ミクロネシア連邦ヤップ島は、グアムの南西に位置します。

当時、大学で文化人類学を専攻していた私は、有志で教授の実地調査に同行しました。ただ学問に熱心だったわけでは全然なくて、初めての海外旅行だ、南の島だ、とウキウキしており、完全に観光気分でした。

秘かに想いを寄せていた、ゼミで一番美人だった子を誘ってみるも「グアムやったら行くけど」とあっけなく断られてしまいました。

ど田舎

グアムはさすがに観光地だけあって飛行機の下の景色は明るく華やかな島でしたが、一方ヤップ島は鬱蒼と茂る森以外何も見えず真っ暗でした。

常夏のリゾート地、カラッと気持ち良い気候の南の島、との勝手な私の期待は、片田舎のJRの駅舎のようなこじんまりした空港から外に一歩踏み出した時点で手ひどく裏切られます。

ボオー、まるで真夏にエアコンの室外機の正面に立ったような、不快な湿気たっぷりの熱風に迎え入れられました。空港のフェンスの向こう側に浅黒い肌の地元民がうようよ集まっています。歓迎されているのかと思ったのですが、違いました。

「昔、一度、空港で事故があってね。地元の人達は、また事故が起こんないかな、って楽しみに見に来てるんだよ」

教授の言葉に背筋が凍りました。暑さを一瞬だけ忘れます。

ホームステイ

教授の計らいで現地の裏人の家へ泊めてもらうことになりました。海沿いに建つ青いペンキが塗られた平屋に、三世代十人ほどの人々が暮らす大家族です。

現地の人々の公用語は英語、日常会話はヤップ語、みなバイリンガルで、また六十歳を越える人は日本語を話せます。先の大戦中、日本が占領統治していたためです。ただ幸いにも、激しい戦闘がヤップ島で勃発することは無く、現地の人々は非常に親日的で、ぞうり、やきそば、べんとう等そのまま根付いた日本語も多いのです。島のスーパーにはサッポロ一番が定番商品で売っています。

私は一家の長であるお爺さんとは日本語で、その他の人達とは英語で喋ります。私の英語は拙くてなかなか意志疎通が出来ず、お爺さんの日本語は戦前のやたらと丁重な語り口で恐縮してしまうのですが、言葉の繋ぎに突然「そうだろう!」と度々、高圧的なフレーズを挟んでくるため、何ともおっかないのです。

「一人の女が木に登った。男はそれを下から見上げた。そこに何が見えた?」

お前は女を買ったことがあるか、俺はハワイで…、お爺さんの下ネタを聞きながら、やはり、エロは万国共通のコミュニケーションだと実感します。ただ「日本はまだ戦争をしているのか?」と海を見つめながら、ぽつりと聞かれ、島に流れる時間と日本の違い、その隔絶に妙に感傷的になってしまうのでした。

グッドスメル!

朝、その家族の小学生だという可愛らしい少女と、猛々しく南洋の樹木が生い茂る道をぶらぶら散歩します。少女は立ち止まり、道端の草花を引っこ抜き、くんくん嗅いで、私に差し出しました。

「グッドスメル!」

私も真似て、次々に草花を引き抜いては「じゃあこれは」「バッド」「これは」「グーッド」なんて笑いながら繰り返しました。

日焼け

ヤップ島の陽射しは強烈で、ボートも日陰に置いておかないと、損傷してしまう程のものです。そんな環境で、気楽なリゾート気分の私は、タンクトップに短パン、という舐めた格好で過ごしていました。

滞在三日目。私の肌は、見事に真っ赤に腫れ上がりました。

ヒリヒリしてたまらず、伸びた髭を剃る気力もわかず、すっかり元気をなくした私を「敗残日本兵」と教授は呼びました。

島で一番大きなスーパーマーケットで食料品などの買い物をしていると、レジを打っていた、でっぷりと肥えた現地女性に「オニーサン」と呼び止められます。早口の英語で何を言っているのかはよくわかりませんが、赤くただれた私の肩口の辺りを指差して“ココナッツオイル”という単語を発音しているのは聴き取れます。

どうやら、日焼けに“ココナッツオイル”が効く、店に陳列してあるオイルを塗ってあげる、そういうことのようです。

オイルの優しい滑らかな感触とともに、柔らかな手の温もりが、ただれた皮膚の上を、ゆっくりなぞっていきます。甘い香りが漂います。鼻腔に届く、うだるような過剰な熱が降り注ぐ、南洋そのもの、濃厚な甘い香り。

「グッドスメル」

肩越しに、そっと呟きました。

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男は久留米という砂漠の中の一粒の砂であり、クルマ、金、女に縁がないライター志望の孤独で吝嗇な三十路だった…http://ameblo.jp/kt660cc http://tabelog.com/rvwr/002224433/

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