理屈野郎が嫌いで
友達として
関わらなくなった奴も
少なからずいる。

僕自身
「理屈っぽい」と
よく言われてきたが、
理屈と理論は
まるで違うと思う。

理屈野郎は
「実験していなくて
モノを言う」のに対し、
理論に基づく考え方で
説明できる人は
実践経験上の事実から
モノを言っている。



たとえば
嫌煙者が主張する
喫煙の有害性は
「理屈」なのだ。

なぜなら
経験した事実と
本音を隠して
「いい人」を
演じているから。

僕が知る限り、
美味い一服に
感謝していることを
前提とした理論で
喫煙生活のやめ方を
主張している善人は
残念ながらいない。



「物事はすべて
理論に基づいている」
なんて書いたら
愛のかけらもない
冷たい人間だと
感じるかもしれない。

しかし本当は、
「愛を深めているから
物事を理論で
説明することできる」
と思うわけだ。

「正論」という言葉は
ときに人の心を
遠ざけることもあるが、
大切な人を守るための
正論であるのなら
それ以上に強い武器は
ないと思える。



【愛煙セラピー「2227」】 

『たいていの物事は
理論で説明できてしまう。
不幸を嘆く人と
幸せを喜ぶ人の違いは
面白いほどに
理論に基づいている。』

2016/04/19
愛煙セラピスト
志村嘉仁

不幸な人を全員
敵に回すようなことを
書いているが。

不幸せが嫌なら
自分が幸せを感じる
ことを実践すれば
いいだけなのだ。

「それができない」
なんて言い訳をして
不幸せを気取るなら、
その不幸せは
自己責任であることを
受け入れなければ
話にならない。



【なぜ禁止しなければいけないのか。】



「禁煙します!」
と宣言するのは自由、
そして挫折するのも
その人間の自由。

ただ、
自由に生きるのなら
挫折を挫折にせず
「解禁」とするのが
正しいと思う。

「吸ってしまう」
と嘆くのなら
最初から禁止など
しなければいい。



「やめた!」
と決めたのなら
やめたのだから
吸わなければいい。

タバコも誰も
やめた人間に対して
誘惑などしない。

それをタバコのせい、
美味く吸える人の
せいにして
「私の前で吸わないで!」
と主張するのは
間違っている。



なぜ禁止したいのか、
なぜやめたいのか、
その理由を明確に、
自分が納得できる
ものであることを
確認した上で
喫煙生活をやめるなら
やめたらいい。

吸わなくなったことで
お肌がキレイに、
食事も美味しく感じる、
それはそれで
本当に素晴らしいが、
誰かに自慢するような
ことではない。

飲食店で
禁煙席を指定できる自分に
酔いしれる
嫌煙者は多いが、
そのような考え方は
迷惑行為にすらなる
可能性があることを
知らなければいけない。



【愛煙セラピー「2228」】 

『なぜ禁止しなければ
いけない?
なぜやめたくないのに
やめなければいけない?
その理由と本音を
はっきりさせなければ
人に迷惑がかかる。』

2016/04/20
愛煙セラピスト
志村嘉仁

タバコをやめた自慢話を
聞かされる側の気持ちを
真剣に考えた上で
喫煙生活をやめるなら
やめたらいいのだ。

「誰もができない、
難しいことを
自分はやってのけた!」
と主張したいのなら、
本当に難しい
ことでなければ
意味がない。

「難しく考えて
苦悩しているだけ」
のことを
偉そうに語るのは
バカというか
愚かというか、
ぶっちゃけクズだ。

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