ヴェルサイユ宮殿の王室礼拝堂

王室礼拝堂で1770年5月16日、15歳9ヶ月のルイ16世と14歳6ヶ月のマリー・アントワネットの婚礼式が華やかに挙行されました。

《マリア・テレジアに招かれ御前演奏をした6歳のモーツァルトはマリーに求婚》
《フランスに入浴の習慣を根付かせたのは入浴好きのマリー・アントワネット》
《ハンカチの形を正方形に統一したのはマリー・アントワネット》

★マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・ドートリシュMarie Antoinette Josepha Jeanne de Lorraine d'Autricheを本名とするマリー・アントワネットは、オーストリアにて、1755年11月2日、ハプスブルク・ロートリンゲン家の出身で、オーストリア大公マリア・テレジアとその夫神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンの11女として生まれました。

そして、アントワネットが14歳6ヶ月を迎えた1770年5月16日、フランスとオーストリアの関係をより密にするために、15歳9ヶ月という若い王太子ルイ・オーギュスト(後のルイ16世)と攻略結婚させられ、その日からフランスの王室で生きることになります。

母親のオーストリア大公マリア・テレジアが主に望んだ攻略結婚でしたが、結婚当初はルイ16世(まだ即位していませんが以降、こう呼ばせて頂きます)は彼女の可憐さにうっとりしたまま、幸せの絶頂にいたと伝えられますが、この結婚はアントワネットにとっては、悲運を招くものとなり、フランス革命中の1793年10月16日刑死し、僅か38年という短い生涯を閉じることになるのです。

ヴェルサイユ宮殿の「王妃の寝室」

画像は豪華さでは宮殿一番を誇る歴代の「王妃の寝室」(錦糸の刺しゅうが施されたベッドの天蓋と天井)です。ここは、宮殿内でも「鏡の間」に続く人気の部屋になっていますが、その要因は部屋はルイ14世の妃マリー・テレーズ・ドートリッシュのために1660年に作られたもので、彼女以降、歴代の王妃の公式(公式でない昼寝の寝室などがあります)の寝室だからですし、最後はあのマリー・アントワネットの寝室となっていたからです。

★マリー・アントワネットは結婚前のオーストリア人として生きた14歳までは、皇帝の娘として何不自由のない、また、教育熱心な両親の元で暮らしましたから、マナーと教養が身についた高貴な貴族として育ちました。その器量よしから、幼い頃から庶民の憧れにもなり、王族や貴族が集う上流社会では、若者たちの注目を集めるようになります。また、音楽好きの両親だったことで1754年に母親のマリア・テレジアの宮廷楽長の地位を得たグルックらから音楽を教わったり、音楽やバレエに興味を持ち、また得意なハープで独演会を開いたりして音楽に親しんでいました。

ヴェルサイユ宮殿「鏡の間」

《マリア・テレジアに招かれ御前演奏をした6歳のモーツァルトはアントワネットに求婚》

★1762年9月、各国での演奏旅行の帰路、シェーンブルン宮殿でのマリア・テレジアを前にした御前演奏に招かれたモーツァルトは、当時6歳でしたが、7歳のアントワネットの可憐な顔と可愛い表情に惹かれプロポーズしたという有名な事件、いいえ、微笑ましいエピソードがあるのです。

映画などでその辺りのことが描かれていますが、6歳の坊やが7歳の王女様に結婚を申し込むなんて、アントワネットにしてもモーツァルトにしても早熟だったのでしょうか。

でも、実は聴衆の前でモーツアルトが転び、それに手を貸して起こしてくれたマリーに向かってモーツァルトはマリーに向かって、こう言ったのです。

「きみは優しい人だね、大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」

それが求婚の言葉として今、語り継がれているのです。

《フランスに入浴の習慣を根付かせたのは入浴好きのアントワネット》

★マリーの嫁ぎ先だったフランスには、当時入浴の習慣がなかったことで、母国では幼い頃から入浴をしていたアントワネットです。彼女は宮殿内に大きな容器を用意させ、そこにお湯を貯めて入浴を楽しんだと伝えられます。もちろん、その簡易バスタブで入浴したアントワネットの習慣は、宮廷内だけではなく貴族の間でも習慣となり、いつしか庶民の日常生活の中にも浸透。今に至っています。

その頃には既に入浴時に体臭を消すために湯船に香料を入れるのが慣習だったオーストリアでした。その慣習の中で育った彼女は、バスタブに花の香料を入れて入浴すること必須でした。ですからヴェルサイユ宮殿の庭に香料をとるための植物や花々を育てたと伝えられます。

アントワネットは香りの強い香料よりも心地好い香りを放つバラなどの花の香料を好んだことで、ヴェルサイユ宮殿の庭に芳しい香りを持つ薔薇や百合の花、そして、ハーブを植え、香り入浴剤として使用しました。それらが後に香水の発展に大きく寄与したことは誰もが知るところですね。

《法令まで作ってハンカチを正方形と定めたマリー・アントワネットのこだわり》

紀元前3000年頃のエジプト文明まで遡る事ができるハンカチの起源ですが、当時から中世末期頃まではハンカチは、身分の高い人が使う贅沢品でした。そして、その形は円形や長方形など、様々な形のハンカチが存在していました。そんな中、のハンカチの形を正方形に統一したのがマリー・アントワネットでした。

マリー・アントワネットは当時その様々な形を嫌い、正方形と改めるよう夫君ルイ16世に進言し、1785年「フランス国内におけるハンカチは全て縦横同じ寸法のものに」という法令まで作り、正方形以外のものはハンカチとして認めませんでした。

★1983年年日本ハンカチーフ連合会はこの故事に因み、マリー・アントワネットの誕生日11月2日に一番近い日本の祝日文化の日(11月3日)を《ハンカチーフの日》と定めています。

その他、結婚式などでスパークリングワインを注ぐのに使われるクープグラス。フランス語の coupe は、「広口、浅底、脚付のグラス」を指しますが、その形は、ポンパドゥール夫人やマリー・アントワネットの乳房から型取りをしたと伝えられています。

このように様々な逸話を遺しているマリー・アントワネット。彼女が没して200年以上も経過した今も、こうして逸話が思い起こされ、楽しまれています。いかにマリー・アントワネットが人間的に魅力ある女性だったのかをうかがい知れますね。

まだまだ多くの逸話を残していますので、後日、また彼女ついて綴ります。お待ちくださいませ♫

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(旅行ジャーナリスト・作家 市川昭子著)

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★旅行ジャーナリストとして長い間、公私共に海外の国々を訪れ取材し滞在。美術館巡りが好きで「ヨーロッパの美術館」など著書も出版。海外ガイドブック30冊以上(フランス、イタリア、イギリス、ベルギー、オランダ、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、ハワイ、アメリカ、香港、韓国、グアム、サイパンなどなど十数カ国のガイドブック)を取材し出版。★小説【あなたが生きた街】を出版。

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