しさだったり、心遣いだったり。「いつも」も、「あたりまえ」も、「いつもそこにあるわけではない」し、「あたりまえじゃない」

今現在、子供に対して、感情的に怒るはほとんどなくなりました。イライラすることに意識してみる。子供に対するイライラは、自分ができないことに対するイライラなんだと気づく。子供が小さい時は、自分自身が疲れ果てて・・・が、イライラの元凶。余裕がなかったんだ私。中学生、小学生の子供達に対して、イラッとすることは、自分ができていないことばかり。子供がその姿を見せて、私に教えてくれているんですね。


「散らかさないでよー。出した物、片付けてね!」
「なんで、期限ぎりぎりなの?」
あはは、自分もぎりぎりなのに(笑)


「大丈夫だよ!」って、背中を押してあげたい。
「大好きだよ!」って、強く抱きしめてあげたい。
「よかったね!」って、たくさん頭をなでてあげたい。
「かわいいね!」って、優しく頬を包んであげたい。
優しい手でいたい。優しい手になりたい。
少しは、自分が願う優しい手になってきたかな・・・

この記事を書いたユーザー

Satomi このユーザーの他の記事を見る
得意ジャンル
  • インテリア
  • おでかけ
  • 育児
  • グルメ
  • 暮らし
  • 感動

権利侵害申告はこちら