アントワープのノートルダム大聖堂Onze-Lieve-Vrouw Kathedraal in Antwerpen

№2『ナポレオンとノートルダム大聖堂』Onze-Lieve-Vrouw Kathedraal in Antwerpen

日本人も含めて年間36万人余の訪問者を誇るアントワープの街の中心的な存在ノートルダム大聖堂には、様々な時代の様々な人々の足跡と聖堂建設に情熱を掛けた多くの人々の思いが残こされ、また、人々の思いが聖堂各所に綴られていますが、なかでも「フランダースの犬」の主人公ネロが愛し求めたルーベンスの傑作と言われる4作品はその最たるものとしてあります。また、それだけではなく、ルーベンスの最高傑作と言われる作品が、目の前で鑑賞できるポイントして、世界中の絵画ファンから注目を集めていることは誰もが知るところです。

★聖堂は1352年に建造が開始され、ネーデルラント地方最大のゴシック様式の教会として約170年後の1520年に完成していますが、完成間もない1533年には街に主要部分をなめ尽くした大火に巻き込まれたり、ヨーロッパ中に広がった宗教改革の嵐に遭遇して、貴重な像などが破壊されたりして、多くの難事に出遭ってもいます。でも、市民たちの協力により修復工事が行われ、その都度、早い時期の内に復興をしてきたのですが、18世紀末、関係者や市民たちがどんなに努力しても叶わぬ事件が起きるのです。

それは1794年のフランス革命の中、当時のフランス皇帝だったナポレオンの命によって聖職者の権威を奪われるという非情な事件が勃発したのです。アントワープだけではなく、国内の街の至る所で聖職者たちが追放されてゆきましたが、被害に遭ったのは聖職者たちだけではなく美術品も同様で、教会や聖堂が保存する美術品とみなされたすべての作品が取り払われ、没収されてしまうのです。そして、重要な作品はフランスへと運ばれていったのです。

《註》自由、平等、友愛を掲げた“フランス革命”は、ルイ16世とマリー・アントワネットをギロチン台で処刑し絶対王政を倒した後、立憲王政から共和制へと移行した革命ですが、1787年を最初にして起きた革命は1799年のナポレオン・ボナパルトによる政権掌握と帝制樹立で一応の終息をみました。約10年間と長い期間続いた革命は、庶民の生活を不安定にしたばかりではなく、宗教の自由も奪い、その間、キリスト教は弾圧され続けました。それは国内外を問わず、フランスの息の掛った国のカトリック教会の聖職者のすべてが追放され、教会への略奪・破壊がなされ、最後にはミサの禁止と教会の閉鎖も実施されました。

ヴェルサイユ宮殿に飾られている“ナポレオンのワーテルローの戦い”

《皇帝ナポレオンにより美術品の数々が略奪されフランスへ》

この聖堂も例外ではなく、美術品のすべてが取り外され、また、ルーベンスが精魂込めて描き上げた作品のすべてがこの聖堂からフランスへと運ばれて行ったのです。でも、幸いにもそれは長い期間ではありませんでした。

《ナポレオンはベルギー・ワーテルローでの戦いで敗れ、その後失脚》

というのも、1815年、ナポレオンは奇しくもこのベルギーのブラバン・ワロン州の地である「ワーテルロー」で敗北という憂き目に遭い、その後、失脚するからです…。そして、ナポレオンは皇帝という地位を剥奪された後、セント・ヘレナ島へ流され、生涯を終えます。

ちなみにアントワープのこのノートルダム大聖堂をも巻き込んだナポレオンの最後の戦いは「ワーテルローの戦い」と称され、後々まで語られることになるのです…。

中央祭壇にルーベンスの作品が飾られたノートルダム大聖堂の内陣

先にも申し上げましたが、大聖堂には様々な人々が様々な時間の流れの中で、聖堂と関わり合っているのです。そして、堂内の各所には通り過ぎた時間と訪れ来た多くの人々の足跡が残されています…。それはナポレオンやルーベンス、ネロ、パトラッシュだけではなく、「フランダースの犬」をここまで日本とベルギー国内、そして、ヨーロッパまで広めてくれた私の友人であるヤン氏などの思いが残されているのです。

この聖堂に身を託した時、自分に関わり合った人々の足跡を今一度見つめてみたいと思いました。それは自分の歴史が刻まれた通り過ぎた時間を振り返ることにより、よもやの人との関わり合いを改めて知ることができると気づいたからでした。

そして、過去を振り返るのではなく、通り過ぎた時間を今一度見つめ直したい、そう思ったのです。その時間の中に自分の大切な時間を置き忘れきたかもしれない。そう思えたからでした。

画像は19世紀に造られた90のレジスタ(音の組合せ)と5770のパイプを誇るスイス製Schyvenのオルガンです。また、バロック様式の木製のオルガンケースは、このオルガンよりもはるか昔、1657年に画家エラスムスクェリヌスIIによりデザインされたもので、見応え充分です。エラスムスクェリヌスIIの父親である画家のエラスムスクェリヌスについては、後日、改めて解説したいと思っています。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(旅行ジャーナリスト・作家 市川昭子著)

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★旅行ジャーナリストとして長い間、公私共に海外の国々を訪れ取材し滞在。美術館巡りが好きで「ヨーロッパの美術館」など著書も出版。海外ガイドブック30冊以上(フランス、イタリア、イギリス、ベルギー、オランダ、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、ハワイ、アメリカ、香港、韓国、グアム、サイパンなどなど十数カ国のガイドブック)を取材し出版。★小説【あなたが生きた街】を出版。

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