“ジャガイモ飢饉とケネディ家とミッキーマウス”

ヴィクトリア女王の在位中の1845年、ジャガイモの病気が蔓延しジャガイモ飢饉に襲われたアイルランド。19世紀故郷アイルランドを捨てアメリカに移住してよそ者として馬鹿にされながら生き抜いたケネディ家とウォルト・ディズニー社の曽祖父。

画像は1871年3月29日に開場したヴィクトリア女王の最愛なる夫アルバート公に捧げられた演劇場ロイヤル・アルバート・ホールです。


中世の頃、アイルランドは寒冷な上、岩と石塊に覆われた不毛の地が多く、その地で育成できる農作物は小麦のみでした。それも土壌に栄養が不足していることで不作で収穫量は常に少なく、民衆を悩まさせていました。

でも、16世紀にスペイン人により寒さに強く、肥沃な地でなくともそれなりに育つ特性のあるジャガイモがヨーロッパにもたらされます。アイルランドの人々にとってじゃがいもは救世主となり、18世紀にはアイルランド庶民の食卓に小麦のパンに代わってジャガイモが主食として常にありました。

もちろん、小麦よりも栄養価の高いジャガイモです。庶民の健康は十分保たれ、いずれの町も村も活気ある日々を送っていました。また、19世紀にはその噂を耳にして、他所からやって来た移住者でにぎわうほど活気を呈するアイルランドでした。

夫アルバート公をしのんでヴィクトリア女王の命により建設された記念碑「アルバート・メモリアル」

ゴシック建築の秀麗な姿を見せるこのメモリアルは、当時、建設費を削ろうとするグラッドストン首相とヴィクトリア女王の間で激しい交渉が行われた結果、1863年、ようやく予算案が議会で可決され建設に至るのですが、女王は夫の功績を認めない議会に腹立ち、また、苛立ちを隠せず、議会で激しい攻防を繰り返したと伝えられます。

《アメリカやカナダに新天地を求めて約100万人が故郷アイルランドを捨てるという苦渋の選択》

女王は議会と共にありとあらゆる手を打ち、何とか飢饉を食い止めようとしますが、なす術は見つからず、餓死してゆく人々の数は増えるばかり。その結果、アイルランドでは100万人が餓死や栄養失調で病死する、という悲劇が起こります。

そして、数年後、食べるものがなく、目の前で次々と餓死してゆく惨状を長期に渡って見続けていたアイルランドの人々の多くはそれを惨事と認め、勇気を出して“諦める”という選択をするのです。故郷アイルランドを諦め、見切りをつけることを決した彼らは、新天地を求めて米国やカナダに渡ってゆきました。

100万人の流出という、その数は半端ではありませんでした。また、餓死者も100万人を数えました。800万人まで増えた人口が、1851年には600万人に減るという惨状だったのです。

画像はワシントンDC郊外にある国立アーリントン墓地に眠るジョン・F・ケネディ大統領の墓所です

墓前には常に多くの人が訪れ、涙を流しながら墓石に手を添え、いつまでも立ち去りません…。亡くなって既に半世紀が経とうとしているのに、今なお愛され続けるジョン・F・ケネディ氏…。

《故郷を捨ててアメリカに移住したケネディ家とウォルト・ディズニー社の曽祖父》

このとき米国に移住したアイルランド人のなかにいたのが、のちの大統領、ジョン・F・ケネディの曾祖父にあたるパトリック・ケネディでした。また、あのウォルトディズニー社を創ったウォルト・ディズニーの曽祖父も、1845年に起きたこのジャガイモ飢饉の折に、米国へ移住した一人だったのです。

でも、彼らは飢餓から脱出はできたものの、米国大陸に渡った当時は貧しく、アイルランド系移民というだけで馬鹿にされました。

そして、「ミッキー」と呼ばれ、後ろ指を指されながらの肩身の狭い生活を余儀なくすることとなったのです。ちなみに“ミッキー”は英語では“とるに足らない・役立たず”などの意味を持ちます。でも、ケネディ家もディズニー家も、そして、多くのアイルランド系移民たちも食料があるだけでも感謝し、貧しさとその屈辱に耐えながら懸命に日々を生き、徐々に社会的地位を築いてゆきます。

そして、地位も向上した三代目になったその時、ウォルト・ディズニーのリベンジが始まりました。

画像はニューヨーク中心部の摩天楼群です

空に突き抜けるように互いに競う合うビル群の景観は、口では言い表せないほどの憂いに満ちた表情を見せています。

中央には秀麗なデザインで一躍有名になったクライスラー・ビルがそびえ、約100年も前の1909年3月30日(一説には同年6月)に開通したクィーンズボロー橋も見えます。

《アニメーションの主人公ネズミの“ミッキー”の命名の由来》

1930年代に制作し、ヒットを続けていたアニメーションの主人公ネズミのキャラクター名に、長い間、アイルランド系移民を馬鹿にするために呼び続けられていた愛称「ミッキー」を選んだのです。

また、ケネディ一家も負けてはいませんでした。当時のアイルランド系移民は、米国社会で最下層に属し、教育もままならなかったのですが、でも、彼ら一家は勤勉家でしたしプライドの高い一族でしたから、貧しい中でも常に学び賢明に生きました。ですから、米国社会のなかでの一家の存在感は大きく育ち、三代目には並々ならぬものがあったのです。そして、アイルランド人の地位向上に地道に尽力し、アイルランド人ばかりではなく、黒人も含めた最下層の人々のために、ジョン・F・ケネディは大統領にまで上りつめるのでした。

★ジャガイモ飢饉は数えきれない程の犠牲者と引き換えに、ケネディ大統領をこの世に輩出し、ファンタジ―世界の主人公である「ミッキーマウス」を誕生させたのです。

ヴィクトリア女王の在位中に起きた不幸な事件が、このような形でしっかりと今につながっているのです。それも逃避行した先で、アイルランド人の誇り高い生き様が、リベンジというバネを利用して見事に育ち、こうして社会に華麗に羽ばたいたのです。素敵ですね♫

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(旅行ジャーナリスト・作家 市川昭子著)

★画像・記事の転載・転用、ダウンロードはお断りいたします。どうぞよろしくお願い致します。

この記事を書いたユーザー

市川昭子 このユーザーの他の記事を見る

★旅行ジャーナリストとして長い間、公私共に海外の国々を訪れ取材し滞在。美術館巡りが好きで「ヨーロッパの美術館」など著書も出版。海外ガイドブック30冊以上(フランス、イタリア、イギリス、ベルギー、オランダ、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、ハワイ、アメリカ、香港、韓国、グアム、サイパンなどなど十数カ国のガイドブック)を取材し出版。★小説【あなたが生きた街】を出版。

得意ジャンル
  • 海外旅行
  • 国内旅行
  • カルチャー
  • コラム

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス