それは宝永の噴火で、その一月前に起こった宝永の大地震、さらにはその4年前の元禄の大地震、二つの巨大地震の連鎖で・・地震と噴火は、時に、セットメニューにもなるのでしょうか。

現在の熊本・大分大地震は今も収まらず、延長線上には阿蘇山もあるというので、思い浮かぶのは地震と噴火と、その連動です。専門家は否定していますが白々しく、やむなく過去の事例を調べてみることにしました。

すると案の定、地震と噴火は連動しているのです。阿蘇噴火は記録が少ないので、類似の富士山噴火を調べてみると、最後の噴火は江戸時代中期、宝永の大噴火でした。1707年、宝永4年11月23日、富士山の頂上ではなく東南側7合目付近が炸裂・噴火しています。

山梨県富士吉田市に残された記録によると、噴火の始まりは地響きに似た鳴動で山が揺れ7合目付近の噴出孔から白い蹴鞠(けまり)がクルクルと舞い上がり、爆発して空一面に広がり、耳を聾する大音響で山頂が揺れ、崩壊するかと思われ、人々は地に伏したそうです。大地も家々も大きく揺れ、空は火柱で赤く爛れ、雷鳴が飛び交い、程なく空から噴石や灰が降り注ぎ、静岡側の須走村(現小山町)には焼け石が降り注いで多くの家が焼失したといいます。

噴火は16日間続き、周辺50の村落を一丈(3メーター)の降灰で埋め尽くし、3寸(10cm)の降灰が江戸まで及んだと記録にあります。

この噴火に連鎖した地震があったのです。ちょうど一月前の宝永4年10月4日、富士山のマグマにも通じる相模湾から連動して東南海大地震が起こっていたのです。マグニチュード8.4という巨大地震で、直後に大津波もあって数年前の東北大地震を彷彿させる被害をもたらし死者はゆうに2万を越えたといいます。

被災地域は東海・山陽・四国・九州に及び四国土佐や九州南東部、長門・周防に大津波が押し寄せ(東北大津波同様の)大被害をもたらしています。摂津・播磨・大阪にも高波が寄せて漁船や荷船を転覆させたと記録にあります。

地震は明らかに連鎖性があって、宝永の大地震の4年前の元禄16年(1703)年11月23日には房総沖を震源地にした元禄大地震がもうひとつ起こっていました。マグニチュード8.2で、房総半島・三浦半島・小田原・鎌倉・平塚・大磯と相模灘沿岸など広域が震度6で壊滅的被害を受け、江戸も震度5(相当)で大きな被害を蒙ったと述べられています。

地震・噴火には連鎖性が疑いなくあるようで、1700年初頭の大噴火・巨大地震の連鎖から300年を経た今、近年の地震頻発に安穏としているものは少ないでしょう、地震・噴火の周期説を信じるなら、その到来を思わせるのもむべなきことのようです。

江戸時代の富士山大噴火

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まじ 東風 このユーザーの他の記事を見る

八ヶ岳南麓に隠棲。世事にまだ興味深々。

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