私は6年間のうちに、4回帝王切開で出産しました。全員年子です。3人オムツの時は大変でした。サイズがそれぞれなので、買い物も大変。オムツ替えも誰していないんだっけ?とわからなくなり、トイレトレーニングが始まると、おしっこを失敗した布団を洗ったり、トイレに連れて行かないとだったり。夫がいない日曜日は、すぐ義実家へ遊びに行き、何かというと助けてもらいました。本当に助かりました。義母がいなかったら・・・、毎日ヘトヘトで赤ちゃんと一緒に泣いて暮らしていたでしょう。義母に頼り、ありがたいと思いながら、1人で頑張っているお母さんがいるのに、私はなんてダメな母親なんだろうと責める時がありました。



義母に子供達を預けて、家の掃除をしたことも何度もあります。赤ちゃんがいながら、掃除をするのは重労働です。片づけても、片づけたそばから、ミルクをこぼし、おかしを粉々にして遊び、しまったオモチャを逆さまに。全く片付けができないので、子供達を預けました。近くに親族がいないお母さんは、子供をみながら、家事をして、掃除をして、買い物をして、食事を作っているんですよね。知らない誰かと比べて、また、私は想うのです。ああ、ダメな母親だなって。

出典Satomi Nakano


ある時、ノーバディズパーフェクトというプログラムを開催しているよと教えてくれた方がいました。

「人は親として生まれてくるわけではありません。私たちは皆、周りの人に助けてもらいながら、親になっていくのです。完璧な人はいません。完璧な親もいなければ、完璧な子どももいないのです。私たちにできるのは、最善を尽くすことだけであり、時には助けてもらうことも必要なのです。」

出典 http://cfrc.main.jp

この言葉を聞いた時、とても心が軽くなりました。完璧な親も子供もいないし、完璧を目指さなくていいんだと。自分の最善を尽くすだけでいいんだと。私は、この言葉に感動して、ノーバディズパーフェクトのファシリテーターの資格を取り、プログラムの開催をし活動しています。私が初めてノーバディズパーフェクトのプログラムに参加した時も、ファシリテーターとして参加している時も、プログラムの中で使われている詩があります。この詩は、何度読んでも、自分に響き、あふれるものがあります。

『今日』 (伊藤比呂美訳)


今日、わたしはお皿を洗わなかった
ベッドはぐちゃぐちゃ
浸けといたおむつは
だんだんくさくなってきた
きのうこぼした食べかすが
床の上からわたしを見ている
窓ガラスはよごれすぎてアートみたい
雨が降るまでこのままだとおもう

人に見られたら
なんていわれるか
ひどいねえとか、だらしないとか
今日一日、何をしてたの? とか

わたしは、この子が眠るまで、おっぱいをやっていた
わたしは、この子が泣きやむまで、ずっとだっこしていた
わたしは、この子とかくれんぼした。
わたしは、この子のためにおもちゃを鳴らした、それはきゅうっと鳴った
わたしは、ぶらんこをゆすり、歌をうたった
わたしは、この子に、していいこととわるいことを、教えた

ほんとにいったい一日何をしていたのかな
たいしたことはしなかったね、たぶん、それはほんと
でもこう考えれば、いいんじゃない?

今日一日、わたしは
澄んだ目をした、髪のふわふわな、この子のために
すごく大切なことをしていたんだって。

そしてもし、そっちのほうがほんとなら、
わたしはちゃーんとやったわけだ。

出典Satomi Nakano


子育てって、どんなに願っても、お母さんの希望通りにはいきません。子育てに正解がないから、悩むし迷います。持って生まれた子供の才能、性格があります。こんなふうに生きたいという、子供の自我もあります。


キラキラと「今」を生きる子供達。見ている、見守っている、お母さんは1番よくわかっています。でも、お母さんは心配性だから、過去も、未来も、考えてしまう。転ぶと痛いから、転ばなせないようにとか、健康のために、早く寝せなくっちゃとか、将来、困らないように、勉強しなさい!と言ってみたり、先に、先に、何歩も先を見てしまうのは、我が子を想う、お母さんが持っている才能なのかもしれません。我が子を想う、お母さんの優しい気持ちですね。先に、先にと、先回りしてしまうのは悪いことじゃない。でも、「今、この時」しかできないことがいっぱいありますね。一緒に隣で寝ること、一緒にお風呂に入ることも、期間限定。「今」を大切に、子育てしていきたいです。

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