アントワネットの独房『コンシェルジュリー』

『マリー・アントワネットの7つのコラム・逸話集』

フランス革命の渦に巻き込まれ、僅か38歳で2人の王子を残して生涯を終えたルイ16世の王妃マリー・アントワネット。若き王妃として生きた日々と最期を綴っています。

18世紀末、王妃マリー・アントワネットと子供たちのルイ16世一家は、ヴェルサイユ宮殿で平穏に暮らしていましたが、フランス革命の渦に巻き込まれ、ヴェルサイユ宮殿で囚われの身となります。その後、一旦はパリのテュイルリー宮殿に身柄を移されますが、8月10日、パリ市民と義勇兵がテュイルリー宮殿を襲撃したことで、マリー・アントワネット、ルイ16世、マリー・テレーズ、ルイ・シャルル、エリザベート王女の国王一家はタンプル塔に幽閉されます。

そして、1793年1月、革命裁判が始まったその20日後の1月21日午前10時22分、マリー・アントワネットの夫であるルイ16世はシャルル・アンリ・サンソンの執行により革命広場(現コンコルド広場)に設けられたギロチンで斬首刑に処され、その半年後、8月2日にマリー・アントワネットはコンシェルジュリー牢獄に収監され、夫同様に裁判が行われます。

でも、結果は初めから決まっていたも同然でしたから、裁判は形だけ。タンプル塔から移った2ヶ月後の10月15日に決し、翌10月16日、革命広場においてギロチン処刑台に立たされ、処されます。僅か38年という短い生涯でした…。

処刑の前日、マリー・アントワネットはルイ16世の妹エリザベート宛てにこう書き残しました。

「犯罪者にとって死刑は恥ずべきものだが、無実の罪で断頭台に送られるのなら恥ずべきものではない」

ヴェルサイユ宮殿「鏡の間」

★下記はマリー・アントワネットの最期、逸話集、そして、その家族に関して綴ったものです。お楽しみ下さいませ。

№1=ルイ16世と妻マリー・アントワネットに尽くし,フランス革命反逆者として兄夫婦と共に断頭台の露となった国王の妹…

《王と王妃家族に最後まで付き添った王の妹王女エリザベート》

№2=逸話集第一弾です♫幼い頃モーツアルトから求婚されたり、お洒落な王妃ゆえにその他多くの素敵な逸話を残したマリー・アントワネット♫

《マリー・アントワネット逸話集第一弾》

№3=逸話集第二弾です♫“パンがなければお菓子を食べればいいじゃない”などと女流画家との親密な交流などマリー・アントワネットのマリーが大好きだったお菓子なども紹介しています。

《マリー・アントワネット逸話集第二弾》

№4=マリー・アントワネットの逸話集第三弾。王妃のドレス専属デザイナーとの交流や日本の伝統工芸蒔絵に魅入られた王妃のコレクションなどについて綴っています♫

《マリー・アントワネット逸話集第三弾》

№5=断頭台に立つその時まで罪を認めず最期まで凛として自分のプライドを守った若き王妃マリー・アントワネット

《マリー・アントワネットの最期》

№6=世界遺産の街シラクーサはカラヴァッジョとマリーアントワネットの姉の足跡が残る街。景観はどこまでも美しく優しい。Ameba編集部の“おすすめ記事!”に選ばれました♫画像も楽しめます♫

《シラクーサのマリーアントワネットの姉の足跡》

№7ヴェルサイユ宮殿でルイ14世に仕え、19世紀マリーアントワネットも食していたというマカロン原型を開発して一世を風靡した老舗ダロワイヨ。徳川家斉の江戸時代1802年創業の華麗なる歴史です♫

《マカロン原型を開発して一世を風靡した老舗ダロワイヨ》

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(旅行ジャーナリスト・作家 市川昭子著)

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★旅行ジャーナリストとして長い間、公私共に海外の国々を訪れ取材し滞在。美術館巡りが好きで「ヨーロッパの美術館」など著書も出版。海外ガイドブック30冊以上(フランス、イタリア、イギリス、ベルギー、オランダ、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、ハワイ、アメリカ、香港、韓国、グアム、サイパンなどなど十数カ国のガイドブック)を取材し出版。★小説【あなたが生きた街】を出版。

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