二人の妻を描き入れたルーベンスの晩年の墓前の作品「聖家族」

ルーベンスのエレーヌへの愛は、究極の愛だったことが墓前に飾られた作品でもよく解ります。僅か10年でしたけれど、最初の良妻賢母であったイサベラより不肖の妻であっても16歳の妻エレーヌを溺愛したルーベンスがいました。でも、語れば語るほどその愛に悲しみが伴います。アントワープとルーベンスのガイド編第11弾です。画像もお楽しみ下さい♫

『ルーベンスが愛した16歳の妻エレーヌ』Peter Paul Rubens in Antwerpen

ルーベンスが49歳の誕生日直前に悲願の大作アントワープ大聖堂の主祭壇のための「聖母被昇天」を完成させますが、その後、17年間連れ添った妻イサベラが亡くなります。

妻を亡くした悲しみを忘れるためにアントワープの自宅を避けるようにして、以前よりもより多く外交官としての仕事をするようになったルーベンスは、宮殿からの依頼で1628年スペインに出向き、そこで停戦の調停をしながら長期滞在をします。

妻を亡くした悲しみに暮れているルーベンスを見るに見かねたイザベラ王妃は、妻との想い出の多いアントワープを離れさせるのがベターと思い、公費で2年間という長期の滞在を許可したのです。その許可は異郷の地で外交官として働きながら、スペイン美術に接すれば、ルーベンスの気持ちも癒され、また、健全な心身を取り戻すのではないのかという意図の元にあったのです。

ルーベンスの家

《王妃の心遣いで悲しみを癒したルーベンスは語学力を生かして外交官としても活躍》

王妃の図った計画は成功でした。ルーベンスは妻の亡き後、アントワープでは握らなかった絵筆を手にし、ティツィアーノの他、ベラスケスなどのスペイン画壇の研究をしたりしながら、外交官としてもその優れた手腕を見せたのです。そして、1630年に帰国し、再びアントワープでの生活を始めます。

最初の妻イサベラ・ブラントとの別れは、ルーベンスの生涯の中でもっとも辛いものとなったようですが、スペインでの生活が充実していたこともあって、悲しみの傷は癒され、以前のように制作にも精を出す日々が続きます。

そんなある日、ルーベンスは奇跡にも近い劇的な出会いをするのです。

ルーベンスの菩提寺聖ヤコブ教会

《ルーベンスは貴族のパーティーで16歳のエレーヌと出会い恋に落ちる》

ある貴族のパーティで、ルーベンスが常々「美人」を定義としてうたっていた“掛け布の折り重なるようなみごとな肉のひだを見せる女体”と形容される太った女性、エレーヌ・フールマンと出会ったのです。

《註》当時、美人と称される人の大半が、現在とは異なって、ふくよかで、ことに腰回りが豊かな女性を美人と定義し、芸術家だけではなく男性の憧れとなっていました。豊満なバストも特徴ではありましたが、一番重要視されたのは腰回りで、ウエストのくびれは問題ではなく、いわゆる“寸胴”であっても良しでした。

★エレーヌは気品あふれるイサベラとは異なり、その条件にしっかりはまったふくよかな肢体を誇る16歳の若き女性でした。何事にも恐れない度胸を持ち合わせ、16歳という若さとは思えない堂々とした態度で女性美をアピールしていたのです。

周囲の視線にも臆せず、彼は37歳も年下の彼女に深い愛情を抱き、エレーヌもルーベンスの優雅な立ち居振る舞いに見惚れ、優しいまなざしの虜になってゆきました。そして、お互いに愛し合うようになるには長い時間は必要なく、その日から二人の間には愛が育ち始めるのです。

ルーベンスの菩提寺聖ヤコブ教会

《最初の妻を亡くしたその4年後、エレーヌと結婚し生涯を共に生きる》

ルーベンスはそれまでの寂しく辛かった4年間を取り戻そうとしたのか、出会ったその年でした。1630年、ほんの僅かな交際期間で二度目の結婚に踏み切ります。新婚生活はあのルーベンスの家で始まりました。

毎日、新たな愛に酔いしれ、画家としても再び生き甲斐を感じ始めたルーベンスは、新妻をモデルにして連日、画布に向かいました。「エレーヌ裸婦」「レウキッポスの娘たちの略奪」「三美神」「ヴィーナスの饗宴」など、後に彼の代表作となる作品を精力的に描き始めたのです。

また、そんな意欲的で溌剌として生きる夫に比例するかのように、エレーヌも度胸を据え、16歳という花も恥じらう乙女とは無縁のような行動に出るのです。エレーヌの度胸は今に始まったものではなく、元より据わっていたのかもしれません。助手たちの前であっても、夫が求める“激しい動きの中の華麗な裸婦”を平然と演じたと伝えられます。

★ルーベンスとエレーヌの間には3人の子供が生まれました。そして、その後のルーベンスの2000点の内の800点にも及ぶ作品のモデルをつとめたエレーヌでしたが、結婚10年目でした。エレーヌが26歳の年に夫ルーベンスは63年の生涯を閉じるのです。

★画像は聖ヤコブ教会の豪華なバロック様式の内部です。教会は著名人の墓所を目的に1491年から1656年にかけて創建された比較的新しいものですが、ここにはルーベンスとイサベラ、そして、エレーヌの二人の妻、その子供たちも祀られています。

★ルーベンスのエレーヌへの愛は、究極の愛だったことが墓前に飾られた作品でもよく解ります。僅か10年でしたけれど、最初の良妻賢母であったイサベラより不肖の妻であっても若きエレーヌを溺愛したルーベンスがいました。ただ、語れば語るほどその愛に悲しみが伴います。

それはルーベンスの前妻へのあり余る思慕を若き妻に重ね委ねていたと思えるからです。その証しは墓前に飾られたルーベンスの作品「聖家族」に見ることができます。

★作品画面左側の鎧姿の聖ゲオルグはルーベンス自身、青い服をまとった聖母マリアは最初の妻イザベラ・ブラント、そして、聖ゲオルグのすぐ右に立つマグダラのマリアはエレーナ・フルマンとされています。

そうなのです。マグダラのマリアはイエスの死と復活を見届ける証人ですが、イエスに会う前はその美貌ゆえに快楽に溺れ、娼婦と変わらない私生活でした。ですから教義上「悔悛した罪の女」とされています。そんな聖女として作品に描かれているのです…。

ですから語れば語るほどルーベンスとエレーヌの愛には悔恨があったのではないのか…。そんな風に思えるのです。二人の愛に悲しみが伴うのです。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(旅行ジャーナリスト・作家 市川昭子著)

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★旅行ジャーナリストとして長い間、公私共に海外の国々を訪れ取材し滞在。美術館巡りが好きで「ヨーロッパの美術館」など著書も出版。海外ガイドブック30冊以上(フランス、イタリア、イギリス、ベルギー、オランダ、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、ハワイ、アメリカ、香港、韓国、グアム、サイパンなどなど十数カ国のガイドブック)を取材し出版。★小説【あなたが生きた街】を出版。

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