在原業平の和歌(古今和歌集)

本当に哲学的に論拠に基づく議論できなくて申し訳ないのですが、筆者は哲学の本を割とよく読みます。この短い論考は、筆者の哲学の根幹部というか、素描です。

その中で、『カントはこう考えた』という石川先生の著書の中で、在原業平の句(=苦)が読まれていました。

名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと

筆者なりに自由奔放にもう通常の論理すっ飛ばしでこの句を解釈すると次の通り。

在原業平は常に都の想い人を思って、旅に出た。
武蔵と下総の両国をわける隅田川に橋がかかっていなかったころ、そこの渡し守に促されて呼んだのがこの句だ。

名を聞けば、その名は重いが、さてここはどこだろうと問いましょう。都鳥よ、私の想う人は、今どうしているのでしょうか。

この句を読めば、不思議なところはいっぱいある。今回はこの句の解題ではないので、この句の奥深さを味わうのはやめて、筆者の直感なりに思ったところを言おう。まず、都鳥の名が重いというのは、この想い人が都の重要な人物の妃となって、自分の想い人を横取りされた略奪愛であった可能性(※1)。

そして、この人をいつまでも忘れられないでいる、誰にでもわかる気持ち。この人はどうしていて、どうしていないのだろうかと。


※1…すなわち、都の天皇か上皇あたりに安保親王が臣籍降嫁されて東遷される在原家の境遇とも奇遇にも一致する。これは全くの偶然ではない。安保と言われた王子の話は聞いたことがないため、もっと情報提供を求めます。ただ、阿呆鳥といわれたものと都鳥が全く違うか、同じなのかは僕にはわかりませんが、安保親王の一族の気持ちは僕自身よくわかります。そして、不遇にも坂東平氏平将門が東遷された際に、反乱を起こした真の理由とも密接に関係するでしょう。両国橋ができたのは、その後か先かは僕はわかりませんが、少なくとも、両国の国分となる川に、橋がかけられるのは、渡しの仕事を奪ったことでしょう。
それはともかく、この詩に直接の続きはないのではっきりわかりかねるが、そう呼んだあと、素朴な女性に会って、癒され、恋をした可能性はゼロではない、とだけ言っておく。

古代ギリシャ哲学の存在論の変遷

さてさて、どうして、このことが、すなわち恋愛に関する和歌が、哲学的存在論と関係しているか、ということである。

ここで、西洋哲学の存在論の議論を少し追ってみる必要がある。なぜなら、この「ありやなしや」という問いの根幹には、人間存在の奥深い存在理由というものとかかわっているからである。筆者の知識は概説書によることが多いので、細かい用語などはわからないがおおよそ次の通り把握している。

まず、ギリシャ哲学は客観的世界が何で構成されているかを問題にした。今でいう、科学的な議論と似通るものなのだが、僕が考えないといけないのは、次の二人。ヘラクレイトスとデモクリトスである。

ヘラクレイトスは、万物は流転する、つまり流れにより、自然界は常に変化すると考えたのである。それまでの哲学が万物が火だとか、水だとか空気だとか、いろんなことを唱えて収集がつかなくなったが、これを転回する答えをしたのがヘラクレイトスであり、仏教の無常という考え方と似ている側面がある。

一方、デモクリトスは世界の構成要素の最小因子は原子であって、その原子はそれ以上分割できないということである。この答えも、万物が火だとか水とかいって水掛け論をしているよりも、はるかに収穫が多い理論であろう。水とか空気とかの構成要素が、それまではじゃあ水自身は何でできているかに答えられなかったためである。性質の違う原子がたくさんあり、それが様々なものを構成するというのは、現在では常識の概念のひとつである。彼の考えはのちに、アボガドロが称賛したように、西洋科学の基礎的な見方のひとつとなった。

さて、この二人はまだ客観的な世界の存在様態を語っていた。「世界は~である」といったのだ。しかしこの言葉は、「わたしにとって、世界は~である」のであって、客観的な立場から「わたしにとって世界とは、万物の構成要素として~がある」と言い換えることにしかならない。

それを転回したのが、かのソクラテスであって、彼は世界の存在様式について語らない。ソクラテスにとって、イロニーという方法で、世界や社会の要素など、私には何の役にも立たない、ということを論駁する。ただ、ソクラテスにとっては、私自身についての究明こそが、私の哲学の方法であり、同時に目的であるということを表明し、倫理学の立場に向かうのである。

さて、彼にとって重要な存在とは何か。それは、もちろん私にとって、すなわち「自己自身にとって、それが~である」ということである。これを私たちは一般に主観的なものとみなす。

さて、このふたつの立場(客観と主観)は、極致にある(=究極的に見てそうある)。ソクラテスの論駁は、非常に有用なものであったが、二つの統一を考えたものではなかった。倫理的にはもちろん中庸の大事さを説いたが、客観的な真理とかいうものに、ひどく反抗的だった。

それを是正して、二つのバランスを取ろうとしたのが、プラトンとアリストテレスである。それぞれ方法は違うが、のちにどちらの考え方も神学論と科学論の基礎に用いられることになる。

近代哲学素描


さて、時代は一気に飛んで近世哲学の時代(それ以前にもブルーノとか大事な人はいっぱいいるが省略)。デカルトとか、パスカル、スピノザ、ライプニッツである。彼らは合理論と一般に総称されるが、主観と客観に与える位置はそれぞれ違う。特にデカルトとスピノザは両者を客観的かつ主体的、つまり両面的に把握しようとした結果、中途半端な議論をしている。一方、ライプニッツは客観に、パスカルは主観に重きを置いて、特に人生の後の書は書かれている。ただし、彼らは全員有神論者である。

そして、イギリス経験論といわれる、ロックやヒュームでも立場は主観と客観に与える立場は違う。
ロックはバランスに重きを置きつつも神に頼り、ヒュームの場合、後にカントに独断のまどろみを説かせた徹底的な主体論を展開する。ヒュームは無神論的であり、一般的に懐疑論といわれるが、その特徴は、安易に神に頼らない分、デカルトの方法的懐疑では計り知れない懐疑論を転回しており、これがカントに影響を与えたのである。

近代哲学の最高の理論家、インマヌエル・カントは道徳哲学で有名だが、彼の場合は、ソクラテスとは違い、この客観と主観の立場の違いについて徹底的な議論をしている。ここで大事なのは、特に純粋理性批判の場合においては、究極からこの問題を論じていることである。
彼のアンチノミー論をすべてみることはしないが、すべての議論はここに通じる。いつも僕が持ち出すのは自由論だ。これは神とともにあるカントの場合はきわめて重要なので再度考える。第三や他のアンチノミーの議論を尽くしたあと、カントの世界論を見よう。一般的には、一方で感官で認識できる世界は感性界とか現象界と呼ばれる。他方では、純粋理性で認識される世界を英知界という。
この間に経つのが悟性である。カントが実際実践理性といったものは、悟性(あるいは知性)に基づかないといけないという。では自由とは何か。感性界ではすべては自然の因果法則に支配されており、自然の流れにそむけない。一方、英知界では原因を作り出す自由意志というのが存在する。つまり、われわれは理性の働きによってのみ、一つの自然法則の契機を作り出すことができる。
この場合は、この自由の問題は、カントの道徳論とかかわる。カントの場合は、自分が我儘勝手に何をやってもいいものは自由とは言わず、これは仮象の自由である。本当の自由とは、他律ではなく、自律することで初めて得られる。この場合は仮言命法とか定言命法の問題が出てくるが、これは他の解説書に譲ろう。

つまり、彼の自由とは、自律(自立)の問題なのである。他律ではありえない。だが、これは解釈が難しい。なぜなら、彼は究極の立場で語っているからであって、完全な他律とか完全な自律がありえないことについて直接は語っていないからだ。世界のあり方と自己のありかたは、カントの場合、このように問いが得られる。つまりいえば、カントは社会的責任を直接語ることはしない。

このことについて不満をもったのがドイツ観念論者であり、一番の成功をおさめたのは、ヘーゲルであった。ここでは詳しく触れないが、ヘーゲルの精神現象学から続く一連の著作は特に、自由とは、自覚であり、社会的責任を果たすことが自覚と深い関係がある。社会的な自分の立ち位置を自覚してからでないと、自律はありえないし、自律には時には他律も必要なのを彼は気付いたのだ。そして、ここで再び客観と主観の問題が生じる。主観というテーゼから出発した彼は、客観というアンチテーゼを提出する。そして、主観と客観の一致こそ真理であるという、一つのジンテーゼをヘーゲルは見出す。これを奥義とか神秘的議論だとかいう人がいるが、これはとるに足らない議論だ。簡単にいうとこうだ。カントの言った自由論は、価値があるが、それにもかかわらず、社会的責任というものを軽視しすぎている。他人に促されて社会的に責任を果たすことで、人は成長し、自分にとっての社会的責任が何であるかを悟る。本当の悟性とはそういうものだ。その悟り(=自覚)がなければ、本当の自律はありえず、ゆえにカントの言う自由はあり得ない。その種がキルケゴール、マルクス、ニーチェの疑問点の出発点にあるのは明らかだ。

哲学と業平の和歌


ここではそこから続くその問題に立ち入らない。ハイデガーの議論も立ち入りたいが、今回は似たようなことを言ったので、割愛したい。ただ、彼がエロスなど古代ギリシャ的概念などを持ち出して、それをどう分析しようと、結局社会的に倫理的に生きることを否定することはできなかったのである。

つまり、古代ギリシャの客観と主観の対立は、近世の合理論と経験論の対立の中でも生き続け、完全にこれを一度結論付けたのがカントである。しかし、カントの弱点を補完したヘーゲルの考え方が普及したが、その真意は理解されず今に至る。

簡単にいうと、フーコーが知の考古学とかデリダが脱構築とかいった方法は、粗削りすぎるが、まさしくいま筆者がやったような考え方と関係がある。

そこで、やっと和歌とつながるのである。

名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと

という在原業平の句を再解釈し、考えよう。
ここには「ありやなしや」という語があるが、これはわが思ふ人がいるのだろうか、いないのだろうか、という問題だ。つまり、ギリシャ的な存在論になおすと、私と関係する想い人が、いるのであるか、いないのであるか。ということだ。そして、カント的に言い直すと、こうだ。この人は都にいる。だが、この人は私の近くにはいない。この二つは仮象矛盾である。なぜ矛盾になるかというと、カントの場合は、この人が実際近くにいないのに、都にいる人のことなど思い浮かべてずっと行動するのは非道徳的であり、それこそ他律に近いものだ、という。だがヘーゲル的に解釈しなおすと、これは、都にいるその人がいないのは、私がその人のことをずっと思っているからであって、感情的に忘れられない恋愛(ハート)の原理が働いているからである。ゆえに、それを現実としてあなたは受け入れなければならない。そこから、行動するのはあなた自身だ。
つまり、現実を見た場合におけるジンテーゼとは、業平は想い人を諦めて東国にいたままでいるか、逆に都に戻って東国から返るかどちらかだが、ヘーゲル的な見方をすれば社会的(倫理的)に見れば、権力者の命を受けたからこそ、東国に赴くことこそ、業平の道だということは確定している。それが周りも当たり前にわかっているからこそ、人が同じ立場に立ったとき、この人の感情をむなしく感じ、恋のはかなさを知るのである。
そして、脚注でふれたように、業平の場合は、このまま東国へ下ってそのまま想い人のことは終えた。そして、平将門の場合は、東国へいったのち、反乱を起こすことで、天皇家にいる想い人を取り返そうとしたのである。

この場合は、論理の飛躍があるが、しかし、それはキルケゴールがいうように、主体の弁証法によれば、仕方がないものだ。我々は、論理の飛躍も思い当たる節があれば多少許容する余地を持たねばならぬと言えるでしょう。

以下で強引な和歌論を終了します。長文、読んでいただきありがとうございます。

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