ダウン症のある赤ちゃんを産みますか?

NHKのEテレ。

お子さんがお世話になっている方多いと思います。
私も、とくに子どもが小学校に通うようになってから朝のタイムキーパーにしていることもあり、とてもなじみ深いです。また、私の子どもは発達障害がありますので、福祉系の番組もよく見ます。中でもバリバラ、という番組があり、こちらは障害のある人向けのバラエティ、という位置づけで放送していました。最近、障害だけではなくさまざまな生きづらさに関わる番組となり、ますます興味をもっています。

一昨年ですが、新型出生前診断について放送していました。新型出生前診断でわかる異常で一番有名な障害はダウン症ですね。
その出生前診断に関する聞き取りのレポーターとして、画面に登場されたのは「ダウン症のイケメン」ことあべけん太さんでした。

謎、謎、謎です

出典 https://www.nhk.or.jp

シリーズ 「出生前検査」①

「僕はこんなに生まれてきて幸せなのに」どうしても、検査での異常があったら妊娠継続を希望しない人が多い件について疑問の解けないあべけん太さんは、検査についての疑問を解決しようと医師や妊娠中のお母さん等にインタビューをして回る旅に出ました。いや、悩みの種の当事者をインタビュアーにするとは。なんともアグレッシブな番組だなと、聞かれた人は困惑するだろうなと思いながらみていました(笑

また、インタビューのあと、シリーズ 「出生前検査」②では、大学に特別講義を行いにでかけていました。

「ダウン症の48(フォーティエイト)をつくりたい」(あべけん太 ダウン症)…学生から「なぜ、ダウン症のある友達が欲しいのか?」と質問され、答えたひと言がこちら。ダウン症のある仲間が好きだから、減って欲しくないという考えを、けん太さんならではのユニークな表現で学生たちに伝えた。

出典 https://www.nhk.or.jp

シリーズ 「出生前検査」②

けん太さんを育てたお父さん(お母さんは既に他界されています)も、学生を相手にけん太さんをどのような思いで育ててきたのか、語られていました。画面での屈託のないけん太さんをみれば、どれほどの愛情を持って育てられてきたのか、痛いほどにわかりました。学生さんたちはまだまだ若く、障害をもって生きる、ということや、赤ちゃんを産んで育てる、ということにもピンと来ない人も多いと思います。でも、その重さをうけとめつつ「でも、私には産めないと思う」と涙ながらに発言する人、「お話をきいて、障害があっても、産んで育ててみたいと思った」という人、やはり当事者を前にしたその問いは、インパクトが強かったようです。この回に限らず毎回この番組は「バリアフリー」に関して攻め込んでいるなと思います。

あまり知られていない決断後のママの状況

私は発達障害のあるこどもを育てていますが、当然ながら「子どもに障害があってよかった」と思ったことはありません。でも、「この子がいてくれて本当によかった」とことあるごとに思っています。その喜びは何に変えられるものではありません。ちなみに、新型出生前診断(NIPT)ですべての障害は把握することはできません。そして把握できる異常は限られていて、最近のアメリカの研究では遺伝子の異常がある場合でも2割の見落としがあるそうです。

妊娠10週目からの検査が可能で、13トリソミー、18トリソミー、ダウン症を見つけることができますが、反対にそれ以外の染色体異常を見つけることはできません。

出典 https://www.google.com

妊娠育児の情報マガジンココマガ

ただ、妊娠について、若い頃からしっかり意識されている方もおられると思いますが出産について「子どもって苦手」「産まなきゃいけないのかなぁ」「仕事優先したい。。」など、いまひとつ乗り気にならない方もいらっしゃると思います。そういった方が妊娠に踏み切ることと「障害のあるかもしれない子を産んで育てよう!」と出産に踏み切ることは似た面があることかも、と感じます。すでに経験のある人にはそのことが思ったよりもとてもすばらしい経験であることには充分にわかりますが、経験のない人にはとても敷居が高いですね。ただ、そこには圧倒的な知識の流通量の違いがあります。インターネットやマスコミでも取り上げられることが増え、さまざまないわゆる「普通」に乗り切れないマイノリティの情報も増えてきましたが、まだまだ「触れてはいけないもの、踏み込んでは失礼なもの」というマナーが主流です。だからこそ、冒頭のような論議があるのでしょう。

障害のあるかもしれない子を、自分では産みたくても、周りに反対されることもあるでしょうし、不安に耐えられない、兄弟にも障害があって育てることが難しい、など様々な状況があると思います。そして、やはり「産めない」と決断されることがあるでしょう。現在、どちらかといえばそれを「常識的な判断」とされていることが多いように感じます。ですから、あまりそのことが取り上げられることが少ないように見受けられます。基本的に、出生前診断を受ける、ということは望んだ妊娠でしょう。それなのに「おなかの子に障害があるから諦めた」ということは、言葉に出して責める人はいなくても、「たしかに、ママであった」女性には想像を絶する苦しみになるでしょう。「産んで育てる」決断をする人もいることが、「なぜ自分にはできなかったのか」と。自身の意思で、宿した子どもの命を奪うことが、どういうことか、想像するだけで胸が苦しくなります。望んでいたその子を諦めたことにより、環境的には今までと変わらぬ日常を過ごせるのです。しかし、その後の葛藤、苦しみはもっと知られてよいものではないでしょうか。

「最後の小さな一蹴り.………ついうっかりしたような,小さめの一蹴り.その後は,何もない」

出典シモーナ・スパラコ作,泉典子訳,室月淳解説 「誰も知らないわたしたちのこと」

上記は、愛する夫との間に待望のわが子を授かり、何度も何度も巡る辛いためらいの末に、中絶を選択した女性を主人公とした小説の印象的な一文で、おなかの中の赤ちゃんが亡くなる瞬間の描写です。バリバラと同じくEテレ「ハートネット」でも「シリーズ 選ばれる命 第2回 出産・母親たちの苦悩」であげられていました。なぜ、そんな辛いを思いをしなくてはならないのか。。。その決断が最終的には「母親自身の決断」とされているからこそ、この出生前診断の是非にはまるで「解決済み」の案件であるかのようにあまり取り上げられることが少ないように思います。現在、検査で異常があったら殆どの人がする一般的な決断です。でも、その決断がなぜこれほどに親子に辛い別れを強いるものでなければならないのでしょう?それぞれの、悩み苦しんだ選択であれば、その人にとって誤りであるはずもありません。辛い決断をされた方にはその傷が癒されるよう、心から祈ってやみません。

ただ、どうして、その選択をしなくてはならなかったのか?どうして、待ち望んだ子を空に返さなければならなくなったのか?どうして、こんなに苦しい思いをしなくてはならないのか?

そのことは、もっと考えなくてはならないと強く思います。それは、個人の決断だけの問題だけではないでしょう。そしてそれを考え続けることの先には、全ての人にとって生きやすい未来が待っているのではないかと。

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発達障害のあるこどもの育児や在宅でのお仕事に励んでいます。
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