世の中ほとんどの人が
愛せない物を
愛せるのは凄い。

「やめたほうがいい。」
と言われる物を
楽しめるというのは
才能だと思う。

体によくないと
言われている物を
楽しむ生き方は
世間一般の常識では
「ダメ人間」
になるわけだが、
だとしたら人間
ダメなほうが面白い。



嫌煙者はただただ
タバコを嫌うし
美味く吸える人に対して
しかめっ面になるが、
タバコに癒された
過去を持っていて
そういう生き方に
なってしまうのは
普通に考えて哀れ。

吸いたくない
理由ができて
やめたわけだから、
タバコを嫌う必要も
愛煙家を嫌う必要も
ないのが自然。

僕は嫌煙者に
嫌われているが、
残念ながら好かれたいとは
思わないのだ、
タバコと愛煙家に
喜んでもらえたほうが
「愛」に生きられる。



愛しているからといって
必ずそれを
活用するとは限らない。

使いたければ
楽しく使える、
「自由」があるのだ。

では嫌煙者には
愛も自由もないのか?
いや、あると思うが、
少なくとも
神様や仏様のような愛は
持ち備えてはいない。



【愛煙セラピー「2231」】 

『食べたら太る、
飲んだら病が悪化する、
それでもそれを
愛している人は
命をかけて楽しむ。
果たしてその行為は
「悪」なのだろうか。』

2016/04/23
愛煙セラピスト
志村嘉仁

体によくない物ほど
やみつきになる。

やみつき、
「病み付き」、
なるほどなと思う。

ただ一つだけ
忘れてはいけないのは、
「デメリット」
があるおかげで
「どう付き合うか」
を真剣に考えることが
できるということ。



【どんな考え方でも「愛」があれば。】



「愛」さえあれば
どんな考え方で
何をしてもいい、
と書きたいところだが
「愛」は簡単ではない。

禁煙は愛?
禁煙を愛している?
では愛煙は?
愛煙家の愛は
本物の愛ではない?

ひねくれたことを
書いているつもりは
さらさらないが、
そう捉える人のほうが
圧倒的に多い。



たとえば禁煙を
愛だと主張する人、
お世話になった
タバコの存在自体
愛ではないのか?

「今は愛がない」
と言うのなら
わからなくもないが、
かといって必要以上に
毛嫌いするのは
どうなのか。

「タバコは愛してる。
もう長いこと
吸ってないけどね。」
と笑顔で語れる人を
想像すると
心が温かくなるが、
「タバコなんて!」
と怒る人を想像すると
なんだか悲しくなる。



タバコの煙が
苦手な人の前で
吸わないのは愛?
「礼儀」ではないのか?
人間として当然の。

妊婦さんの前で
吸わないのも礼儀、
妊婦さんが吸う人でも
こちらは吸わない、
それが礼儀。

これはさすがに
反論が多いと思うが、
「人のことを想う」
というのは
そういうことなのだ、
妊婦さんの一服以上に
他人が赤ちゃんに負担を
かけてはいけない。



【愛煙セラピー「2232」】 

『どんな考え方でも
「愛」さえあれば
自分も他人も笑顔になる。
タバコをやめるなら
お世話になった
タバコが笑顔になる
考え方でなければ
そのやめ方は決して
「愛」とは言えない。』

2016/04/24
愛煙セラピスト
志村嘉仁

タバコは友人と一緒、
生涯付き合う大切な存在。

もし縁が切れるなら
最初から友では
なかったということ。

美味く感じた一服は
一方的な性処理みたいな
ものだったと
言うことになる。

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