子どもの「胎内記憶」

私はクリスチャンなので、「前世がある」とは信じていませんが、「胎内記憶」とは聞いたことがあって、「どうなんだろう?」と思っていました。

「胎内記憶」とは、人間が生まれてくる前に、お母さんのお腹の中で成長する際、色々な刺激を受けていて、それを覚えていた「記憶」を子供自身が語ることが実際にある、と言われているものです。

私自身は、今まで「胎内記憶」に関する興味関心は特になく、テレビで「目を開けたらお医者さんがいた」(あ、これは「出生時記憶」ですね。)とか聞いても、「それって、小さい頃の入院した時の記憶がごっちゃになってるんじゃないの?」と思ったりして、あまり気に留めていませんでした。

上の二人からは聞いたことがなかったのですが、一番下の男の子が小学1年の時に、お腹の中での記憶をこちらが聞いてもいないのに突然語り出したことがありました。

「ボク、ママのお腹の中にいた時のこと、よーく覚えてるよ。」
「暗かったよ。」
「柔らかい壁をぽよんぽよん手で押していた。」
「ひもで遊んでいた。」 (へその緒か!?)

「胎内記憶」は2~3歳の子が語ることがあると言われているようなので、うちの息子は7歳頃だったから、だいぶ知識や知恵がついてきた中での出来事でした。

「ホントかどうか?」はよく分からないし、子供は半分「夢の世界」にいるようなところがあるので、私は一切「それで、それで?どうだったの?」と、それ以上聞くことはしませんでした。

「ママが関心を持っている」と思われると、話しを大きく膨らませてしまったり、自分で話を作り出すようなことになってもいけないので・・・。

いろんな研究もあるようで、日本では唯一、産科医で「胎内記憶」を研究されている池川明先生の本などもあるようです。

他に、クリスチャンの方で「胎内記憶」について講演される先生がいらっしゃると聞いたので、いつかお話を聞いてみたいな、と思います。

「母」と「子」

朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」で、常子(高畑充希)の母「君子」(木村多江)と祖母「滝子」(大地真央)の仲が悪く、せっかく一緒に住むようになったのに、常子達は家を出て「森田屋」に住むようになりました。

先週は母と祖母のわだかまりが解け、良かったな、と思いました。


教会で色々な方と話をしていて、「お母さんとうまくいかなかった」「お母さんに傷つけられた」など、母親との関係で悩んでいる(悩んでいた)悩みを引きずっている方が時々いらっしゃいます。

それは結構根深く、その方の性格や人間関係、ものの考え方に大きく影響している場合があります。

母親との関係というのは、生まれてからずっと長くて深いものだし、他の人とはまた違う「誰にも代えられない関係」であると思うのです。

前回の記事で、「胎内記憶」について書きました。

私自身は「胎内記憶」はないですし、関心も薄かったのですが、母親との関係性の中で、「お腹の中にいた時のこと」が実は関係していたのかも?と思った出来事がありました。

私には会ったことのない「お姉ちゃん」がいて、母親のお腹に8ヶ月いた後、「死産」だったそうです。

昔は麻酔もせずに胎児を出すようなことをしていたそうで、母親は心身共に大きなダメージがあったことと思います。

その後、兄が生まれ、1年2ヶ月後に私が生まれました。初めての子育てと3回目の妊娠がほとんど同時だったみたいです。

私自身も上の子と2番目の子は1才10ヶ月違いで、歩いたり走ったり出来るようになった上の子を見ながら乳児の下の子を育てるのは本当に大変でした。

双子や三つ子は何でも2倍、3倍かかるので、尋常ではない大変さがあると思うのですが、成長段階の違う子供を育てていくことも大変、体力を消耗し、神経を使うことでした。

母との関係

私の母は、若い頃から電車で声をかけられるほどの美人で、「お母さん、美人ね。あなたはお父さん似ね!」とよく言われ、「・・・けんか売ってるんですか?」と思ったことが度々ありましたが(^^;)

牧師夫人である私の母は信仰深く、誰に対しても優しく、とにかく自慢の母でした。

私は母が大好きで、母も私に優しくしてくれる。なのに、なぜだか母との関係はしっくりきませんでした。

「母はきちんとした性格で、私はそうではないなどの性格の違いかな?」とか「女同士だから?」とか、色々考えましたが、明確な答えがないまま成長していきました。

お互いに涙したり傷ついたり、「なぜ、あなたのことでこんなに苦しまなければならない?」と言われたこともあり、色々ありましたが、ある日、母がこんな話をしてくれました。

「実は、あなたがお腹に与えられたと知った時、嬉しいと言うよりも、正直、困ったなと思ったのよ。お兄ちゃんの方もまだまだ初めての子育てで手一杯なのに、その上、もう一人だなんて考えられないと思ってしまって・・・。ごめんね。」

その話を聞いた時、悲しいとかそういう気持ちではなくて、「ああ、そうだったんだ。」と妙に納得したことを覚えています。

そして、母が正直に「自分のまずかったと思う点」を伝え、「ごめんね」と謝ってくれたことを嬉しく思ったのでした。

そして、それ以降、変なわだかまりのようなものがすーっと消えていったように感じ、衝突することもなくなっていきました。

実際どうなのかは分かりませんが、私が抱いていたものは、実はお腹の中にいた時に感じていた不安や「自分は母親に歓迎されていない」というような思いだったのかも、と自分で納得したのでした。


常子の母と祖母がそうだったように、お互いに「ゴメンね」と言えるきっかけがあれば、納得して前に進んでいけるのかもしれないと思います。

時々、殺意を抱くほど母親に対して深い恨みのようなものを抱えている方がいらっしゃるのですが、本当はどちらのせいということでなく、「お腹の中で感じていた感覚」が原因になっている場合があるのかも、と思ったりしています。

「お腹の中の赤ちゃんは良く聞いているから、夫婦げんかはしないように」とか聞きますが、母親の「感情」も、赤ちゃんにダイレクトに伝わるものがあるのかな、と思ったり・・・。

よく「母の愛は無条件の愛で、神の愛に最も似ている」と言われますが、私はむしろ、「母親といえども完全な人はなく、完璧で欠けのない人はいない」と思っています。

親も子も「Nobody's Perfect」(ノーバディ-ズ パーフェクト=誰も完璧な人はいない)ので、思うようにいかないことだってありますよね。

世の中には、悲しいことですが何らかの理由で「子を捨てる親」もいます。

私は、信仰的にも人格的にも素晴らしい両親に恵まれたと感謝していますが、それでも満たされない思いがあったということの中に、そこから真実の神の愛を求めるようになったきっかけの一つとなったように思うし、人はみな、「真の神でなければ埋められない心の空洞があるのだ」ということを実感したように思います。

いつまでも一緒にいられるのではない「母と子」。

母親との関係で互いに素直になり、良い関係を保つことは、人間関係や自己評価などに大きく影響している大切なポイントなのではないかと思わされています。

聖書の言葉

「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。
私のたましいは、それをよく知っています。
私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。
あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」

出典旧約聖書 詩篇139:13~16

「私のたましいは、それをよく知っています。」なんだか不思議ですね。

人間は、お母さんの胎内にいる時から何かを感じ、何かを知っているものなのかもしれないと考えさせられました。

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東京基督教大学神学部神学科卒、webライター1級

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