災いだ、
  家に家を連ね、畑に畑を加える者は。
 お前たちは余地を残さぬまでに、
   この地を独り占めにしている。イザヤ書5:8

 どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。
有り余るほど物を持っていても、
人の命は財産によってどうすることもできない。ルカ12:15


      (ローズンゲン日々の聖句6/6;月) 天の神、主はイザヤをとおして言っておられます。「主は公正を望まれたのに、見よ、流血。正義を待ち望まれたのに、見よ、泣き叫び。ああ。家に家を連ね、畑に畑を寄せている者たち。あなたがたは余地も残さず、自分たちだけが国の中に住もうとしている。ああ。朝早くから強い酒を追い求め、夜をふかして、ぶどう酒をあおっている者たち。彼らの酒宴には、立琴と十弦の琴、タンバリンと笛とぶどう酒がある。彼らは、主のみわざを見向きもせず、御手のなされたことを見もしない。ああ。うそを綱として咎を引き寄せ、車の手綱でするように、罪を引き寄せている者たち。彼らは言う。「彼(神)のすることを早くせよ。急がせよ。それを見たいものだ。イスラエルの聖なる方の(自分たちを罰するという)はかりごとが、近づけばよい。それを知りたいものだ」と。ああ。悪を善、善を悪と言っている者たち。彼らはやみを光、光をやみとし、苦みを甘味、甘味を苦みとしている。ああ。おのれを知恵ある者とみなし、おのれを、悟りのある者と見せかける者たち。ああ。酒を飲むことでの勇士、強い酒を混ぜ合わせることにかけての豪の者。彼らはわいろのために、悪者を正しいと宣言し、義人からその義を取り去っている。それゆえ、火の舌が刈り株を焼き尽くし、炎が枯れ草をなめ尽くすように、彼らの根は腐れ、その花も、ちりのように舞いあがる。彼らが万軍の主のみおしえをないがしろにし、イスラエルの聖なる方のみことばを侮ったからだ。このゆえに、主の怒りが、その民に向かって燃え、これに御手を延ばして打った。山々は震え、彼らのしかばねは、ちまたであくたのようになった。それでも、御怒りは去らず、なおも、御手は延ばされている」(イザヤ5:7~25新改訳)と。 貪欲な者なのですね。私たちは。「もっと、もっと」と。 私たちは、天の神、主によって、御自身と思いを一つにし、心を一つにする者を、と望まれて造られた者(創世記1:26)。 けれども、さらに素晴らしい者になりたいと、天の神、主との一つである場を捨て、自分が、神のひとりのようになり、善悪を知るようになった(創世記3:4~6、22)。自分を一番上の位置に置き、他を蹴落とし、よいもののすべてを自分一人で独占しないと気が済まない者に。 天の神、主は、そのように創造の目的から外れてしまった私たち人間を、なお、大切に思い、御自身と一つになる者に回復しようと計画してくださっているのだそうです。 御子である方を、人間イエスとして、人の世に生まれさせ、この方を私たち人間の身代わりにして十字架刑で処刑し、私たち人間のすべての罪を処刑済みとしてくださっているのだそうです。 わたしたちを処罰が終った者、死んだ者としたそのうえで、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を、受け入れる者に派遣して、この方によって受け入れる者の心に御自身の御思いを書き付けてくださって、受け入れる者が御自身と同じ思い、一つ思いを思うようにしてくださり、御自身と一つになる、新しく生きる道を開いてくださっているのだそうです。 私たち、これを受け入れるなら、天の神、主の、私たち一人一人に対する御思いが心に来るようにしていただけるのだそうですね。今日も。

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佐知男 このユーザーの他の記事を見る

愛媛県久万高原町の産。仏教大学(社会福祉)、JTJ宣教神学校卒。キリスト教プロテスタントの教会員。

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