『アントワネットの王子・罪のない幼子の生き地獄』

ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの二男として1785年3月27日に生まれたルイ・シャルルは、ルイ16世が断頭台で生涯を終えたその日、フランス革命により既に王制は廃止されていましたが、フランス国王ルイ17世(在位1793年1月21日~1795年6月8日)として王座に就きます。王党派により名目上の国王としての王座でした。

ルイ・シャルルは8歳でしたが、母のマリー・アントワネットは夫ルイ16世の悲しみを背負って息子にひざまずき「国王崩御、国王万歳」と言い、立ち上がると長女のマリー・テレーズ、義妹のエリザベートと共に深々とおじぎをした、と伝えられます。

ルイ17世として王座に就いたはシャルルは、この日からルイ家に誕生したばかりに悲劇に遭遇し、悲しい日々を送ることになるのですが、その発端は父ルイ16世の力不足もあり阻止できなかった1789年7月14日のフランス革命でした。

ルイ14世時代以来続いた対外戦争の出費と宮廷の浪費が原因で、民衆は高い税を払わされ、生活は困窮。長く続く困窮の日々に民衆の我慢も限界となった1789年7月14日、バスティーユ襲撃を契機としてフランス全土に騒乱が発生します。そして、その日を境にして事実上のフランス革命が始まるのです。

そして、革命が始まっただけではなく不作の影響で物価が高騰。パリでは至るところで集会が開かれ、革命勃発の3ヵ月後の10月5日、パリの数千の女性達が武器を持って雨の中、パリ市役所前の広場に集まり当時政治の中枢をなしていたヴェルサイユ宮殿に向かいました。そして、国王と議会に食糧を要求したのです。

ルイ16世とマリー・アントワネットが断頭台で処刑された革命広場・現コンコルド広場です。この広場もフランス革命から近代まで歴史に翻弄された哀しき広場です

その日から二男ルイ・シャルルも含めたルイ16世とマリー・アントワネットの国王一家は悲劇の渦中に入ってゆくのです。

ヴェルサイユ宮殿を追われるようにしてパリのテュイルリー宮殿へ移った国王一家は、2年後の1791年、マリーの実家にすがり、マリーの母国オーストリアへの逃亡を図りますが(ヴァレンヌ逃亡事件)、逃亡は失敗に終わり、一家は8月13日、パリ3区にあったタンプル塔に監禁されてしまいます。このときルイ・シャルルは6歳でした。

約2年間のタンプル塔幽閉期間でしたが、その間、6歳から8歳まで、シャルルにとって最高の家族だんらんとなります。

毎日、父からラテン語を学び、フランスの文学や歴史、地理までも教授された伝えられますし、ルイ16世も最後となるであろう息子との交流を1日でも無駄にしたくなかったのでしょう、王制が廃止されたとはいえ、次の王位継承者となるシャルルに、出来る限りの教養を身につけさせたく、一時も無駄にしないで教えたと思います。

そして、姉マリー・テレーズとともに残された両親とルイ家の親族との生活を約2年間、有意義に楽しく過ごします。というのも、幽閉されたとはいえそれまで一国の王として君臨したルイ16世とその家族です。1793年の1月の王の処刑の日までの2年間は、日々、平穏に過ごすことを供されました。ですから、シャルルは両親はもちろん、姉とゲームで遊んだり、愛犬と共に過ごすことが出来たのです。

1793年1月21日、ルイ16世が処刑されると、マリー・アントワネットは息子にひざまずき「国王崩御、国王万歳」と言いながら、マリー・テレーズと共に深々とおじぎをした、と伝えられます。その後、ロベスピエールらによる恐怖政治時代に入ると、国王一家は必要もない拷問や虐待に遭うようになり、僅か6歳のルイ17世も例外ではなく罵声と痛みを伴う虐めに耐えなければいけなくなります。

そして、1793年5月初めにたび重なる拷問により、高熱と脇腹の痛みを訴えたルイ17世でしたが、母マリーの懇願は無視され、診察も許されず、もちろん手当もされずに放っておかれたことで以後、体調を崩したままとなります。

そして、8歳の誕生日を迎えた数ヵ月後の7月3日、靴屋のアントワーヌ・シモンの監視下に置かれます。それからというもの、ルイ17世には人権はなく、けだもの同然に扱われ、陽の当らない部屋で毎日の食事は一回。最後の1年間は着替えもさせてもらえず、虫が這い悪臭に覆われたベッドで臥したまま、助けに来た姉のマリー・テレーズと再会します。でも、時既に遅く、手を握って祈る姉を誰とも判別できないまま、一人静かに10歳で生涯を終えます。苦しみの中で独りで天国へ旅立って逝ったマリー・アントワネットの10歳の王子…。

後にルイ17世の死を姉マリー・テレーズはこう言いました。「弟を殺害した唯一の毒は、捕え人の残忍な行為である」

★可愛い顔をしたシャルルでした。女の子のようにあどけなく優しい顔のシャルルでしたから、マリー・アントワネットもルイ16世も目の中に入れても痛くないほど、可愛がったことと思います。でも、マリーが最愛した幼子は強姦までされて最期を迎えたのです。虫けら同然の扱いをされ、いいえ、虫けら以下の扱いをされ、それでも幼子でしたから、自らの手で自分の命を絶つことも出来ず、苦しくても耐えられない痛みに出遭っても、命絶えるまで生きなければならなかった…。

小さな小さな命でしたが、罪のひとかけらもない幼子が“生き地獄”に2年間もいたのです。

さぞかし辛かったと思います…。そして、あまりにも哀れです…。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(旅行ジャーナリスト・作家 市川昭子著)

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★旅行ジャーナリストとして長い間、公私共に海外の国々を訪れ取材し滞在。美術館巡りが好きで「ヨーロッパの美術館」など著書も出版。海外ガイドブック30冊以上(フランス、イタリア、イギリス、ベルギー、オランダ、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、ハワイ、アメリカ、香港、韓国、グアム、サイパンなどなど十数カ国のガイドブック)を取材し出版。★小説【あなたが生きた街】を出版。

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